ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

峠を越えて

2006年04月09日 | ノンジャンル
考えれば、様々な問題も多く、非常にハードな一週間で、
特に精神的にはぐったりと疲れてしまったが、最後の最後に、
大きな問題をクリアできた事で、金曜日の夜は、
本当にほっとした。

しかし、これが曲者で、接待などの場合は、予め気合を入れて
いるし、覚悟も決めているので、大してお酒の席にいても何とも
思わないのだが、何か大きな仕事や、問題が一段落した時には、
必ず祝い酒ということで、繁華街に繰り出していたから、
その癖というか、そういう気分がむずむずと湧きあがって来る。
お酒は飲めないから、ウーロン茶で、歌でも唄おうか、
綺麗な女の子のいる店に行って、おしゃべりでも楽しもうかと、
あれこれ考え出す。

こういう時が反って危険である事は理解していても、どうしても
これまでの習慣的なものの方が勝って、いつものようにすんなり
家に帰る気分になれない。迷った挙句、軽く食事をして、
知り合いの外人バーへと行った。この日は、不思議と外人客が
多く、店そのものが、外国にあるような錯覚さえ起こさせ、出張の
一日の仕事がおわった後に、バーでくつろいでいるような気にさえ
なっていた。
結局、遅くまでそこで過ごしたが、一人でほっとした気分の余韻を
楽しむ意味においては、良かったと思っている。

問題が解決して、良し、うまく行きそうだという安堵感と、
嬉しさというのは、お酒をやめ続けているものにとっては
非常に危険だ。前振りとして、精神的な緊張感と心配、
不安がある程度の日数をかけて連続している場合、それが
ある日すっと解消されれば、すぐ、祝杯だ!という気分に
のまれそうになる。

あやういあやうい。

習慣とは恐ろしいもので、同じようなケースに遭遇すると、
途端にその時の心情が蘇ってくるものだ。ようは、何の
前触れもなく訪れるケースだから、こちらも、心の準備が
出来ていない。
う~ん、こういうケースもこれから多々あるだろう。瞬間的に、
お酒以外で、祝杯か、おしゃべりか、唄うかなどなど、別の形で
乗り越える事を第一に考えないといけない。
またまた、新たなアプローチが現れたようだ。

こういった様々なケースを経験しながら、それを乗り越える事で、
一つ一つ、長すぎた習慣を変えていくしかないであろう。
お酒が、不可欠であった習慣というものは、あまりにも長かった
のである。そして、事ある毎に、それを潰しながら変えていく
地道な事でしか、今のところ、対策はないようである。
いずれにせよ、いくらきわどい場面やケースに遭遇したとしても、
自分の中に敷いた、最後の一線だけは踏み外してはならないのだ。
その一線までなら、何なりと言い訳もし、ふらつく事もあるで
あろうが、その一線は、自分にとっては、自己の生存のぎりぎりの
条件となる、一線なのだ。