駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

雑草の生命力

2009年11月17日 | 自然
 山小屋の周りの雑草を刈った。雑草という名の草はないと云われる方もあるが、どうも名のある草にこれほどの生命力が溢れているとは思えない。よく見ると可憐な小さい花を無数に付けているのもある。抜いてもなんだか少し根が残ってしまう感触がある。何処に土があるのだろうと思われる僅かな岩の隙間から生えている。おそらく大雨の時流れてきたと思われる土砂を堰き止めて自分の領地にしてしまっている。
 患者さんに農家のお婆さんも多い。よく湿布を所望されるが、殆どが草取りでの筋肉関節痛だ。抜いても抜いてもと云われながら、倦まず続けられるようで、雑草には雑草的精神とでも云うべきもので対抗する必要があるようだ。
 口舌の徒とはよく言ったもので、口数が多いS君はたかだか二、三十分で音を上げ「もういいにしませんか」と言い出す。日頃、液晶を見ながらキーボードばかり叩いているE氏がいつの間にか見えないと思ったら早々と小屋で横になっていた。Y、G、Fそれと私で三時間あまり汗を流し、小屋の周りとアクセスの山道を清掃した。
 いずれまた雑草に覆われるにしても年に一回の手入れで見違えるようにすっきりしたのを眺めるのは心地よい。日頃聴診器より重い物を持たないので、農家の人には笑われるだろうが、重労働をした後の充実を感じ何とも心地がよい。昼飯のちょいと手抜きのカレーが格別に旨かった。皆、黙々とスプーンを動かし一気に食べたので同じように感じたに違いない。
 付け焼き刃の肉体労働者には付けが回ってくるようで、情けないことに昨日から階段をゆっくりゆっくり降りている。
 
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向田邦子の謎

2009年11月17日 | 人物、女
 BSで向田邦子の特別番組を見た。
 彼女の作と知らず、重役読本を聞いていた。テレビドラマ大根の花なども見たことがある。しかし、私にとって彼女は何よりも父の詫び状、眠る盃など人の心の機微に触れるエッセイと何とも魅力溢れるポートレ-トで強く印象に残っている。
 多くの著作に拘わらず、その私生活には謎があったようだ。事故での急逝の後だったと思うが、どこかに彼女を抱擁する偉丈夫が居たのではないか、居て欲しいと森繁が述懐していた。私も独身と聞いて同様の感慨を持った。魅力ある女性には愛する男が居なくてはと男は思ってしまうのだ。
 後に妹さんが恋人との書簡を公表し、二十二三で始まり十数年後、相手の死で突然終わる不倫形態の恋の存在を明らかにした。これを視聴するに深い想いに満ちたものだったようではあるが、些か切なく不完全燃焼な印象を受ける。不完全燃焼が適当な表現でないとしたら、思い定めたと言おう。プライベートなことで、他人がとやかく言うことではないのだが、作家という公の存在に対して読み親しんだ者の感想だ。どこかの文学部の教授が恋愛よりも友愛の感じがして、向田は優れて観察者であったのではとコメントされていた。確かにそうだったのかも知れない、内に滾る熱情を節度ある行動で鎮めてしまう女性であったのかなと追想した。
 大きな発見は魅力的な声だ。あのまなざしとこの声に、独りになった彼女の前に立ちはだかる男が居なかったとしたら、不思議だし遺憾に感ずる。あるいは恋心は閉じられ、もう新しい恋愛の場所はなかったのだろうか。謎はかえって深まるばかりだ。
 このポートレイトはネットから拝借させて頂いた。このまなざしが言葉を凌駕し全てを語っている。
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