goo blog サービス終了のお知らせ 

駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

笑顔を見ると

2009年11月20日 | 身辺記
 事務員や看護婦の笑顔を見るとほっとする。彼女達が楽しそうに会話をしていると疲れが取れる。この六年くらい平和が続いている。基本的な業務には変化がないので、結局は人と相性だったのだろうかと思う。
 十九年間に台風で難破したのは二度ほどだが、たいていは時々木枯らしや春一番が吹いて、波風が立っていた。今もさざ波が立つことはあるが、これをなくすことはできない、生きて仕事をしている証だから。それに院長自身にしてからが、完璧にはほど遠く、忙しくていらいらする時もある。
 この平穏無事には心から感謝している。職員間に争いがなければ、仕事に集中できる。自宅に帰ってから安らぐことができる。それはひいては良質の医療に繋がって行くと感じている。
 果たしてこれは僥倖か、長年の蓄積による運営の妙の賜物か。どうもたんなる幸運というものらしい。ただ幸運を呼ぶ何かが、いくらかは身に付いた気がしている。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マスコミはどうかしている

2009年11月19日 | 世の中
 民主党政権になり、マニフェストに従い革新的な政策が緒に付いたが、組織には既得利権がらみの積年の垢がこびり付き、若葉マークの運転手達は四苦八苦している。しかしながらこれは想定範囲内のことであり、初心者としてはまずまず健闘している、轟々の非難には当たらない。
 しかるに多くのマスメディアは民意で生まれた政権の綻びをあげつらい引きずり降ろそうと汲々としている。まるで船長と船員が気に入らないから船底に穴を開けようとしている乗客のようだ。長すぎた前政権の残した難題を初心者が苦労して解こうしているのに、ない知恵を貸すどころか解けないと騒ぎ立て邪魔をして、成績を下げさせようとしているかのようだ。
 欠点をあげつらい、他人の不幸は密の味とほくそ笑むのは一部メディアの仕事であって、多くのメディアがそんなことをしていたら自分の不幸も招くことになるのに気付かないのだろうか。交代要員も用意できていないのに、クルーを引きずり降ろしては、彷徨える幽霊船になってしまう。冗談もほどほどにして欲しい。
 マスメディアはもっと冷静に好意的に現政権に対応すべきだ。批評分析は当然としても、駄目駄目といって生徒が伸びた例がない。悲観的な叱責ばかりの診療が命を縮め惨めなのものにするのは周知のことだ。
 ジャーナリストは歴史を紐解き、変革期に何が起きていたかもう一度思い起こし、おぞましい愚行をなぞるようなことは避けてほしい。
 あるいはマスメディアにも政権交代が必要なのかもしれない。週刊誌よさようならの声が聞こえるような気もする。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オバマのお辞儀

2009年11月18日 | 世界
 オバマ大統領が天皇陛下と握手した時、頭を下げてお辞儀をした。これがけしからんと騒ぐアメリカのメディアがあるらしい。どこの国にも沽券に過敏な人達が居る。あんまり体面に拘泥すると、ひょっとして中身がないからじゃないのだろうかと疑いたくなる。友好国の象徴に敬意を表して一体何が損なわれるというのだろうか。それほどアメリカは偉く抜きんでた国かと不思議な気がする。
 どちらが偉いかなどは底の浅い不毛の争いだ。優越性は比較の問題なのだが、比較する対象に対する知識が最も欠けている先進国はどこだろうかと考える。
 勿論、そうして騒ぐのは一部の人達なのは承知しているが、そうした人達が意外な発言力を持っており、恐ろしいことに実力行使しかねないのだ。
 素朴で善良な単純さが粗暴で無知な単純さと紙一重なのには心しておく必要がある。アメリカはfreeでfairを尊ぶ国だが、その裏にcrudeで時にrudeな顔を持っている。外交の本態が血を流さない争いとすれば、体重無差別の争いなので日本のメディアは不規則ジャブにはスウエイする知恵が要求される。オバマや鳩がお気に召さないとしても、国益を唱えるメディアにこそ深謀遠慮が求められるだろう。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雑草の生命力

2009年11月17日 | 自然
 山小屋の周りの雑草を刈った。雑草という名の草はないと云われる方もあるが、どうも名のある草にこれほどの生命力が溢れているとは思えない。よく見ると可憐な小さい花を無数に付けているのもある。抜いてもなんだか少し根が残ってしまう感触がある。何処に土があるのだろうと思われる僅かな岩の隙間から生えている。おそらく大雨の時流れてきたと思われる土砂を堰き止めて自分の領地にしてしまっている。
 患者さんに農家のお婆さんも多い。よく湿布を所望されるが、殆どが草取りでの筋肉関節痛だ。抜いても抜いてもと云われながら、倦まず続けられるようで、雑草には雑草的精神とでも云うべきもので対抗する必要があるようだ。
 口舌の徒とはよく言ったもので、口数が多いS君はたかだか二、三十分で音を上げ「もういいにしませんか」と言い出す。日頃、液晶を見ながらキーボードばかり叩いているE氏がいつの間にか見えないと思ったら早々と小屋で横になっていた。Y、G、Fそれと私で三時間あまり汗を流し、小屋の周りとアクセスの山道を清掃した。
 いずれまた雑草に覆われるにしても年に一回の手入れで見違えるようにすっきりしたのを眺めるのは心地よい。日頃聴診器より重い物を持たないので、農家の人には笑われるだろうが、重労働をした後の充実を感じ何とも心地がよい。昼飯のちょいと手抜きのカレーが格別に旨かった。皆、黙々とスプーンを動かし一気に食べたので同じように感じたに違いない。
 付け焼き刃の肉体労働者には付けが回ってくるようで、情けないことに昨日から階段をゆっくりゆっくり降りている。
 
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

向田邦子の謎

2009年11月17日 | 人物、女
 BSで向田邦子の特別番組を見た。
 彼女の作と知らず、重役読本を聞いていた。テレビドラマ大根の花なども見たことがある。しかし、私にとって彼女は何よりも父の詫び状、眠る盃など人の心の機微に触れるエッセイと何とも魅力溢れるポートレ-トで強く印象に残っている。
 多くの著作に拘わらず、その私生活には謎があったようだ。事故での急逝の後だったと思うが、どこかに彼女を抱擁する偉丈夫が居たのではないか、居て欲しいと森繁が述懐していた。私も独身と聞いて同様の感慨を持った。魅力ある女性には愛する男が居なくてはと男は思ってしまうのだ。
 後に妹さんが恋人との書簡を公表し、二十二三で始まり十数年後、相手の死で突然終わる不倫形態の恋の存在を明らかにした。これを視聴するに深い想いに満ちたものだったようではあるが、些か切なく不完全燃焼な印象を受ける。不完全燃焼が適当な表現でないとしたら、思い定めたと言おう。プライベートなことで、他人がとやかく言うことではないのだが、作家という公の存在に対して読み親しんだ者の感想だ。どこかの文学部の教授が恋愛よりも友愛の感じがして、向田は優れて観察者であったのではとコメントされていた。確かにそうだったのかも知れない、内に滾る熱情を節度ある行動で鎮めてしまう女性であったのかなと追想した。
 大きな発見は魅力的な声だ。あのまなざしとこの声に、独りになった彼女の前に立ちはだかる男が居なかったとしたら、不思議だし遺憾に感ずる。あるいは恋心は閉じられ、もう新しい恋愛の場所はなかったのだろうか。謎はかえって深まるばかりだ。
 このポートレイトはネットから拝借させて頂いた。このまなざしが言葉を凌駕し全てを語っている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする