ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

自縄自縛

2013年03月06日 | ノンジャンル
ブログの更新もままならないほど、多忙な日々を
送っている。

本当に、盆も正月もないような目まぐるしさに、
辟易しているが、とはいえ、太く生きると決めたはず
だのに、だらしがないものである。

久し振りに中国へと出張したが、飛行機が降下し始め、
何層かの雲を抜けた後、低い高度に広がる霧のような層。
いわゆるスモッグの層である。

昨年よりひどくなっている。
晴れているのに、どんよりと曇っているような空。
降下する飛行機の中で、すでに何かしら
息苦しくなってくる。

外に出ると、息苦しくて乾いた咳が出る。
想像以上だなとマスクをするも、今度は
目が痛くなってきて、涙が止まらなくなった。

幸い、現場は郊外なので、移動するうちに症状は
ましになった。

それにしても、ビニルハウスの中に煙を吹き込んで、
そこで生活するような、そんな環境である。

この空は、日本へとつながっている。
西風がわざわざそれを日本へと運んでくれる。

経済発展に血眼になっているこの国では、環境など
二の次、三の次である。
大気はもちろん、河川や土壌も汚染されるがままである。

日本でもPM2.5がどうのと喧しいが、何のことはない
昔、経済成長期には同じような状況であった。
経済発展とともに、公害などの問題が大きくなっていった。

自縄自縛の経験を持つ日本が、他国の同じ状況に対して
できることがあるとすれば、それは警鐘でしかない。

環境汚染は、結局のところ、自身を害するものであって、
それを骨身にしみて感じなければ本当の意味での改善は
進まない。

それにつけても、エコだ省エネだと努力している
日本の成果は微々たるものであって、大陸から
どっと押し寄せる汚風によって虚しいものになってしまう。

上流で洗濯や洗い物をし、汚物を撒いていることを
知っていて、下流の水を飲むことは誰もしない。

水が販売されるようになってから久しいが、そのうち、
「美味しい空気」が販売されるようになるかもしれない。

やれやれ、終の棲家は日本ではなくなるかもしれない。

昔とはまた違った意味で、棲みにくい世の中に
なったものである。