カームラサンの奥之院興廃記

好きな音楽のこと、惹かれる短歌のことなどを、気の向くままに綴っていきます。

歌会記

2006-11-27 12:57:53 | Weblog
 今日は、早稲田奉仕園6階の会議室を借りて日高先生歌会がありました。参加者は、先生、歌会お世話役をして下さっているえじまさん、Y崎さん、Y口さん、そして私。

 今回は、お題「魚」詠草についての議論と、自分以外の参加者(先生を含む)の詠んだ自由題詠草上句への下句付句というものをやりました。付句では、どの上句がどの人に当たるかは抽選で決めました。私に当たった上句は、後でわかりましたが、何と先生のうたでした。それがわかってから、私の額の汗腺から一気に嫌な汗が噴き出して来たことは言うまでもありません。。よりにもよってまことに拙い下句をつけてしまいました。先生のオリジナルと比較してその差は歴然でした。。

 ちなみに今回私が事前に出していた詠草は次の2首でした。

【お題「魚」】

鼻毛伸びたる魚(うを)が店先に跳ねる朝 首都に戒厳令は布(し)かれぬ

 今回、お題「魚」詠草を詠むにあたって私が考えたこと。それは、不穏な社会情勢の街のどこかでもしも「鼻毛」の伸びた魚が跳ねていたらどうか、、、ということでした。よく「鯰が騒ぐと地震が起こる」といわれますが、泥鰌(どせう)も鯰(なまず)も鯉(こい)もみな髭があります。その「髭」を「鼻毛」に読み換えてみたら、もしかしたら思いも寄らないうたのリアリティが得られるかもしれないと考えました。。

【自由題】

しやぼんだまは半島から飛来したるらし 小太りの男を中に封じて

 自由題詠草も、いまの社会的な事柄を詠んでみようと思いました。報道などを見ていると、北朝鮮の金正日総書記は影武者をたくさん持っていると言われています。それを素材にして、北朝鮮から次から次にたくさん飛ばされるしゃぼんだまの中に「影武者」が入っていたら、、、ということを想像してみました。。。  

+++

 今回の歌会で先生が言われたことのうちで印象深かったことが二つありました。一つは、うたの中で「われ」ということばが使われているとき、読み手はわれと社会、もしくは、われと世界とを対峙させる覚悟表明がそこにあると受け取ることができる。「われ」はうたの世界を規定する重要なタームである。しかし、最近のうたには、あえて「われ」を避けていると感じるものが多い。うたを詠むときにはそこに覚悟がなければいけない。。もう一つは、町の名前でもなにでも抽象的に済まさないでもっと具体に踏み込むことが大事。。。ということでした。
 今回も楽しかったです。ご参加の皆様、お疲れさまでした。
コメント
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