駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

病識の有無を問う

2010年06月02日 | 政治経済
 病識というのは、自分が正常でないことを自覚している感覚で、神経精神疾患ではその有無が診断の重要な根拠である。
 毎日患者さんの訴えを聞いているが、幻覚や妄想ほどはっきりした異常ではないが、普通でない訴え方をしばしば認める。その多くはなんとか自分の苦しさ辛さを分かって欲しい、あるいは私を特別に扱って欲しいという欲求から来た脚色で、問いただし上手に指摘すれば本人も気付き徐々に事実が引き出せる。
 しかし中には、医師がやんわり指摘しても、分かって頂けないことがあり、病識が欠如していると判断することがある。よく使われるのは物忘れを自覚しているうちはよいが、自分の物忘れを棚に上げるようになると病的だという説明だ。朝飯を食べたのにそれを忘れ、家の嫁は朝飯を食べさせてくれないと言い出すと病的だと判断される。
 勿論、心平静に事実を順を追って簡潔に述べられる患者さんも居られるが、当院では少数派だ。中には誠実精一杯に事実を述べようとしても頭の整理が追いつかず、表現が貧しく粗くなってしまう方もおられるが、こういう方には助け船を出して整理していけば、事実が引け出せるので、さほど大変ではない。

 さて鳩山首相だ。首相は小沢輿石会談後、親指を立てて微笑んだと報道されている。社会人には常識が欠かせないが、リーダーには病識の有無が問われる。鳩氏がどのような先行きを思い描いているのか不明だが、誰も鳩氏の言うことを信用しなくなっていることに気付いていないようだ。病識が欠如している。
 参議院選挙のために交代というのはあまりに短絡的すぎる気がするが、信用をなくし洛陽(民主党)の紙価(評価)を落としたことに、慎重重大な対応が必要だ。これ以上評価を下げないような身の処し方を示して頂きたい。それが病識ある対応だろう。鳩氏が裸の王様とすれば、それを放置する閣僚や衆議院議員の面々は、病識を欠いた当事者精神のない政治家と言わざるを得ない。民主党が自壊すれば、どのような危機がこの国を襲うかを自覚しない政治家は政治家ではなく醜い大根役者だ。
コメント (2)
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実のある言葉

2010年06月02日 | 町医者診言
 辻元清美議員が、所属する党の連立離脱により、国土交通副大臣を辞任した。辞任の挨拶で、私の人生でもっとも充実した八ヶ月だったと述べたとの報道があった。
 中身のある言葉だ。周辺で批評批判するよりも、身を投じて当事者として働くことの意義と喜びを表明したものと思う。このような感性資質こそ政治家に求められるものであり、そうした人に責任ある仕事をして欲しいと思う。
 この言葉から野党に留まる辛さと虚しさが、与党に浸かる優越性と危険性を読み取れる。野党呆け与党呆けと揶揄されないように、政治家は辻元議員の言葉を噛みしめて頂きたい。
 どうしても話が現政権に戻ってしまうのだが、彼女が僅か八ヶ月で手がけたこと成し遂げたことは、政権交代によって初めて実現したのだということを再認識したい。
 幸運の女神に後ろ髪はない。悪運の悪魔には長い後ろ髪がある。鳩山さんは未練たらしく、後ろ髪を掴まないように。意味もなく(自分のために)防御だけに粘り強いというのは、最悪のリーダーだ。身を捨てて浮かぶ瀬を示すのが今の最善と思う。
 辻元さんは泣いた後に笑顔があった。気持ちがいい。
 
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