ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

プレッシャー

2006年04月25日 | ノンジャンル
今日は、一日客先で会議の連続。。。

朝から、夕方まで、延べ8時間あまり、様々な部門、担当者と、
様々な議題で会議を行い、頭の中はパニック状態。

概ね良好であった進行も、時折、しまったと思えるミスもあり、
最低限のフォローと対応の為に、その日のうちに会社へ戻って、
遅くまで残業と、ハードな一日でした。

ややこしい事は、明日の朝にスッキリした頭でまとめようと
思います。疲れていると、思考も前向きになりにくい事も
解っているので、帰って、飯食って、寝ます。

プレッシャーがかかっていると、集中力は増すのですが、
丸々一日中というのはきついです。
出来れば、今週の後半は、緩和の日にしたいと思っているのですが、
はてさて、どうなりますやら。

なんだか、頑張れば頑張るほど、忙しくなっています。
悪い事ではないのだろうけれど、それなりに減圧も必要な訳で、
気をつけないといけませんね。

爆発してからでは遅いですから。。。


予想通りでした

2006年04月24日 | ノンジャンル
昨日の法要は、予想通り、まるまる一日掛かりでした。

朝から出掛けて、墓前に参って、法要。その後帰ってから、
場所を変えて、法事の宴会。。。宴会というのも変ですが、
7回忌ともなると、故人を偲んでというよりも、たまに揃った
身内がドンチャン、バカ騒ぎといったところでしょうか。

結局、11時頃まで騒いで、家に帰ったのは、夜中でした。
ひたすら食べて、お茶を飲み続け、人の酎ハイを作りながら、
時にはカラオケをして、おしゃべりをしながらも、3時間を越えだすと、
いい加減早く終わらないかと思うばかりで。。。
どっと疲れました。

一滴もお酒を飲まない事に、驚かれるばかりの宴会でしたが、
飲まずに調子を合わせて盛り上げるのも疲れます。

身内だと、何だか余計に神経を使うみたいで、ぐったりです。
予想通りの展開に、今日は仕事を半休にしておいて、
昼から出社しました。

安定剤を飲んでぐっすり寝たせいか、気分的には良好です。
しかし、やはり雰囲気的なものが、記憶を呼び覚ますのか、
何となく母親が恋しく感じる一日でした。
精神の記憶だけじゃなくて、血と肉の記憶というか。。。。

今を生きている自分が、母親の存在の証であるというような、
不思議な実感が再び湧きあがった、そんな日でした。
それが、親の法要ということなのかもしれません。


血と肉と骨と

2006年04月24日 | ノンジャンル
法要が終わって、何となく脱力感に襲われながらも、仕事は
忙しく、切換えに苦労した。

墓参りには、都度行きながらも、さすがに7回忌の節目と
なる法要は、全く別の感慨深いものがあった。
母親が18歳という、人生において体力的にも、肉体的にも、
精神的にも絶頂の時に産んでくれたお陰で、自分は頑丈な
身体を持ち、その頑丈さ故に、人並みはずれた飲酒を
しながらも、仕事や生活に大きな支障とはならなかったという
事実がある。

院長先生も仰っていたが、内臓などに関しては、全く問題
ないようだ。
ところが、鍛え様のない脳は全く別問題だ。長年アルコール漬に
されれば、支障が出てくるのは自明だが、それでも、ぎりぎりの
ところで母親に救われたのか、断酒となった際には、脳波検査、
CT、MRIの結果はまるで問題なく、萎縮などもなかった。
自分でも不思議な気がする。

自分の身体は、自分のもので、どう扱おうが、自分の責任で、
自分で処するという、若い頃の考えとは打って変って、
大切にしようとかいうことでもないのだが、五体満足どころか、
頑丈な身体を与えてくれた母親に感謝すると共に、自分の血と
肉と骨は、母親から分け与えられたものだという実感が、墓前で
母親の遺骨を思う時に、じわじわと湧いてきた。

胎児である自分を、自らの血を吹き付けながら護り、育み、
身と骨を削りながら分け与えてくれたいう事を、何だかひしひしと
感じたのだ。
この世に出でてからも、長い間、自分の血ともいえる、乳を与え
続けて、私が自らの口で食べる事ができるまで、育んでくれたのだ。

母親はこの世にはいない。自分の記憶の中に生きてはいるが、
それも年を追うごとに靄がかかって行く。しかし、今、自分が
生きている事がそのまま、母親が生き続けている事なのだ。
考えれば当たり前の、そんなことを、自身の実感として
理解させる為に、母親は、骨になったのかとさえ思えてくる。
今の自分は、父親でもあるのだから。

では父親には、何を与えてもらったのか? 遺伝的にいえば、
確かに肉体も与えてもらっているのだが、父親に与えられたものは、
精神だと思っている。
人として、生きるという精神を与えてもらったと思っている。
自分の意志は、自分で築き上げてきたものに他ならないが、
その根本的な精神は、やはり与えてもらったものである。

母親に肉体を、父親に精神を与えてもらって、今の自分がある。


法要

2006年04月22日 | ノンジャンル
早いもので、明日、母親の7回忌の法要を行う。丸6年になる。

なんだか、めまぐるしい6年だった。この6年は、自分の人生に
おいても、精神的には激動の年月だったように思える。
そして、断酒一年を目前にした時期に節目となる法要というのも、
感慨深いものがある。

例によって、韓国のお客さんが3名来日し、出張でほぼ終わって
しまったような1週間だったが、木曜日の点滴と、安定剤でぐっすり
寝たせいか、今夜はようやくいつものリズムを取り戻せたようだ。
しかし、法要となると少々気が思い。墓前に参じて、法要を
営む事は何ら異存が無いし、むしろ節目にいろいろと報告したい
事もある。

その後の法事が厄介だ。席を設けて、賑やかに過ごす事になりそうだ。
それはいい。
集るのは、言わずと知れた酒豪の身内が殆どだ。お酒を注ぎ、
注がれの宴席で、お茶を飲んでいるのは、少々憚りがある。
かといって、飲む気は毛頭無いし、母親の法要であるからこそ、
余計に飲む気にもならない。

接待の時と違い、周りは、「一杯くらい。。。」と、飲ませようと
する連中ばかりだ。
それなりに場を盛り上げる努力もしないといけないのに、飲まずに
それをするというのは、考えると、億劫になってくる。
いつもとはまた違った覚悟が必要となる。

今夜はゆっくりと寝て、病院へ行って、腹をくくるしかなさそうだ。
自分の中では、人生、一つくらい死ぬ時までやり通す事があるのも
いいかと考えている。

その過程での、一つのイベントというか、出来事であるに過ぎない。
まずは、体力で気力を維持して、誘惑と、供養だからと言う
手前勝手な押付けを祓い、難局を乗り越えなければならない。

それが、本当の供養であるし、存命中の父親も、安心するだろう。
しかし、この会席の場というのは、断酒者にとっては居心地の悪い
ものである事に変わりは無い。
まあ、一つ一つ経験して、乗り越えていく事で、対処法を学んで
いくしかないであろう。

今思えば、こういう場では、飲んでいた時の方が格段に楽である。
そのかわり、出る料理を一つ一つ味わって食べる事も出来る。
食事と話で、乗り切るしかないであろう。
そろそろ、眠気がピークだ。素直に寝る事にする。


なんだかねえ

2006年04月21日 | ノンジャンル
忙しい1週間を終えて、週末です。

23日は、母親の7回忌法要と、月末という事もあって、来週も
またまた忙しくなりそうです。

これといって、趣味もないので、最近思うに、心から楽しいと
感じて過ごす時間がないような。。。
面白いなあとは思えることはあっても、「楽しい!」と思える
事がないんですよねえ。

ある意味、淋しい人生送ってます。
日々、健康で、家族にも、大きな心配事もなく、無事に過ごせる
事は、感謝しているんですが、何か自分の楽しみがないと、
やっぱり人間的に余裕がなくなりますね。

面白みのない人間だと自分でも思います。一滴も飲まずに、
頑張っている!、仕事も頑張っている!家族の事も気に掛けて、
出来る事はするようにしている!なんて、思えば思うほど、
自分が虚しくなります。かといって、自分を偽る気にもなれません。

もう、人にどう思われているかとか、どうでもいいんですけど。
それでも、それがひどく気に掛かる自分がいます。
それなりに長い事、自分と付き合ってきていますが、
まだまだですねえ。