駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

現実にたじろぐ法令

2010年06月26日 | 小験
 法令の勉強をしたことはないが、最大公約規則を抜き出して文書化し、遺漏なくするために重いローラーで地均しして片言接頭接尾語に押し込めた体系なのではないかと推測する。
 抽出した根幹だけでは、個々の事例に対応できないため?、膨大な解釈説明が付随しているようだが、それでも対応しきれない事例があるだろう。
 それは疾患の治療ガイドラインから類推できる。一枚の表にまとめることのできるたかだか千字程度のエッセンスに何万字の説明注釈が付いて本になっているのがガイドラインの常だからだ。それでも、何百例いや何十例に一例は妙な患者さんがやって来て、ガイドラインの適応に難渋するのが最前線だ。
 末期に延命治療を拒否されるのは、元気な時に本人の残した文章や言葉から、あるい病状から了解可能な家族の意向から、時に経験することだ。しかし金が掛かるから止めて呉れにはたじろいでしまう。往診料は幾らか、それなら最後に頼むからどういう状態になったら呼べばいいか教えてくれと言われても、直ぐには言葉が出ない。こんなことでいいのかと思っても婆さんあんたが生んだ子供達の意向だからなあと、何もしないのは九十二歳多臓器不全の自然な最後で犯罪ではないのだからと、とぼとぼ帰る。
 おそらく法令適応現場にも同様のとまどいたじろぐ事例があるだろう。司令部の将軍、官邸の大臣、象牙の塔の学者殿、霞んで見えるだろう最前線は難渋しています。
コメント (2)
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