ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

唯我独尊

2015年12月08日 | ノンジャンル
お酒に飲まれていた頃は、いわゆる悪い意味での
唯我独尊であった。

飲まずにはいられない自分と、そうなってしまった
自分を自分で憐み、周りや世間を呪い、他を見下す
ことでしか、自分を支えられなかった。

そこには、純粋たる自分と、濁悪の世間という
一種のドラマチックな陶酔もあったかに思える。

泥の中の世間に咲く、一輪の白蓮とでも言おうか。
現実は、泥に染まるばかりか、泥をかき乱して
いたのであるが。

今は、その本来の意味にようやく立ち返って
きたということだろう。

繕わず、飾らず、ありのままの姿で、尊い生き方の
できる、他の誰でもない自分自身ということである。

そして、それは無論自身ばかりでなく、
他の人達においても同じだと知ることを、
唯我独尊というのである。