雪うさぎのJunk Yard

へタレ地方私鉄モデラーの独り言と撮り鉄日記

もうこんな季節だな

2021-11-23 19:52:43 | 撮り鉄日記

 そろそろ各地で雪の便りが聞こえてくる季節、鉄道もそろそろ冬支度ですね。

 

2年振りのED201試運転見学会、まあ撮影地は限られるので変わり映えしないのですが、やはり動いているのを久々に見たくて、お誘いに乗って。今回は動画も撮ろうと思ったら、見事しくじりました。。。


たまに出掛けたら

2021-10-10 20:59:03 | 撮り鉄日記

 しばらく放置状態なので、たまに更新してみます。

 たまに少し遠出したと思ったら、帰りに例の変電所火災が発生、高崎線がダメなら八高線でのんびり帰ればいいか、と思っていたら、新幹線振替の案内があったので、結局それに乗って、予定より少し早めに帰着しました。高崎からだったので、席は何とか確保しましたが、当然ながら自由席は東京まで結構混んでいたので、やっぱりのんびり八高線で良かったかな…


地鉄デキフォトラン

2021-09-11 12:40:26 | 撮り鉄日記

 富山遠征の主目的は勿論これ、今回は過去2回とは別団体よりお誘い頂きました。

 

まずは三郷から、駅舎が改修され奇麗になっていました。好みが分かれるところではあるでしょうが、ここは改修前も中途半端なサイディング張りだったので、まあ良いかな?という感想。有峰口はちょっと残念な気持ちですが…

  

今回の運転区間には、本線電鉄黒部以遠、立山線岩峅寺以遠の山岳区間は含まないので、千垣のアーチ橋や宮野山俯瞰とかの派手な見せ場は無し、それでもきれいに列車写真を撮れるポイントは無数にありますが、まあ3回目なので、今回は普通の列車写真はパスかな。三郷の駅すぐそばに良い感じの鎮守の森があったので、これを添えて、バラエティ豊かな電車たちを撮りながら、本番を待ちます。

昼近い時間帯なので、ちょっと暑苦しい絵になってしまいました。東京方面から日帰りで来る参加者に配慮してのスタート時刻設定でしょうが、ここは早朝から走らせて欲しかったです。多分このダイヤなら、稲荷町を日の出とともにスタートして、岩峅寺ー有峰口を2往復程度走らせてもらってから寺田で合流しても良さそうかなと。

直後の電車で追い掛け、途中の上市で機回し中のデキ+ホキを見て。

電鉄黒部に先回りして、北陸線をオーバークロスする築堤で。

   

お約束の木造の車庫前で撮影会。やっぱり夏場の快晴だと、車体の微妙なピンク色が出ないし、足回りが潰れてしまいます。

電鉄黒部の大屋根、これも地鉄の駅を象徴するシーンでしょう。

今度は立山線方面、上市で追い越し、寺田で後からやってきたデキをショット。直後に来る立山方面の電車で先行します。

どこかで見て、気になっていた榎町駅に行ってみることに。立山方すぐの踏切からのお手軽ポイントです。

返しは駅の寺田方から。こっちの方が個人的には好みかな。夕刻の斜光線も良い感じ。この後は寺田~上市と走って、1時間程停泊後、稲荷町に戻るダイヤでしたが、雲行きも怪しくなってきたし、時間的に光線状態が厳しそうなので、私はここで引き上げることにしました。

(2021年8月29日)


風前の灯火

2021-09-04 19:32:39 | 撮り鉄日記

 このご時勢なのに、久々の富山です。

ここ10年で大きく姿を変えてしまった富山駅の中でも、地平ホームのまま取り残されている地鉄の電鉄富山駅、高架工事の進展で、徐々に姿を変えつつあります。既に1番線は閉鎖されています。

余り怪しげな中古桁は無いと思っていた地鉄ですが、意外なことに富山駅至近に2つあったのですね。1つは電鉄富山駅をすぐ出たところにある陸橋の下り線。

所謂ポーナル桁ですね。どこから転用したのでしょうか?

もう一つは、ここから少し稲荷町側に行った小川に架かる小さな橋、高架化工事の進展の影響で、近付けなくなってしまいましたが、ここも下り線のみポーナル桁です。何故両方とも下り線かと言うと、電鉄富山→稲荷町の複線区間の、上下各線で敷設事業者が異なっていたという歴史に由来しているようです。因みに1969年までは本線が現在の上り線、旧立山線(現、不二越/上滝線)が下り線の、単線2本並列として運用されていました。

この2本のポーナル桁も、高架化が完成すれば姿を消すことになるはずなので、見るなら今のうちですね。


こんな機会でも無ければ

2021-06-20 14:10:19 | 撮り鉄日記

 いくら東北一の大都会、仙台の隣とは言え、2連のワンマン電車が往復するだけの支線のどん詰まり、特に他に見どころの無さそうな平凡な田舎町、こんな機会が無ければ、一生足を運ぶ事は無かったかも知れませんね。

  

東北本線旧線の一部なので、現在の輸送事情とは釣り合わない施設の立派さです。

 

現在は断ち切られてしまった旧線跡にも、少し遺構が残っているみたいですが。

新しいと思っていた701系も、登場から30年近く経ち、設計寿命を考えると、置き換えもそう遠くないかも知れませんね。無くなると分かってから慌てて行動するより、普段から動向を予測しつつ、普段通りの姿を記録することが大切と、頭では理解しているつもりですが…

(2021年6月12日)


またしても泥縄?

2021-06-18 00:17:41 | 撮り鉄日記

 いつかは見に行きたいと思っていても、尻に火が付かないとなかなか行動に移せないのは悪い癖ですが、これもまた解体という話が出て、始めて動いた始末で。聞くところによると、所有権がある鉄道会社側は、解体するつもりなら所有権は只で手放すけど、処分費用はそちら(自治体)持ちね、あと、作業はうちの関連会社によろしくね? 廃材と部品はこっちが全部始末するから、な感じで、その処分費用の見積額は機関車2輌を整備(アスベスト等の除去も含む)して、屋根まで付けられそうな額を提示されて何だかなーな話なのですが。現在、地元有志らが色々動いている様子なので、しばらくは静観なのかな?

  

車体の設計は当時の私鉄向け箱型電機に準じますが、三菱(ED911)、日立(ED9121)と比べると、胴長で野暮ったい感じでありますが、個人的にはこういうのは結構好きだったりします。ガラス(アクリルかな?)が一部破損していたりしますが、状態は決して悪くないように伺えますが。

  

この手の顔にはやっぱりひさしが似合います。前照灯にも付いているのが良いですね。

東芝ロゴが昭和30年代っぽいです。

台車は簡素なペデスタル式。

交流電機で問題になる変圧器の不燃性絶縁油(PCB)ですが、一連の交流試作機の中で、これのみは乾式変圧器を採用しているので、新製時のままだとすると、PCBが大量に存在する可能性は低いです。整流器も後年イグナイトロン(水銀整流器)からシリコン整流器に換装されているし、アスベストは、まあどこかしらにあるでしょうが、優等客車の吹き付け断熱材と違い、絶縁材等のセメントや樹脂で固化されたものばかりでしょうから、普通にちゃんと管理されていれば然程心配することもないでしょうけど。乾式変圧器は使用成績がイマイチだったようで、ED70以降の交流量産機は油冷式変圧器になりましたが、電車はともかく、機関車なら絶縁油は有害性はともかく高価なPCBを使わなくとも、安価な鉱油でも良かったのでは?とも思いました。ディーゼル機関車やSGの燃料は許容されるのに、と。


ぼちぼち

2021-05-09 23:45:05 | 撮り鉄日記

 何気なくこっちに寄り道したら、ちょうど赤電がやってきました。

検査周期がそろそろですが、彦根でまた次の旧西武301系をいじっているので、このまま赤いスカニアがお迎え…かも知れませんね。AK-3空気圧縮機の奏でる「旧国の音」も聞けるのはあと少しかな。


泥縄

2021-05-05 22:31:20 | 撮り鉄日記

 数日前に「連休明けに解体」と言う話を聞いたので、戒厳令、もとい緊急事態宣言中の連休最終日だというのに、わざわざこれだけの為に遠出してきました。3年前に一度解体の話が出ていたのに、保存団体の立ち上げで何となく安心して、後回しになっていましたけど、結局何も具体的な方向性を打ち出せていなかったみたいですね。

流石に連休最終日の下り、かつ緊急事態宣言中だけあって、新幹線は自由席でも人もまばらです。そんな時に出かけるんじゃない、とか叱られそうですが。

 

数年前までは腐るほどいた、西の国鉄な電車も、流石に少なくなってきましたが、日本第二の大都市圏の主要駅に103系や113系がまだ顔を見せること自体、驚くべきことかも知れません。

今回の目的地最寄り駅に到着。目標は駅ホームからも少し見えます。

駅から徒歩数分で到着。廃線跡は完全に道路に飲み込まれて、旧駅舎のみポツンと取り残された感じ。

こちらが元の入り口側。終端側から。

終端側妻面を正面から。

 

こちらが旧ホーム側。かなり手は加えられていますが、往時の面影は感じられます。

 

浜大津側から。

この建物の由来を解説した掲示が窓に貼ってあります。

バスがかつての廃線跡を通過。江若じゃなく西JRバスですが。

見られるのは今日が最後とあって、カメラを向ける人が数人いました。まあ、国鉄型車両の引退間際とは比べ物にならない位静かですが。とりあえず、解体の告知の掲示や、バリケードの設置等の目に見えた動きは、今日時点ではまだありませんでした。


あともう少し

2021-04-18 00:45:58 | 撮り鉄日記

 本線走行が見られなくなるのは残念ですが、当初計画では300号のみだったのに対し、120号も仏生山の作業車として残留と発表されました。ギリギリまで何とか残す事が出来ないかと努力してくれた関係者には感謝しかありません。出来ることなら一畑の様に検査は通さなくとも、車籍だけでも抹消しないでくれれば…とは思いますが。

 

この辺も今となっては十分に旧い電車の部類でしょうな。長尾志度の旧型を追い掛けていた当時から、琴平線の電車の面子はそれほど変わっていませんし…


久々の遠出

2021-04-11 14:27:16 | 撮り鉄日記

 お誘いは掛かっていたのですが、仕事休めないから一旦は断りを入れたものの、直前になって仕事がキャンセルになったので、結局出掛けることに。

 

久々の遠出ですね。世間の動向は気になるものの、何も出来なくなってしまうのもそれはそれで何なので、行動すべき時は慎重に、そして大胆に。

こっち発祥の店なのは理解していても、近所にもあるので、あまり遠くに来たような気がしません。