ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

あの日

2013年03月11日 | ノンジャンル
あの日、午後3時を過ぎて、ひと段落の時だったかと思う。

初めは、自分の頭の中が揺れているのかと思った。
ヤバイ、脳に来たかと一瞬焦ったが、やがてブラインドが
揺れていることに気づき、地震だと分かった。

すぐに止むだろうと思っていたら段々と揺れが大きくなる。
しかも、ずいぶんと長い時間、大小の揺れを繰り返していた。

一時は、阪神淡路を思い出し、ビルが倒れるかもしれないと
思ったほどだった。

東北で大規模な地震というニュースを見ても、カメラの
映像ではさほど大きな被害が出ているようには見えなかった。

東京の本社に連絡を取って、無事を確認したが、出張で
外に出ている者の安否はわからない。

その後、津波が押し寄せてくる映像を見たときは、
信じられない思いだった。
不謹慎だが、ニューヨークのWTCにハイジャック機が
突入した時のような、映画でも観ているような
感覚だった。
とても日本で現実に起こっていることとは
理解できなかった。

その日は仕事が終わった後、予定があったので
一旦外へ出たが、状況が状況だけに、その予定を
キャンセルして、職場に戻った。

被災地では交通は全くマヒしてしまい、東京も帰宅さえ
できない状況だった。

事務所では電話が鳴り、西日本に出張してきていた
取引先の人や、同じ社の出張に出ていた者など、身動きの
取れない人々からの連絡がひっきりなしとなった。

緊急事態の中、どのホテルも満室だったが、なんとか
ひとつひとつ部屋を確保して、帰ることができない人達に
斡旋し、やっと落ち着いた時には自分がタクシーで帰らねば
ならなくなっていた。

あれから2年。被災地では、まだ何も変わってはいない。
だが、変えていこうとする意志があちこちで芽が出るように
具体的になっていることは嬉しい限りである。

命拾いをした友人。亡くなってしまった知人。
いまだ行方不明の多くの人々。

それは、今なお、あの日ではなく、この日なのである。

せめて今宵は、静かに祈りを捧げたいと思う。