崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

研究会で発表

2009年07月12日 06時49分39秒 | エッセイ
 昨日大阪国立民族学博物館で行われた日本人類学史研究会で朝倉敏夫教授の朝鮮半島での研究史が検討された。そこでは度々私の研究に触れ、評価してくれ、恐縮であった。彼は村山智順という朝鮮総督府の嘱託であった人物が残した活字になっていない原稿や大正5年東大での講義受講ノートなどを見せてくれた。その丁寧さと細かさに感動をした。
 朝倉氏は村山は「嘱託」という地位のために韓国の学者たちから「植民主義者」と叱咤されていることも指摘した。私は以前村山の『朝鮮の風水』を韓国語で翻訳したことがあり、今度『朝鮮の巫覡』も翻訳中であり、彼を高く評価している。名高い秋葉隆教授も村山からの影響を大いに受けてたことをこれから明らかにしたい。朝倉氏によって要約された、多くの植民地批判の態度や理論を聞いていると「非専門家が専門家を非難している」ような気がする。
 私は昨日日本人学者が朝鮮の田舎で撮った1936年の記録映像を見せて、それを見た韓国人の住民たちから「偽造だ」と言われたことをも紹介した。戦争、植民地、抑留など一方的なイメージが出来上がってそのパラダイムに合わせたような研究態度は一般世俗的な態度でありアカデミズムとして不適切なことが議論された。特に波平恵美子先生はシベリア抑留者をインタビューして「楽々暮らした」という人もいるのに調査記録は悲惨と苦労話としてまとめられていることを批判する意見も出された。もちろん抑留生活は苦労の多いものだったとは思うが本当に実情はどうだったのか既刊のインタビュー調査なども再検討しなければならないと思った。