ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

悪夢

2006年04月15日 | ノンジャンル
さすがに疲れが出て、金曜日の夜は、それなりに早く寝むつもりが、
結局、休み前という事もあって夜中の2時頃に床についた。

それなりに疲れていたので、安定剤は飲まずに、比較的安らかに
眠りに落ちたのだが、明方にトイレに目が覚め、再び床に
ついてから、悪夢が始まった。

忙しい日が続いてきたせいか、仕事の夢を見始め、そのあたり
まではよかったのだが、仕事を終えて、いつのまにか飲み屋で
焼酎を飲んでいる。それも、場面的にはかなり飲んだ後の状態で、
自分自身、酩酊しているのがわかる。
頭はふらふらするし、足元もおぼつかなく、家まで帰られるか
どうかを自分で危ぶんでいる場面だ。

今までと違うのは、それを夢だと意識している部分が希薄なのと、
酩酊していることだ。
お酒を過ごして、自分が酔っている事を自覚しているという事は、
飲んでいる時はたびたびあったが、断酒してからというもの、
夢を見たとしても、その感覚は無かった。

記憶には残っているであろうから、夢において再現する事は
可能であろうが、また新たなるパターンに、正直、驚かざるを
得なかった。
「これは夢だ」という意識があることはあるが、極めて希薄で、
ほぼ夢にのまれてしまっていたし、より現実的に思える一因
として、酩酊している気分の自分がそこにいる。
考えている事は、
「ああ、こんなに飲んでしまった。」
「また一から出直しか。」
「まあ、もう一度初めからやり直すしかないな。」
「今日は診察の日だけれど、これじゃあ、病院にもいけないなあ。」
と、意外にさばさばとしていて、前向きなものだ。

後で目が覚めて夢だとわかったとき、その、さばさばとしていた
ことや、変に前向きであった事が、余計に腹立たしく感じた。
これまで、お酒に口をつけるか否かの瞬間を、最も重要視して
突き詰めて考えてきた自分を、それほどあっさりと裏切っておいて、
その後に何とも思わないのかという、情けなさと、苛立たしさと、
落胆に身悶えしそうであった。

目が覚めて、それが夢であった事を理解するまでに多少の
時間を要した。
それほど、自分の思考的にも、意識的にも、より現実性が高い
夢であったのだ。

夢であった事に、以前もそうだったように、ホッとしたが、今回は
落胆の方が遥かに大きかった。ホッとした反面、精神的にはかなり
大きなダメージを受けた。
やはり、歴然と依存症の回路は脳に深く刻まれたまま、
残っているのだ。理解はしているつもりであったものの、
こういう形で見せつけられると、今更ながら、愕然とする
思いであった。
刺青であれば、もう消す事は出来ないという事実を常日頃から
まざまざと見せつけられるが、依存症回路ともいうべき
この脳疾患は、普段目にする事は出来ない。
そして様々なパターンで、意識レベルが低下している時に
より鮮明に顕在化する。気付かないまま、意識しないまま
過ごす事は出来ても、実在する以上、無意識の視点から、
アルコールを取り入れる隙を常に狙っているのだ。

とにかくも、実際には、一滴も口にしていないのが現実であり、
日ごろの覚悟が最後の拠り所であることに、変わりは無い。