カームラサンの奥之院興廃記

好きな音楽のこと、惹かれる短歌のことなどを、気の向くままに綴っていきます。

訃報記事メモ

2006-11-02 10:43:03 | Weblog
 漢字研究の白川先生がお亡くなりになったそうです。。。

 謹んでご冥福をお祈りいたします。

<訃報>白川静さん96歳=漢字研究の第一人者、中国文学者
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/fu/news/20061102k0000m060092000c.html
 漢字の成り立ちを明らかにした辞書「字統」などを著した漢字研究の第一人者で中国文学者の白川静(しらかわ・しずか)立命館大名誉教授が、先月30日午前3時45分、多臓器不全のため亡くなっていたことが分かった。96歳だった。葬儀は1日、近親者のみで行われた。自宅は公表されていない。後日「お別れの会」が開かれる予定だが、日時等は未定。
 福井市生まれ。苦学して立命館大の夜間部に通い、在学中に文部省の教員検定試験に合格して、立命館中学の教諭をしながら43年に法文学部漢文学科を卒業した。同年、立命館大予科教授、54年から教授、81年名誉教授。97年、文字文化研究所(京都市)の所長・理事長に就任し、05年から同研究所最高顧問を務めていた。
 10代のころ、大阪で代議士の秘書をしながら古事記、日本書紀、万葉集などの世界に親しみ、日本の古代王朝の成立過程に関心を持った。古代の日本に影響を与えた中国古代史に進み、中国最古の字書「説文解字」や甲骨文、金文の研究に没頭。84年、研究の成果を盛り込んだ「字統」を刊行し、毎日出版文化賞特別賞を受けた。
 87年に「字訓」、96年には漢和辞典「字通」を出版、「字書三部作」を完成させた。「字統」「字訓」の出版で91年に菊池寛賞を受賞、三部作で97年朝日賞を受賞。98年文化功労者、04年に文化勲章を受章した。他に「孔子伝」(72年)など著書多数。
 ◇スケールが違った 
 哲学者、梅原猛さんの話 一つ一つの漢字に対する深い愛情と思弁で、字面からは分からない奥に隠れている精神的な世界にまで踏み込み、なぜ漢字が生まれたかを教えてくれた。儒教が生まれて以降の合理的な中国のはるか前の、神秘的な中国を、漢字を科学的に実証的に研究することで明らかにした、まったくスケールの違う学者だった。
 人柄は、曲がったことが大嫌いで、質素で、奥さんが大好きで、孤立無援でも悠然としており、恩義を人一倍感じる人だった。
 ◇一徹な姿勢変えず
 一海(いっかい)知義・神戸大名誉教授(中国文学)の話 遠くから高い山を見上げるような存在だった。私学での研究はともすれば、官学の権威に屈することがないとはいえない時代だった。そんな中で、白川先生は自らの研究を一筋に貫かれた。その一徹な姿勢を変えることがなかったのは、長年積み上げた自らの学問、研究へのひそやかな自信だったのではないか。その意味で、日本の学者には珍しい人で尊敬すべき方だった。
 ◇評伝
 「逆風に向かって飛べ」。まだ白川さんが社会的な評価を受ける前、建て売りの小さな自宅に伺ったとき、さりげなくもらした。
 苦学して夜間の大学に通い、中学教諭を務めながら卒業。誰にも教わらず、甲骨文など中国最古の文字資料に取り組んだ。大学紛争の最中でも研究室は深夜まで明かりがともっていた。ひたすら古典を読み、文字を論じたが、保守派だとみられ、逆風の中で羽ばたいてきたのだと。
 88歳で文化功労者に選ばれ、94歳で文化勲章を受章した。表彰理由のひとつ「独力で完成した」について、「好きなことを、自らの方法でやってきただけ」「学問は、借り物ではできません。どなたでも独学になるはず」と語った。在野のような立場から、権威に対しても真摯(しんし)に挑んできただけに、「私のような者でも、年金がいただけるとは。ありがたい」とも。
 少年のころ、東洋という語に心をひかれた。日本の古代を知ろうと万葉集に取り組むが、もっと東アジア的な視点が必要だ、中国の古い時代を知らなければと考えた。甲骨文や金文の勉強にかかり、古代の文字との長い縁が続いた。
 漢字の成り立ちを明らかにした「字統」、漢字を日本人がどう読んできたかの「字訓」、独自な漢和辞典「字通」。世評に高い字書三部作は、13年余りかけ、80代半ばに完成した。「命なりけり」の感慨という。
 しかし、文字の学問をやる人には「僕の一般書でヒントを得るだけでなく、僕の歩いた道から出発してほしい」と、基礎資料を残すため最晩年まで奮闘した。
 漢字の使用制限など、戦後の国語政策を批判。漢字がこれほどひどい仕打ちを受けたことはなく、その結果、国語軽視の風潮が生じたという。
 漢字の習得が難しいというが、「文化というのは、努力し、困難に打ち勝ってこそ、生まれてくる」と。笑顔で「ほんと、漢字は難しくないのよ。体系的なものですから、それが分かれば、何の苦労もいらない」とも。
 漢字の成り立ちをもとに東洋の精神を古代に求め、文字文化に生涯をささげた碩学(せきがく)だった。【元毎日新聞専門編集委員、総合地球環境学研究所教授・斎藤清明】
(毎日新聞) - 2006年11月2日1時57分更新

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以下、メモです。

 漢字研究においては、白川学説と藤堂学説とが主要な学説としてあるようです。前者は、白川先生の学説。後者は、元東大教授の藤堂明保先生が言語学・音韻学の立場から漢字の成立を研究、体系化されたもので、学研から刊行されている主要な漢和辞典(「学研漢和大字典」「漢字源」など)はその藤堂学説に基づいて作られているそうです。

 以下は、藤堂学説について説明された文章です。引用させて頂きます。



《漢語の意味論--藤堂明保『漢字語源辞典』の方法》(著者:加納喜光氏:茨城大学人文学部教授)
(『国文学解釈と鑑賞』60巻1号、1995・1、原題「藤堂明保・漢字語源辞典の方法」)

 〔はじめに〕

 本書は藤堂明保氏の学位論文『上古漢語の単語家族の研究』を『漢字の語源研究』(学燈社、1963)と題して上梓したのがもとになっている。世の好評を博したため、割愛した部分を補い、改題して刊行したのが『漢字語源辞典』(学燈社、1965)である。類書がそれまでなかったことや、まったく新しい漢字の見方を提供したため、多くの読者を獲得し、現在も版を重ねている(94年7 月現在で50版という)。ただ、辞典の名に引かれて求めると失望を味わうかもしれない。字数は約3600字しかないし、基本的な漢字が落ちていることもある。本書はあくまで読む辞書であろう。漢字の解説で、目からうろこが落ちる箇所が随所にある。
 本書の刊行から一三年後、『学研漢和大字典』(学研、1978)が出版された。こちらはほとんどの漢字に語源解説がついている。したがって便利ではあるが、字典の性格上、藤堂語源学の方法をつかんでいないと、なかなか真髄がつかみにくいし、誤解することがないとはいえない。本稿は藤堂語源学(以下、藤堂学という)の方法がどんなものかを、理解の及ぶ範囲で述べてみたい。

 〔語源学と文字学〕

 実を言うと『漢字語源辞典』(以下、『辞典』と略称する)という書名にすでに誤解の種が潜んでいる(この命名は出版上の都合によるものと思われる)。第一に漢字ではなく漢語とすべきである。藤堂学の究極の目的は音と意味、つまり言葉の面にあって、図形、つまり文字にはない。図形を主として扱う分野を伝統的に文字学という。両者の違いを『辞典』では、「コトバを度外視して字形だけを追究する--という従来の日本や中国における“文字学”の傾向が、きわめて危険な、かつ有害な結果を招いていることは、いまさら申すまでもない。漢字の字形が暗示するのは、たんにそのコトバの語義の影法師だけであって、“語義そのもの”ではない。つまり漢字の字形は、たんに漢語を研究するための、一つの手がかりにすぎないのである」(17頁)と述べている。少し敷衍すると、字形の解釈と意味は違うということである。例えば、「家」を「宀+豕」に解剖し「豚小屋」の意味を引き出すとしたら、意味論ではなく、せいぜいイコノロジ-(図形学)にしかならない。ただし藤堂学が字形を疎かにしているということではない。
 第二に「語源」という用語が問題である。藤堂学の目指すものは意外にも語源ではないのである(「藤堂語源学」と称したのは便宜的なものと了解されたい)。藤堂氏自身の言葉を借りよう。「上古語の語彙の意義を、より具体的に弁別するには、諧声系統の基本意義を把握するという、いわゆる“系譜的研究”が有力な支柱となる。従って系譜的研究は、いわば古典語の語彙の意義素を確かめるのが目的であって、“語源の研究”(歴史手な変遷の跡づけ)とは、そのめざす所が違っている。私は以前不用意に“語源”ということばを用いたことがあるので、このさい訂正しておきたいと思う」(『藤堂明保中国語学論集』汲古書院、1987、226 頁)。「系譜的研究」というのは単語家族の研究と同じである。漢語は孤立語で、音韻の変化はあっても語形の変化がなく、語根が分析できないので、一つの漢語(漢字一つで表される)をいくらひねっても、語源は出てこない。藤堂学は上古漢語にフィ-ルドを設定した単語家族の研究であり、通時的な語源学ではなく、共時的な意味論なのである。

 〔藤堂学の出発点〕

 藤堂学は独創的な学説であるが、無から出たわけではない。ここで二つの出発点を述べ、藤堂学の形成過程を一瞥したい。
 第一は藤堂氏にヒントを与えた清代の言語学である。黄承吉は形声文字は音符に意味があると唱えた。これを「右文説」という。例えば、青-晴-清-精の系列では「青」が意味をもつ。阮元は形声文字の枠を外し、例えば矢-尸-屎-雉などには「直進する」という意味があると論じる。ここに単語家族の考え方が見える。しかし体系的な学説を立てるには至らなかった。藤堂氏はこれらの源流として漢や宋の学者の説も挙げ、「音義説」と呼んでいる。しかしこの名称には問題がある。というのは、日本の文字学者から藤堂学も「音義説」だという批判を受けたからである。音義説というのは、「あ」は「あかるい」意があるとか、「i」は「ちいさい」ことを示すなど、音素レベルで意味を説くのであるが、漢語の場合は形態素レベルの話である。つまり漢語の音というのは形態素に対応するのであり、これに関する誤解が学説上の争いを惹き起こした。
 第二は藤堂氏自身の着想である。『中国語語源漫筆』(大学書林、1955)で詳しく展開されているが、結論だけを述べると、「漢語の系譜が成立する原因は、むかし漢民族が、ある現象・状態・事物などの感性的な一特徴をとらえて、一つの枠に帰納し、それによって汎称したという特異な言語習慣に因る」(60頁)、分かりやすく言うと、類似した物事には類似した名を与えるという命名法があったということである。この着想は形声文字からだけでなく、現代中国語の範詞などの分析から得られたものである。

 〔単語家族と形態基〕

 藤堂学の目標は先に言ったとおり漢語の意味構造の記述にあるが、そのために科学的な手続きを踏む必要がある。言語学のイロハを無視することは許されない。言葉が文字より先にあり、文字は言葉を代替する記号だというのは、言語学のイロハである。したがって音、つまり形態素の究明がなされねばならない。藤堂氏は漢語音韻学の大家でもあったから(『中国語音韻論』江南書院、1957の著がある)、ほとんどすべての上古漢語(周から漢までの漢語)の形態素の復元の準備は整っていたわけである。
 次は形態素の分類である。二つの形態素を比較したとき、発音が似ているからといって、同じ仲間とするわけにはいかない。音韻論上の厳密な枠が必要である。藤堂氏は次の三十の枠を設ける。

 第一類
  陰類 之部 ・g  幽部 og  宵部 ・g  侯部 ug  魚部 ag  支部 eg
  入類 之部 ・k  幽部 ok  宵部 ・k  侯部 uk  魚部 ak  支部 ek
  陽類 蒸部 ・・  中部 o・ --     東部 u・  陽部 a・  耕部 e・
 第二類
  陰類 微部 ・r     歌部 ar  脂部 er
  入類 隊物部・d ・t  祭月部ad at  至質部ed et
  陽類 文部 ・n     元部 an  真部 en
 第三類
  陰類 --    --
  入類 緝部 ・p  葉部 ap
  陽類 侵部 ・m  談部 am

 これらのいずれかに形態素(それを代替する漢字)は入るのであり、枠を飛び越えることは許されない。この表は韻母の枠であるが、声母の枠(これについては省略)も決められており、形態素の分類に科学的な基準が設けられるのである。
 音声上の基準と意味上のつながりで分類された形態素が単語家族である。『辞典』の「はしがき」では、「“単語家族”とは、お互いに似た語形と共通の基本義とを持つ形態素の集まりであり、簡単に言えば“親類と思われる単語のグル-プ”のことである」と述べられている。『辞典』では単語家族の総数が二二三となっている。
 藤堂学でもう一つ重要な概念は形態基である。形態素(記号素ともいう)は一般言語学の用語であるが、形態基は藤堂学の独特の用語である。
 形態基については、「形態基という考え方」(『中国語学』109 、1961.4)という論文で詳説されている。一つの単語家族に集められた形態素は、音形が似ているが、微妙な違。いもある。例えば、主-柱-注-豆-樹-蜀-属などは、類似した音形と意味をもつ単語家族である。これらの音形を抽象すると、代表的な形として{TUG}が得られる。これを形態基という。『辞典』では、「“形態基”はその配下に多くの“形態素”を擁する親概念であり、古代人の脳中に蓄えられていた単語家族の抽象的な一々の型であった」(63頁)と述べている。

 〔漢語の意味〕

 漢字の意味を孤立的、原子論的に捉えるのが従来の文字学の方法であった。したがって分類、配列の法則は存在しない。これに対し藤堂学は音と意味の枠によって漢字を分類し、音韻論の手続きによって配列する。ある一つの漢字はグル-プの成員として位置づけられるのである。
 単語家族を統括する原理が形態基と基本義である。ある一つの漢字の意味をどう捉えるかを、例を挙げて説明しよう。「節」は202(・脂部・至部・真部)の「切・膝・辛・新」などのグル-プに入っている。まず図形の説明がある。図形は意味を暗示する働きがある。「節」は篆書体から「竹+ (食べ物)+卩(膝を曲げる)」の組み合わせと見ることができる。竹にふしがあること、ごちそうの前で膝を曲げて坐るという二つのイメ-ジから、「節」は図形的には切れ目を暗示させている。一方、「節」は形態素/*tset/ を代替する。そこで他の成員との比較検討ののち、形態基のタイプを{TSET,TSER,TSEN}、基本義を「小さく切る、小間切れ」と帰納する。この手続きを経、古典資料を用いて、「節」の意味を「割符」とする。筆者の理解では、基本義が深層意味だとしたら、具体的な文脈で実現される表層意味が、いわゆる漢字の意味である。
 本書は二百あまりの形態基を抽出した。これは言わば古代漢語の基本語彙ではなかろうか。藤堂学は多数の漢字をきれいに分類・整理する方法を確立したとも言える。

http://www.hum.ibaraki.ac.jp/kano/peper/13.htm

(その他の関連サイト)

極東ブログ「白川静学説は「と」学説だと思う」
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2004/02/post_23.html

羊堂本舗(2004-02-06)「ここはひどいインターネットですね」
http://sheepman.sakura.ne.jp/diary/?date=20040206
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