駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

捜査陣と弁護士に敬意

2014年05月21日 | 世の中

                  

 今朝は雨に風で、一番嫌な出勤時の天候だった。六十年前の母の教えに従い、濡れた靴下は脱いで足を乾かした。子供の時に教え込まれた禁忌は今も生き、年を取った私を守ってくれる。

 PC遠隔操作事件で容疑者の片山が真犯人だった。難事件をここまで追い詰めた捜査陣とだまされたと悪びれず今後も被告を見捨てないと述べた弁護人に敬意を表したい。マスコミにも同様の視点を期待している。

 隣国の悲惨な沈没事故の経緯を他山の石にする必要があると思う。悲劇を批判するように響いて申し訳ないが、激昂と一辺倒の糾弾では解決はほど遠くなるばかりだ。気のせいかも知れないが、日本のマスコミに集団的自衛権の問題と景気の一時的?落ち込み後、少し冷静さが戻ってきているように感ずる。これが続いて欲しい。

 いつもBSでMLBでの日本選手の活躍を楽しみに見ているが、楽しく見られる理由にジョークとフェア精神を尊ぶ気風があるような気がする。アメリカはとんでもないところのある国だが、見習いたいところもある。

 写真はBSスポーツ看板娘、ネットより拝借

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人間は何で出来ているか

2014年05月20日 | 小考

            

 人間は何で出来ているか?。酸素水素炭素などの元素あるいは蛋白質脂質炭水化物そして水といった化合物も一つの答えだろうが、私が一番に思い浮かべるのは記憶だ。人間は記憶で出来ていると思う。

 たとえ同じ遺伝子を持っていても、決して同じ人間にはならない。同じ思考力体力があっても、同じ記憶を持つことは出来ないからだ。勿論、時代の記憶というべきものもあって、世代の違いも生まれるわけだろう。

 人様々だから、還暦を過ぎてもギラギラと企てたり押しのけたりに精を出す人も居られるだろうが、まあ干支を一回りすれば思い出を反芻することに楽しみを見出すようになるものだ。あんなことがあった、あの街には行ったことがあると思い出す記憶の中に自分が居る。だから人間は記憶で出来ているというのが、科学的ではないかも知れないが、一番当たっているような気がする。

 半世紀以上の記憶を辿り、失われそうな他者の記憶を掘り起こし、感じ考え発言することから理解と味わいが生まれ、寛容と忍耐の精神も培われるだろう。そして意外かも知れないが、明日を切り開く道も見いだせるかもしれない。

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三人寄れば

2014年05月19日 | 人生

                 

 友人達と月に一回くらい山小屋で会って昼飯を食べながら、あれこれ話をしたり作業をしたりしている。当地に移り住んでからの、それも異業種で五十歳頃からだから本当に貴重な友人達である。四十歳を過ぎて親友が出来るのは、さほど多いことではないだろうから幸運だ。

 転勤族とは少し違うが、勤務医も似たようなもので、昔は所謂大学の関連病院に「おまえ、あそこどうだ」。と教授の思いつき?で見知らぬ土地に送られて住み着いた同業者は多い。幼なじみの居ない土地だから、自分で生活圏を作っていかなければならない。何の縁か気の合った友人が出来ることは有り難い。

 友人と言っても必ずしも似ている者同士ではなく、それぞれに得意分野や苦手な分野が異なるし、異業種だと知識の範囲が違うから成る程と言うことも多い。自営業とサラリーマンが半々で、何となく会社というものはそういうものかと教えられることも多い。

 サラリーマンだからと言うわけでもないだろうが、S氏は事務処理が非常に得意で、私がうんざりするような業務連絡や調べ物を喜んでやってくれる。今年で出向会社も定年なのだが、年金など面倒そうな手続きも抜かりなくやっているようで感心する。

 昔から三人寄れば文殊の知恵というが、似たものよりも異なった者の集まりの方が、問題解決能力は高いと感じる。異なるから行き違いも起こりやすいがG氏のように温和で公平無私の人が居て波風を納めてくれるので、だんだんわがままになる高齢者集団も巡航している気がする。

 違いが分かるというコマーシャルがあった。それも大事だが違いを生かせればもっと良いと思う。

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借金は返済してきた

2014年05月18日 | 人生

                   

 長く休むと反動で休み明けの四、五日は患者さんが多くて混み合う。先週初めまではおおよそ二割増しの患者数で、忙しかった。この時期は学校健診もあるので疲れた。週末のセミナーは外科系統の話でもあったし、とても出席する元気はなくお休みした。

 残念ながら疲れたからといってぐっすり眠れるわけでもなく、今朝も六時過ぎに目覚めてしまった。どうも年を取ると七時間以上眠るのが難しい。あれ未だ五時五十分と、もう一寝入りを試みたが眠れず起きてしまった。今日は山小屋に行く日なので、昨夜仕込んだカレーを暖め直し、出発の準備をした。カレー(欧風)は二三度温め直すと美味しくなる。

 普通借金には利子が付くものだが、医院を休んだ場合は来る予定だった患者さんが休み明けに全て来られるわけでなく、10%くらいは他に回られたり待っている内に良くなったりで受診されない。銀行ではないので、全部戻ってこなくても不都合はない。むしろ混雑がいくらか緩和されて有り難いくらいだ。

 患者さんでなく、本当の借金の話をしをすると開業した24年前は銀行の査定も厳しくなく、私の何を信頼したか殆ど信用だけで億近いの資金を貸してくれた。幸いそれは数年前に全て返し終えることが出来た。今、医院を開業しようとしても、簡単には億の資金を借しては呉れず(借りられても、返すのが大変になっている)、医院の建て貸しで開業される医師も多いようだ。

 まあ、こうして個人の借金は何とか返済回収されているようだが、段々額が大きくなって中企業大企業自治体国になってゆくと、棒引きとまでは行かなくても倍返しでなく半返しなどということもあるらしい。経済は素人だが、ひょっとして国の借金は半返しで勘弁などという事態が起きるのではないかと思っている。大きな声では言えないが、インフレというのは二十年の目で見れば半返しにということになるはずで、何だか響きの悪いことは言わないんだなあという気もする。はっきり申し上げて、高齢者には二十年先のことは闇か朧の中で、深刻になれない。お若い方はどう思っているだろう。君達、特に文化系は大学で何をしているのと聞きたくなる。

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プロの思考回路

2014年05月17日 | 小験

                                     

 碁や将棋のプロは中盤の手の広い場面でも実際に選択肢に上がるのは三手程度だという。実は臨床医も同じで、長く臨床をしていると、こういう時はこれかあれかそれ以外だなと数十秒で見当が付く。余計なことを考えないで済むのがプロの能力なのだ。

 診療に完璧はないけれど、経験と知識がものを言うから、練達医は研修医に比べれば何倍も効率的により適切な診療することができる。こうした能力は研鑽と蓄積以外に身に付ける術はないので、消えゆく老兵と共に失われてしまう。今は病院勤務ではないので指導する機会が殆ど無く淋しいが、年に数名回ってくる研修医には短い時間でできる限り大切と思うことを話すようにしている。最大の教訓は失敗から得られるもので、今から思えば正直に話してくれた先輩には頭が下がる。自分もなにがしかを後輩に伝えたい。

 先輩の何気ない言葉は何十年経っても残っているもので今も数多く思い出すことができる。プレスリーではないが「Never say never」など、つい家族の顔を見て言いそうになるのを、戒めてくれたものだ。

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