四十を過ぎてから、本当に蕎麦が旨いと感じるようになった。子供の頃はなぜこんな物を旨いと大人は言うのだろうと思っていた。
幸い当地には旨い蕎麦屋が数軒あり、月に二三回食べに行く。蕎麦のレベルは一口食べれば分かるのだが、暖かい蕎麦と冷たい蕎麦では趣向が違う。冷たい蕎麦が旨い店はまず間違いなく温かい蕎麦も旨いのだが、温かい蕎麦が旨くても冷たい蕎麦が旨いとは限らない。
まあ、蕎麦の旨さはもりやざるで際立つものなのだろうが、寒い時期には温かい蕎麦も捨てがたく美味しいものだ。
蕎麦の食べ方については落語から吉村昭まで、いろいろ講釈がある。まあ基本的に江戸っ子の喰い物なのでつべこべ言わずあっさり粋にさっと食べるのが良いらしい。弟子がもさもさ噛んでいようものなら、先日亡くなった談志はきっと不味くなるからお前はあっちで食えと言っただろう、否、お前は蕎麦食う資格がないと言うかもしれない。
私も蕎麦を全部汁に浸すような野暮はしない。まあ半分浸けるくらいが一番旨い。マジで良い蕎麦はこの方が味と香りを楽しむことができる。ただ碌に噛まずに飲み込むまでは行っていない。本当の蕎麦喰いは喉越しが一番と碌に噛まないらしいが、私は二口三口噛むのでまだ修行が足りない。
外国旅行に行くと懐かしく食べたくなるのが鮨、鰻、蕎麦ということになっている。いろいろ意見はあるだろうが、この三つに優る日本の旨い物はそうはないと思う。どういうわけかこれにも異論はあるだろうが江戸前が一番のようだ。現在の江戸前は旨い物を支える人口の多さから旨い物が切磋琢磨で磨かれるという次第で、江戸の産物から生まれている訳ではないのだが。
ちょいと脱線したが、蕎麦は清潔で外連味のない店の暖簾をくぐり、お姉さんの「いらっしゃい」。を聞いて、五分と待たせず出てきたのをさっと頂き、蕎麦湯で一息ついて、あいよとお足を払い、「まいどありい」。を背に出てくるのがよろしい。