崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

割り勘の心

2009年07月01日 05時15分59秒 | エッセイ
 私は割り勘という日本の生活習慣にはまだ馴染んでいない。それは重要な日本文化である。西洋でもこの習慣は古くないらしい。イギリス人はオランダ商人の割り勘(Dutch treat)をけちなことと思ったという習慣でもあった。日本では古くから定着したというがいつ頃からだろうか。私は日本人におごる気持ちで費用の総額を支払うことが多いが、日本人の割り勘の習慣に文化摩擦(?)を常に感ずる。韓国では金持ちや上司などが気前よく金を払う習慣がいまだに定着している。割り勘もおごりも損をすることはない。おごりは一方的に払う人が損するようであるが、長期的にみると受けた人が結果的に払い返すようになっている。たとえば上司は永遠に上司ではなく、平社員も上司になり、スタッフにおごる立場になるし、老人なると若者におごられるからである。短期的には盆、暮れの贈り物は上司などの上の方に一方的に贈られている。
 その習慣には細かい心使いが大事である。他人の分も料金を支払うことは少しでも、もてなしの善意がある。おごる/おごってもらうことは社会的な上下関係を表すことも潜在しているが相手に関心をもって愛情を含むものである。ただおごってもらう人が他人の物、ただであるから高いものを多く食べようとする乞食心を持っている人もいる。その時はおごる人にとっては布施になるのかもしれない。
 割り勘がケチな習慣にならず、おごる習慣が布施にならないようにすることが日韓文化の摩擦を和らげる方法であろう。