ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

門出

2013年03月07日 | ノンジャンル
春の陽気に、しばし仕事の喧騒を忘れる。

今日は息子の高校の卒業式。

行ってやろうかとも思ったが、カミさんに行くように
言っておいたので、やめておくことにした。

父親が寄り添うときは、子供たちが困難を
乗り越えようとするとき。
お祝いは、母親が似つかわしい。

この春より大学生。
もはや大人として、子離れ、親離れの門出である。

親ばかを承知で言うが、二人とも人として素直に
育ってくれた。何より健やかであることに
心から感謝している。

飲んだくれていた父親である。
少々曲がってしまっても仕方がないはずだった。
やはり母親の力は絶大である。

季節はめぐり、また桜の開花が近付いている。
散る花に感傷的になるのも年を取ったせいか。

若者がまぶしく見えるのは、自分が輝きを失った
せいだろう。
これからは、対等の人と人として、互いに輝いて
いけるようになれたらいい。

いや、むしろ輝きを失うことを年のせいにしては
いけない。
彼にしろ、自身にしろ、今の自分に挑むことを
やめてしまえば、失うばかりなのである。

生きている限り、自身の輝きを見せていきたいと
思うのである。