ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

一人が万人

2015年12月14日 | ノンジャンル
仕事柄、出張が多く、国内はもとより
海外各国への出張も、特別なことではなく
日常となっている私にとって、様々な人々との
関わり合いにおいては、常にその人自身を
見るように心がけている。

言葉はもちろん、文化、風俗、習慣、
生活様式なども異なる相手と、
ましてや考え方もともすれば違背しがちな
相手との関わりにおいて、まず大切なのは誠実さと
考えている。

こちらの誠意に対し、誠意を持って答えて
くれるのかどうか、これは商取引に限っての話だが、
その相手と信頼関係を築き、長い取引関係を
継続できるかどうかの要である。

無論、その国によって、独特の傾向性という
ものはあり、それを認識、理解することも大事である。
いわゆる、一事が万事的な面は多く見受けられるのだ。

しかしながら、一人が万人ということはまずない。
同じ国の人であっても、信頼できる人もいれば、
いい加減で信頼できない人もいる。

要するに、どこの国の人かということではなく、
その人となりなのである。

外国だけではなく、日本でもそれは同じ
ことである。

政治面や、一個人を見て、それが全てと考えるのは
本より大きな過ちであることは自明である。

時折、街頭などでヘイトスピーチなるものが行われ、
それを阻止しようとする対抗スピーチが同時にされる
異様な光景を目にするが、これも一事が万事的思考を
そのまま一人が万人という思考にスライドさせるという
根本的な誤りの実例だろう。

人が人の誠意に対し、自らの誠意を持って答えようと
考えるのは万国共通であり、それを裏切るものは、
その人自身の問題であって、その国の問題ではない。

ナチスドイツにあって、まともなドイツ人はいたし、
帝国日本にあって、沈着な平和主義者もいたのである。

まずは、その人を見る。そこから、関係は始まるし、
それが信頼へとつながるかどうかは、
また別の問題なのである。