メモです。
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【膳所城の遺構】サイト
http://siro.parfait.ne.jp/oumi_castle/second_page/zezejyou/ikou.htm
「滋賀県の琵琶湖岸にある膳所城は関ヶ原の合戦後に築城され、明治3年(1870)に廃城となるまで存続し、その遺構は数多く残っています。」
このページによると櫓や御殿の建物の一部がまだ残されているようで興味深いです。。。
**
「本丸二層隅櫓」
膳所城の本丸二層櫓は茶臼山公園中腹の芭蕉会館の裏にあるが、初めて見ると異様な建物と写る。(^^; 二層の屋根には鯱を頂き、この鯱が、なんと金色である。本物の金箔が押してあるのかどうかは定かではない。 明治3年の廃城当時、木下にあった膳所一の料理旅館坂本屋が買収移築改造して、高貴な方々の休息,宿泊に当てていたもので、明治天皇も3回御休息になったとか。 昭和39年に茶臼山に芭蕉会館として移築された。
***
「瓦ヶ浜御殿の一部」
現地の案内板には以下のような説明書きがあった。しかし、膳所城の御殿の一部を移築したものではないとの説明もない。 移築説の伝承が間違っているのか、それとも移築されて後、建て替えられたものか、結論は出ていないようだ。 しかし、伝承というのは馬鹿にならず、膳所城の御殿を移築後、建て替えられたと考えるのが妥当ではないか。
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この本陣遺構は、これまで享保3年(1718)に草津の宿場を襲った大火災により焼失し、急きょ、膳所藩より瓦ヶ浜御殿と呼ばれる建物を移築し、建て直されたものであると伝えられてきました。しかしながら、現存する本陣の平面形態が本陣に残される複数の屋敷図面に描かれている平面形態と合致したことなどから、現存する本陣遺構はこの絵図面が描かれた、弘化3年から文久3年(1846~1863)の旧状をよく残しす遺構であることが明らかになりました。
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【膳所城の遺構】サイト
http://siro.parfait.ne.jp/oumi_castle/second_page/zezejyou/ikou.htm
「滋賀県の琵琶湖岸にある膳所城は関ヶ原の合戦後に築城され、明治3年(1870)に廃城となるまで存続し、その遺構は数多く残っています。」
このページによると櫓や御殿の建物の一部がまだ残されているようで興味深いです。。。
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「本丸二層隅櫓」
膳所城の本丸二層櫓は茶臼山公園中腹の芭蕉会館の裏にあるが、初めて見ると異様な建物と写る。(^^; 二層の屋根には鯱を頂き、この鯱が、なんと金色である。本物の金箔が押してあるのかどうかは定かではない。 明治3年の廃城当時、木下にあった膳所一の料理旅館坂本屋が買収移築改造して、高貴な方々の休息,宿泊に当てていたもので、明治天皇も3回御休息になったとか。 昭和39年に茶臼山に芭蕉会館として移築された。
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「瓦ヶ浜御殿の一部」
現地の案内板には以下のような説明書きがあった。しかし、膳所城の御殿の一部を移築したものではないとの説明もない。 移築説の伝承が間違っているのか、それとも移築されて後、建て替えられたものか、結論は出ていないようだ。 しかし、伝承というのは馬鹿にならず、膳所城の御殿を移築後、建て替えられたと考えるのが妥当ではないか。
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この本陣遺構は、これまで享保3年(1718)に草津の宿場を襲った大火災により焼失し、急きょ、膳所藩より瓦ヶ浜御殿と呼ばれる建物を移築し、建て直されたものであると伝えられてきました。しかしながら、現存する本陣の平面形態が本陣に残される複数の屋敷図面に描かれている平面形態と合致したことなどから、現存する本陣遺構はこの絵図面が描かれた、弘化3年から文久3年(1846~1863)の旧状をよく残しす遺構であることが明らかになりました。
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