「古い日記」から。
「らんとう」という言葉を引いてきたかったのでメモです。
■2004/08/19 (木) 関西方面にいざ出発
8月21日22日に京都宝ヶ池プリンスホテルで塔短歌会の50周年記念全国大会があるので、その日程前後にあわせて、京都郊外の父方先祖墓参りと、高野山見学、大神神社見学を盛り込んで、1週間ほどの旅程を立てた。
19日夜23時10分発の夜行高速バスに乗車、新宿駅新南口から京都駅烏丸口まで中央高速経由で7時間弱。京都駅に着いたらバスを乗り換えて、まずは京都市郊外にある、父方の曽祖父以前の人たちが眠っている本家の墓参りをしたい。
いざ出発!!!!
■2004/08/20 (金) 京都に到く
20日朝京都駅からバスを乗り換えて、父方の先祖達の暮らした郊外に向かい墓参りをする。父方の本家は、サバ街道沿いにある。家の敷地内にサバ街道の旧道(廃道)が通っており、鎌倉時代末から庄屋としてその土地で暮らしてきたらしい。少し時間の余裕があったので、自転車を借りて、本家の近くのお寺さんに行ったり、先祖たちの古い墓石を集めてまつってある「らんとう」という場所に出かけたりした。夕方京都市内に戻る。
20日の夜は京都駅八条口の「エルイン京都」に投宿した。明日は、いよいよ塔の全国大会だ。よく寝ておかなければならない。実は、バスの中ではエンジン音が気になってほとんど寝られなかった。全国大会の晩は短歌の話をみんなでして徹夜になるかもしれないので、寝られるときに寝だめをしておきたい。アテネオリンピックのニュースをTVで見ながら早めに寝る。
■2004/08/21 (土) 塔の全国大会初日
朝、エルイン京都の1Fロビーで、歴史研究サイト『なるほど!幕末』 http://bakumatu.727.net/top.htmを通じて知り合ったサイト管理人のヒロさん(兵庫県在住)と常連のつゆの家さん(奈良県在住)と待ちあわせ(初対面)。京都の喫茶店の名店イノダコーヒーのポルタ店(京都駅の地下街。地下鉄八条口改札のそば)に移動し、「イノダの果物ジュース」を飲みながら幕末史研究に関する情報交換をする。ヒロさんから伊東甲子太郎に関する、貴重な史料の現物を見せてもらう。大発見といえる史料で、びっくり。幕末史研究においては、知られずに眠っている史料がまだまだたくさんあるのだろうと思う。
お昼前、ヒロさん、つゆの家さんのおふたりと別れて、塔の全国大会の会場に移動する。
(全国大会案内のURL)
http://www.asahi-net.or.jp/~ea8t-mnk/kyoto2004.html
大会では塔短歌会主宰の永田先生と私が写っている宝物スナップが1枚できました(肖像権があるのでここでは公開できませんが)。前列左から、しゃがんでニッコリの真中朋久さん、同じくしゃがんで親指をグッと突き出している千名民時さん。後列左から三人目、微笑む谷口純子さん、笑い顔の永田和宏先生、そしてその隣りで緊張している私、が写っています。この一枚は、一生の記念になります。
大会初日、広告批評の編集長をやっていらっしゃった天野さんによる、モノ売りの声の例を交えた、文字文化、音(声)文化に関する面白い講演。御年八十歳と思えぬ若々しい茂山千之丞さんによる狂言『寝音曲』。それから馬場あき子さんと千之丞さんの対談。対談で千之丞さんが言われた「なにごとにも好奇心旺盛な助平であれ!!」のことばが、強く印象に残った。その人の好奇心の旺盛さはエネルギー量と比例するんですね。
その晩は、予定通り(?)、真中さんたちの部屋にお邪魔して、朝方4時半頃まで連歌ゲームをしたり、短歌文芸は将来的にどうあるべきかというような話をしたりした。
■2004/08/22 (日) 塔の全国大会二日目(最終日)
前夜おそくまで起きていて就寝は朝の5時。起床は3時間後。慌てて朝食に出かける。洋風バイキングの朝ごはん。スクランブルエッグが私は大好物です。皿に山盛りにして食べました。
9時から、二日目のイベントがスタート。午前中は、読み巧者の方達による「歌集を読む」。午後は、河野裕子先生、栗木京子先生、三井修先生のほか、読み上手の方達による「ライブ歌会」。どうやって歌を読解し鑑賞するか、ということの大切さ、難しさを日ごろ感じているので、読み方について非常に勉強になった。そして、閉会。永田和宏先生に「これから東京に帰るのかい?」と声を掛けられました。私「いいえ、これから高野山に行くんです」。永田先生「あそこは怖いところだから、気をつけてね」。名残惜しい挨拶もそこそこに、私は高野山に向かいました。
私の頭の中は、永田先生の「怖いところだから」ということばがぐるぐるまわっていました。あれはどういう意味????? やっと合点がいったのは、極楽橋に向かう南海電車の中でした。泉鏡花の『高野聖』のことだったんです、きっと。永田先生、あの場で切り返せなくてごめんなさい。
19時半、高野山の成福院に到着。部屋は旧館1階の白雪5号室という、古い感じの部屋。すぐに夕食。風呂をもらって就寝。
(成福院のHP)
http://homepage3.nifty.com/koya-jfk/
「らんとう」という言葉を引いてきたかったのでメモです。
■2004/08/19 (木) 関西方面にいざ出発
8月21日22日に京都宝ヶ池プリンスホテルで塔短歌会の50周年記念全国大会があるので、その日程前後にあわせて、京都郊外の父方先祖墓参りと、高野山見学、大神神社見学を盛り込んで、1週間ほどの旅程を立てた。
19日夜23時10分発の夜行高速バスに乗車、新宿駅新南口から京都駅烏丸口まで中央高速経由で7時間弱。京都駅に着いたらバスを乗り換えて、まずは京都市郊外にある、父方の曽祖父以前の人たちが眠っている本家の墓参りをしたい。
いざ出発!!!!
■2004/08/20 (金) 京都に到く
20日朝京都駅からバスを乗り換えて、父方の先祖達の暮らした郊外に向かい墓参りをする。父方の本家は、サバ街道沿いにある。家の敷地内にサバ街道の旧道(廃道)が通っており、鎌倉時代末から庄屋としてその土地で暮らしてきたらしい。少し時間の余裕があったので、自転車を借りて、本家の近くのお寺さんに行ったり、先祖たちの古い墓石を集めてまつってある「らんとう」という場所に出かけたりした。夕方京都市内に戻る。
20日の夜は京都駅八条口の「エルイン京都」に投宿した。明日は、いよいよ塔の全国大会だ。よく寝ておかなければならない。実は、バスの中ではエンジン音が気になってほとんど寝られなかった。全国大会の晩は短歌の話をみんなでして徹夜になるかもしれないので、寝られるときに寝だめをしておきたい。アテネオリンピックのニュースをTVで見ながら早めに寝る。
■2004/08/21 (土) 塔の全国大会初日
朝、エルイン京都の1Fロビーで、歴史研究サイト『なるほど!幕末』 http://bakumatu.727.net/top.htmを通じて知り合ったサイト管理人のヒロさん(兵庫県在住)と常連のつゆの家さん(奈良県在住)と待ちあわせ(初対面)。京都の喫茶店の名店イノダコーヒーのポルタ店(京都駅の地下街。地下鉄八条口改札のそば)に移動し、「イノダの果物ジュース」を飲みながら幕末史研究に関する情報交換をする。ヒロさんから伊東甲子太郎に関する、貴重な史料の現物を見せてもらう。大発見といえる史料で、びっくり。幕末史研究においては、知られずに眠っている史料がまだまだたくさんあるのだろうと思う。
お昼前、ヒロさん、つゆの家さんのおふたりと別れて、塔の全国大会の会場に移動する。
(全国大会案内のURL)
http://www.asahi-net.or.jp/~ea8t-mnk/kyoto2004.html
大会では塔短歌会主宰の永田先生と私が写っている宝物スナップが1枚できました(肖像権があるのでここでは公開できませんが)。前列左から、しゃがんでニッコリの真中朋久さん、同じくしゃがんで親指をグッと突き出している千名民時さん。後列左から三人目、微笑む谷口純子さん、笑い顔の永田和宏先生、そしてその隣りで緊張している私、が写っています。この一枚は、一生の記念になります。
大会初日、広告批評の編集長をやっていらっしゃった天野さんによる、モノ売りの声の例を交えた、文字文化、音(声)文化に関する面白い講演。御年八十歳と思えぬ若々しい茂山千之丞さんによる狂言『寝音曲』。それから馬場あき子さんと千之丞さんの対談。対談で千之丞さんが言われた「なにごとにも好奇心旺盛な助平であれ!!」のことばが、強く印象に残った。その人の好奇心の旺盛さはエネルギー量と比例するんですね。
その晩は、予定通り(?)、真中さんたちの部屋にお邪魔して、朝方4時半頃まで連歌ゲームをしたり、短歌文芸は将来的にどうあるべきかというような話をしたりした。
■2004/08/22 (日) 塔の全国大会二日目(最終日)
前夜おそくまで起きていて就寝は朝の5時。起床は3時間後。慌てて朝食に出かける。洋風バイキングの朝ごはん。スクランブルエッグが私は大好物です。皿に山盛りにして食べました。
9時から、二日目のイベントがスタート。午前中は、読み巧者の方達による「歌集を読む」。午後は、河野裕子先生、栗木京子先生、三井修先生のほか、読み上手の方達による「ライブ歌会」。どうやって歌を読解し鑑賞するか、ということの大切さ、難しさを日ごろ感じているので、読み方について非常に勉強になった。そして、閉会。永田和宏先生に「これから東京に帰るのかい?」と声を掛けられました。私「いいえ、これから高野山に行くんです」。永田先生「あそこは怖いところだから、気をつけてね」。名残惜しい挨拶もそこそこに、私は高野山に向かいました。
私の頭の中は、永田先生の「怖いところだから」ということばがぐるぐるまわっていました。あれはどういう意味????? やっと合点がいったのは、極楽橋に向かう南海電車の中でした。泉鏡花の『高野聖』のことだったんです、きっと。永田先生、あの場で切り返せなくてごめんなさい。
19時半、高野山の成福院に到着。部屋は旧館1階の白雪5号室という、古い感じの部屋。すぐに夕食。風呂をもらって就寝。
(成福院のHP)
http://homepage3.nifty.com/koya-jfk/