カームラサンの奥之院興廃記

好きな音楽のこと、惹かれる短歌のことなどを、気の向くままに綴っていきます。

【膳所城の遺構】サイト(メモ)

2006-11-18 14:58:18 | Weblog
 メモです。

☆☆

【膳所城の遺構】サイト
http://siro.parfait.ne.jp/oumi_castle/second_page/zezejyou/ikou.htm


「滋賀県の琵琶湖岸にある膳所城は関ヶ原の合戦後に築城され、明治3年(1870)に廃城となるまで存続し、その遺構は数多く残っています。」

 このページによると櫓や御殿の建物の一部がまだ残されているようで興味深いです。。。

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「本丸二層隅櫓」

 膳所城の本丸二層櫓は茶臼山公園中腹の芭蕉会館の裏にあるが、初めて見ると異様な建物と写る。(^^; 二層の屋根には鯱を頂き、この鯱が、なんと金色である。本物の金箔が押してあるのかどうかは定かではない。 明治3年の廃城当時、木下にあった膳所一の料理旅館坂本屋が買収移築改造して、高貴な方々の休息,宿泊に当てていたもので、明治天皇も3回御休息になったとか。 昭和39年に茶臼山に芭蕉会館として移築された。

***

「瓦ヶ浜御殿の一部」

 現地の案内板には以下のような説明書きがあった。しかし、膳所城の御殿の一部を移築したものではないとの説明もない。 移築説の伝承が間違っているのか、それとも移築されて後、建て替えられたものか、結論は出ていないようだ。 しかし、伝承というのは馬鹿にならず、膳所城の御殿を移築後、建て替えられたと考えるのが妥当ではないか。

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 この本陣遺構は、これまで享保3年(1718)に草津の宿場を襲った大火災により焼失し、急きょ、膳所藩より瓦ヶ浜御殿と呼ばれる建物を移築し、建て直されたものであると伝えられてきました。しかしながら、現存する本陣の平面形態が本陣に残される複数の屋敷図面に描かれている平面形態と合致したことなどから、現存する本陣遺構はこの絵図面が描かれた、弘化3年から文久3年(1846~1863)の旧状をよく残しす遺構であることが明らかになりました。
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大島ミチル氏の交響曲・合唱曲「御誦(オラショ)」(memo)

2006-11-18 12:10:58 | Weblog
 メモです。

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大島ミチル氏の交響曲・合唱曲「御誦(オラショ)」について。

【質問】
昨日(5/10)の「プロジェクトX」で、淀川工業高校合唱部が歌った「御誦」という合唱曲の一部を聴き、感動しました。早速ネットで調べたところ、大島ミチル氏の学生時代の作品だということが分かりました。そこで、大島氏発表20年を機に作品を見直した上で再演したいというコメントを見かけたのですが、その後どうなったのでしょうか。また、「御誦」が収録されているCD等はあるのでしょうか。

【回答】
東芝EMIよりCDが発売されていますが、現在は廃盤になっているようです。
ちょっと調べてみましたら、演奏の音源の一覧がありました。
http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Theater/9587/oshimaorasyo.html​
しかしほとんどが学生などアマチュアのプライベート盤のようですから、店頭でお求めになりたいのであれば参考URLの盤を中古CDでお探しになるのがよろしいかと思います。

http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1380530


☆☆☆

男声合唱曲「御誦」(東芝EMI:TOCZ-9279)

 大島ミチルが大学時代に作曲した交響曲。作曲家としての紹介文の中では、必ずと言ってよいほど取り上げられており、名実ともに大島ミチルの代表作の一つと言えます。
 元はオーケストラのための交響曲ですが、男声合唱曲にアレンジされ、大学の合唱部のコンクールなどで良く演奏されています。男声合唱曲の方が聞く機会が多いかもしれません。
 今回紹介するCDは、東芝EMIから発売されている「合唱名曲コレクション43」に収録されたものです。演奏は社会人の合唱団「アラウンド・シンガーズ」によるものとなっています。
 この他にも、大学の合同合唱コンクールなどで演奏されたものを収録したCDが通信販売などで入手することができるようです。
 また、2003年5月27日、東京渋谷のオーチャードホールで行われる「川上源一メモリアルコンサート」の曲目の一つとして「御誦」が再演されます。
 これは合唱曲ではなく、オーケストラによる交響曲として演奏されるものであり、貴重な演奏会になるのは間違いないでしょう。
 コンサートのチケットは、2003年4月13日現在、残席わずかながらチケットぴあで購入できるようです。
 「御誦」とは、江戸時代に長崎の隠れキリシタンがキリストに捧げた祈りのことです(語源はラテン語のoratio)。
 当時の隠れキリシタンは、家の目立つ場所に神棚や仏壇を設け、表向きは神仏を信仰しているように振る舞ってましたが、納屋などの人の目に触れないところに、マリア像などキリスト教の神体を置き、密かに信仰を伝えていったと言われています。

 Track12"ガラサ道"は、「ガラサガラサ みちたもふ マリア」と繰り返す男声コーラスのフェードインから始まり、緊張感のあるピアノの伴奏とたたみかけるようなパッカーションの掛け合いに圧倒されます。

 Track13"アヴェ・マリア"は、一転してピアノと男声合唱のみのスローテンポの曲。ゴスペルを思わせる荘厳な歌声とメロディーは、まさに宗教歌と言えるでしょう。「Ave Maria Dei opa pro nobis~」から始まる後半パートの展開の美しさは鳥肌ものです。メロディスト大島ミチルの魅力の一面を体現する曲と言えます。

 Track14の曲名である"簑踊"とは、年貢を納めなかった農民に課された、生きたままの人間に簑を着せ火をつけるという残酷な刑罰のこと。苦しむ様が踊るように見えるためにこのような名が付けられたといいます。
 アップテンポでリズミカルな前半部分と、後半部分の沈み込むようなレクイエムの落差が、人の生と死のコントラストを息苦しくなるほど伝えてきます。そして終わりのない弾圧を象徴するかのように再び始まる簑踊……。ストーリー性を強く感じる曲です。

 Track15"獅子の泣き唄"は、平戸島の根獅子地区に伝わる民謡。
 "アヴェ・マリア"とはまた違う、素朴な美しさを持つメロディーを、女声の独唱と男声合唱が様々な役割を持ちつつ歌い上げています。曲の強弱、テンポが緻密に計算された立体的な構成は、技術的にも非常に高いレベルのものでしょう。

 クライマックスを飾るのはタイトル曲でもあるTrack16"御誦"。
 たたき付けるようなパッカーションのソロに続き、"ガラサ道"が再び演奏されます。抑圧されたエネルギーを解放するかのように、Track12より激しく男声合唱と独唱、パッカーション、ピアノがぶつかり合います。
 しばしの沈黙の後、"アヴェ・マリア"のモチーフが登場。先ほどまでは争うかのように互いの存在感を主張していた声や楽器たちが一転して協調し、徐々にテンションを高めていきます。
 そして、ついにラストパートで演奏が最高潮に達します。その様子はまるで、弾圧の嵐が吹き荒れた暗い時代を抜け、解放されたキリシタンたちを神が祝福しているかのようです。

 メロディーの美しさと近代音楽の枠を超えたプリミティブ性、そしてそれを音楽という形にする技術力。大学時代に作曲された曲であるにもかかわらず、音楽家に必要とされるすべてを兼ね備えたこの作品を聞く者は、大島ミチルの「天才」ぶりを思い知らされることになるでしょう。

http://homepage1.nifty.com/kazuki/oshima/

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知っていますか?煙草による化学物質過敏症。
http://chibi.chobi.net/~kabinsho/
http://www.hair-speciality.com/kenko/cigarette.html
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早朝のこと

2006-11-18 08:37:21 | Weblog
 1、2時間眠ってふと目が覚め、どういうわけか寝付けないままに三枝昂之著『うたの水脈』(而立書房)を読んでいます。その中に引用されている永田先生の作品からメモです。

背を抱けば四肢かろうじて耐えているなだれおつるを紅葉と呼べり  永田和宏

 この結句のことば「と呼べり」を見ていると、自然と河野先生の「と言へり」のうたのいくつかが思い出されてきます。なんということなく、永田先生の前者は男歌、河野先生の後者は女歌だ、などと根拠不明の妄念が閃くのはこんな時間ならではのことかもしれません。。。。
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