カームラサンの奥之院興廃記

好きな音楽のこと、惹かれる短歌のことなどを、気の向くままに綴っていきます。

門外不出の秘仏・木造十一面観音立像のことなど(memo)

2006-11-01 10:26:44 | Weblog
 メモです。

 門外不出の秘仏・木造十一面観音立像のことなど。

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《光と邦楽が織りなす幻想、東京・上野で「光彩時空」》
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20061031i515.htm

 東京・上野の東京国立博物館の屋外スペースで31日、光と邦楽のイベント「光彩時空(こうさいじくう)」が始まった。
 午後5時20分、イベントを企画した照明デザイナー石井幹子さんらが点灯ボタンを押すと、博物館の本館のほか、敷地内に建っている東洋館や法隆寺宝物館などが、赤や青の光に照らし出され、同博物館所蔵の仏像や浮世絵の映像が建物の外壁に浮かび上がった。イベントは5日までの毎日、午後5時から行われる。
 同博物館では、一本の木から彫り出された仏像の名品を集めた特別展「仏像 一木にこめられた祈り」(読売新聞社など主催)も12月3日まで開かれている。

(読売新聞) - 10月31日22時58分更新

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特別展「仏像 一木にこめられた祈り」
(平成館 2006年10月3日(火)~12月3日(日))
http://www.tnm.jp/jp/servlet/Con?pageId=A01&processId=02&event_id=3460

 奈良・平安仏から江戸時代の円空(えんくう)・木喰(もくじき)まで、一木彫(いちぼくちょう)の名品が上野に集結します。
 寺外初公開の滋賀・向源寺(こうげんじ)の国宝十一面観音菩薩立像(渡岸寺(どうがんじ)観音堂所在、2006年11月7日(火)~12月3日(日)展示)をはじめ、国宝4体、重要文化財41体を含む146体をご覧いただきます。日本人がこだわった木で仏像を造ることの意味を考えるとともに、そこで培われた良質な木の文化を通して日本人の心や精神性に触れることができるでしょう。
 一木彫は、大地に根を張った生命力あふれる木から造られた仏像です。拝する人を圧倒する力にご注目ください。

画像:国宝 十一面観音菩薩立像:平安時代・9世紀〈滋賀・向源寺蔵(渡岸寺観音堂所在)〉[展示期間:2006年11月7日(火)~12月3日(日)]

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井上靖・作『星と祭』
http://www2.plala.or.jp/baribarikaniza/inoue/bunkobon/bunko400/bunko432/index.html
 皎々たる満月の光が、琵琶湖の面に照り渡っていた。架山は、船の上で、静かに眼を閉じた。湖の北から東へかけて、何体かの十一面観音が、湖を取り巻くように立ち並んでいた。──娘よ、今夜から、君は本当の死者になれ、鬼籍にはいれ、静かに眠れ。
 愛する娘を湖の遭難で失った会社社長架山は、その悲しみをいやすべく、ヒマラヤで月を観、娘とともに死んだ青年の父親に誘われて、琵琶湖周辺の古寺を巡った。そして、今、湖上の月光を身に浴びながら、彼の胸に、ようやく一つの思いが定まろうとしていた…。死者と生者のかかわりを通して、人間の<死>を深く観照した、文学の香り高い名作。

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 国宝・木造十一面観音立像
 滋賀県伊香郡高月町渡岸寺50番地 渡岸寺・向源寺(渡岸寺観音堂安置)
 一躯・平安時代・ヒノキ材一木造・素地:彫眼・像高:177.3cm

http://www.biwa.ne.jp/~kannon-m/douganji-1-1.htm
http://www.biwa.ne.jp/~kannon-m/douganji-1-2.htm

 琵琶湖の北岸、湖北地方に位置する高月町渡岸寺集落の、観音堂本尊であるこの像(向源寺所有)は、日本彫刻史上の大傑作として広く知られている。
 まず本像の構造は、頭上面・化仏(けぶつ)・じとう(耳飾り)・両手首・持物・胸飾を除く全てを台座蓮肉に至るまでヒノキの一材から彫出し、背面から上下二段に内刳り(うちぐ)を施して背板をあてている。
 頭髪部には乾漆(かんしつ)を盛って毛筋を入れており、各所に残る針穴から、今は欠失しているがもとは全身に瓔らくをつけていたと推測される。
 また、一部に胡粉や漆箔が残っているが、これらは後補と思われ、本来彩色や漆箔が施されていたかどうかは不明。
 化仏・両手首・持物は後補。
 次に形相面に目を移すと、なんといってもその小面の配置が特異である。
 本面の両脇に各一面を配するのは、数ある我が国の十一面観音像の遺品の中でもほとんど本像が唯一のものであり、また頂上面が仏面でなく菩薩面(宝冠阿弥陀?)であること、項上面の頭部に五仏(五智如来)がみられることも他に例がない。
 さらに本像は見事な「じとう」と呼ばれる耳飾をつけるが、これは我が国では平安時代初期の園城寺(おんじょうじ・三井寺)黄不動画像・東寺(教王護国寺)兜跋毘沙門(とばつぴしゃもん)天像・観智院五大虚空蔵菩薩像にみられる程度の珍しいものである。
 造形面をみれば、まずその肉体表現の見事さに驚かされる。
 その弾力感あふれる肉身は、豊満でありながら決してゆるみをみせることのない充実して引き締ったものである。
 さらに本像は、その肉体を腰を中心に強くひねるが、身体の各部が巧みに呼応しあってバランスを失わないばかりか、極めて生動感に富んだ造形を達成している。
 しかもそれらはいずれの方向から拝しても決して破綻を生じることはなく、その堂々たる側面観、背面の美しさにも特筆すべきものがある。
 また頭上面もそれぞれ大きく、うず高く積み重なって、その細部に至るまで省略されることなく適格な造形を呈している。
 特に脇面の異形相によって本面がいっそう秀麗な面相に感じられる対照のすばらしさにも心ひかれるものがある。
 このような頭上面の配置や官能的ともいうべき弾力感あふれる肉体表現は一種エキゾチックな香りを漂わせ、本像がインド的なものを多分に有するといわれるゆえんである。
 やはり本像誕生の背景には、9世紀前半における、インドに発し西域を通じて唐から精力的に輸入された密教美街の隆盛を想定する必要があろう。
 本像には平安時代初期木彫像特有の翻波式衣文(ほんばしきえもん)がみられ、また本像と同様のじとうをもつ黄不動画像は承和5年(838)の成立と伝えられ、東寺・観智院像も9世紀に唐から将来された像であったということを考え合わせれば、おのずから本像の時代・系統も推測されよう。
 いずれにしても、本像は数少ない天台系の密教美術の貴重な遺品というだけでなく、広く我が国の仏教美術の中でもひときわ輝く優品であるといえる。
 しかし、それにもまして現在なおも篤い信仰の対象(象徴)として、民衆の手によって守り継がれていることこそは、誠に貴重なものではなかろうか。

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渡岸寺観音堂(向源寺)〈どうがんじかんのんどう(こうげんじ)〉
http://www.biwako-visitors.jp/search/spot.php?id=657

 高月駅から北東650m、真宗大谷派向源寺の所属で、渡岸寺観音堂は通称です。奈良時代、聖武天皇の勅願により、泰澄が十一面観音立像を刻んで観音堂を建立したと伝え、その後最澄が七堂伽藍を建てて以来栄えたといいます。
 戦国時代、浅井・織田両軍の戦いで、寺は焼失しましたが、本尊の十一面観音立像は土中に埋められて災禍を免れたといいます。高さ1.95m、平安初期の一木造で、井上靖の『星と祭』や水上勉の『湖の琴』、土門挙の写真などにより、全国的に有名です。眉から鼻へかけての線は秀麗かつ気品に溢れ、腰を少し左にひねった姿態は、官能的でさえあります。小面の配置に特徴があり、両耳の大きな耳とうがインドや西域の作風を伝えています。
 明治30年(1897)、国宝の指定を受けたものの、昭和に入って観音堂が建てられるまで、仮小堂に安置されていました。他に国の重要文化財の胎蔵界大日如来坐像や県指定の文化財を多数有します。
<国宝>木造十一面観音立像
<重文>木造大日如来坐像

※お知らせ※
 平成18年11月5日~12月10日までの間、東京国立博物館における特別展「仏像 一木にこめられた祈り」に、今まで門外不出とされておりました「国宝十一面観音菩薩立像」が展示されます。その間はこちらにてご覧頂けませんので、よろしくお願いいたします。
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