駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

全面可視化

2009年11月16日 | 世の中
 高血圧症の講演会の待ち時間に文藝春秋に目を通す。「取調べ全面可視化に反対する」と前警察庁長官が書いている。
 長官ともなれば卓越した識見教養の持ち主かと思えば、あまりそうは感じられず、長く隔絶した世界に居ると視野が狭くなるのではないかと、ちょっと心配になる内容だ。医師の世界にもそういう側面があるので気をつけなければと自省しながら読んだ。
 冒頭「刑事」という警察官作詞の歌が掲げられている。「犯人を追って西東 靴もすり減る夜も更ける カレーライスで元気を出して 今日も終電午前様」。
 確かに本当にご苦労な仕事で大変だなあと思うのだが、身内の作詞というのはいかがなものか。なんとなく恵まれないのにこんなに苦労して頑張っているという雰囲気が漂い、些かいじましいようにも感じる。四十年前の作との由、ここいらで民間から歌詞を募集してもう少し明るい歌に作り直すのもよいように思う。
 記事の趣旨は全面可視化にすると良い取り調べというか十分な取り調べができないということだ。取調室が聖域でついこの間まで上司さえ見ることが憚られたと書いてある。最近はマジックミラーや内視鏡が過半数の取調室に付くようになったそうだが、取りべの録音録画は十五分程度で、全過程の録音録画は行われていない。 色々な現状の説明後、元長官は全面可視化が取り調べを大きく阻害することになるのではないかとの危惧を表明している。
 果たして今までどんな風に取り調べられていたんだろうと思ってしまうのだが、この元長官は思い違いをされている。一体全面可視化に、どんな不都合があるのだろうか。自分の取り調べが下手で点数が付くとでも思うのだろうか。いつでも必ず全面可視化となれば、取調官が録画録音を気にしなくなることを保証する。取り調べにも診察と同じような技術がいるのなら、切磋琢磨するために録音録画を厳重な管理の元で使用してもいいのではないかとも思う。
 暴言の一つや二つ相手によっては、当然と考え、違和感はない。そのためにも全ての可視化が必要だ。馬鹿野郎と言ったから違法な取り調べだなどと言い出すのは人間を知らない人達だ。
 この辺りは確かに問題で、何時誰に公開するかにはいろいろな工夫斟酌があってよいと思う。他人の不幸は密の味の人達の餌食にされてはかなわない。
 重要なことは身内でなく第三者、国民の意向を受け入れる姿勢だ。国民の意向は当たるも八卦当たらぬも八卦で当たる方が1%くらい多い程度らしいが、それでも受け入れていただきたい。
 
コメント
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