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ナポレオンが大物になった背景-13(ギリシャのユダヤ人とサンジョルジョ銀行)

2023年12月23日 | シチリア、コルシカ~欧米ネットワーク

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「反ユダヤ主義が高まっているからコルシカにユダヤ人移住を」…!? - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

の続きとして

 

ナポレオンとコルシカ、ギリシャを調べていて、キーワードとしてでてきたものに「サンジョルジョ銀行」があります。

サン・ジョルジョ銀行 - Wikipedia

サン・ジョルジョ銀行(イタリア語:Banco di San Giorgio[1], 英語:Bank of Saint George)はヨーロッパ最古の認可された銀行である。1148年に創立され、ジェノヴァ共和国の財政を一手に引受けた。教会大分裂時代の1407年にフランスの干渉を受けて社名を変更している。預金供託金庫のモデルとなった。

(中略)

組織
本店はジェノヴァ初代ドージェ、シモーネ・ボッカネグラ(イタリア語版)の叔父グリエルモ・ボッカネグラ(イタリア語版)の指示で13世紀に建てられたサン・ジョルジョ宮殿(イタリア語版)にあった。

モナコのグリマルディ家を含むジェノヴァの著名な家族のいくつかが、この銀行の設立と統治に関わった。

サン・ジョルジョ銀行はその資金と直接投資を管理した4人のコンスルによって治められた[3]。共和国の有力な寡頭統治者たちはしばしば同行の要職を兼ねたので、銀行と共和国それぞれの影響力を区別するのは困難がつきまとった[4]。

サン・ジョルジョ銀行は設立当初から国に対し短期の当座貸越を与えていた。現金不足をしのぐために1408年から一般預金を受け入れだしたが裏目に出た。15世紀前半、銀貨の相対的下落に伴いフローリン金貨が値上がりし続けた。銀行は膨大な損失を蒙り、何度も取り付けに遭い、公債利子の現金払いすら難しくなった。この歴史を反省して、1539年にはスクード金貨[5]のみを扱う5種金貨建て口座を、1606年にはジェノヴァの銀スクード貨建ての口座とスペインのレアル貨建ての口座を新設した[6]。これは1604年にリヨンで為替相場を統一したことにともなう措置である。

事業

ジェノヴァの海外領土のほとんどは直接または間接にサン・ジョルジョ銀行が治めていた。15世紀を通して、共和国はその領土の大部分を段階的に同行の支配から取り戻した。しかし1453年、コルシカ、ガツァリア(イタリア語版)(クリミアと黒海周辺にあったジェノヴァ植民地)及びいくつかの領地の統治を同行の幹部たちに委ねた[7]。タマン半島はギソルフィ家(英語版)の支配下にとどまったが、一方でその君主の一族は同行の監督下にあった。

(中略)

16世紀後半からポルトガルやスペインの貿易事業も融資を受けており、17世紀には海洋貿易に深く関わり、オランダ東インド会社やイギリス東インド会社などと競争した。これには当時の日本とのいわゆる「南蛮貿易」も含まれる。

ナポレオンのイタリア遠征後、フランス銀行を中央銀行とするため、1805年にサン・ジョルジョ銀行は閉鎖された[8]。

 

(追記:

ナポレオンの先祖のフランチェスコ・ヴォナパルト(貴族)は、サンジョルジョ銀行で傭兵をし、1490年に銀行が支配していたコルシカ島に行き、アジャシオにあったサンジョルジュ銀行の代表者のGuido da Castellettoの娘と1493年に結婚したようです。

House of Bonaparte - Wikipedia

Sebastiano Nicola Buonaparte - Wikipedia

Sarzana - Wikipedia

 

 

15世紀にこの銀行に大きくかかわったのが、ギリシャ系ユダヤ人のギゾルフィ家。

Ghisolfi - Wikipedia

抜粋google翻訳:

デ・ギゾルフィ(デ・ギゾルフィ、デ・ギゾルフィ、ギグルシス、ギルグルシス、ギクスルフィスとしても知られる)は、中世後期からルネサンス初期にかけて著名なジェノバ・ユダヤ人の家族の名前である。

1419年、ジェノヴァのユダヤ人シメオネ・デ・ギゾルフィは、ビハカニムというタマン半島のトゥムタラカン自治体の君臨王女と結婚し、おそらくマトレガの町を中心とするこの地域を占領した[1]。 デ・ギゾルフィ一族は、15 世紀のほとんどの間、ガザリアのジェノバ領事館の保護領としてこの公国を統治しました。 1453年、ジェノヴァ共和国はクリミアの所有地を、多額の負債を抱えていた民間企業であるサンジョルジョ銀行に譲渡した。

ギゾルフィ家は銀行に代わってマトレガとその周辺地域を統治し続けた。 ホジ・ココスなどの仲介者を通じて、彼らはモスクワや他のロシア公国の支配者との関係を維持した。 ザカリアス・デ・ギゾルフィ シメオネの子孫であるザカリアス・デ・ギゾルフィは、1480年頃からタマン半島の王子兼統治者であった。

 

ギゾルフィの支配は、タマン半島だけに限らなかったのではないでしょうか。

タマン半島 - Wikipedia

タマン半島(タマンはんとう、英語: Taman Peninsula、ロシア語: Таманский полуостров)は、ロシア南部のクラスノダール地方にある半島。北のアゾフ海と南の黒海を分けるように東から西へ向かって伸びており、西はケルチ海峡を隔ててクリミア半島(クリミア共和国)と向かい合っている。クバン川が注ぎ込んでおり、半島各地には泥火山が見られ、天然ガスや石油も埋蔵されている。

ポントスから渡ってきたギリシア人がこの半島にヘルモナッサ(Hermonassa, Germonassa)やファナゴリア(Phanagoria)といった植民都市を築き、後にはハザールやキエフ大公国の都市トムタラカン(Tmutarakan)も築かれた。現在は港湾都市テムリュクが半島北部のクバン川河口付近にある。また半島の南の付け根にはリゾート都市アナパがある。

歴史
古代ギリシアの文献には、マエオタエ(マイオタイ人、Maeotae)やシンディ(シンドイ人、Sindi)といった先住の民族の名がみられる。ここにギリシア人たちが植民市を築き交易をおこない、後にはボスポロス王国の一部となった。

4世紀にはフン族がこの周囲を征服し、その後は大ブルガリアが、さらに7世紀半ばにはハザールが支配した。969年頃にハザール・ハン国が分解すると一時的にハザール・ユダヤ人の後継国家が建ったが、980年代末にキエフ・ルーシが半島を征服しスラブ人の国・トムタラカン公国が成立した。さらに1100年頃にはキプチャクが、1239年にはモンゴル帝国が侵入し、1419年にはジェノヴァ共和国の商人がタマン半島を含む黒海北岸に植民地を築いた。

15世紀を通して、クリミア半島に築かれたジェノヴァの都市・ガツァリア(Gazaria)に拠点を置く、ユダヤ系ジェノヴァ人のギゾルフィ家(Guizolfi, Ghisolfi)が、サン・ジョルジョ銀行の監督下でタマン半島を支配した。彼らはユダヤ人の執政官を通じてタマン半島を治めたが、彼らの存在は後に、ハザールのユダヤ教徒がこの時代までロシア南部に残っていたかどうかを巡る論争の元となっている。

1483年にはクリミア・ハン国がタマン半島を征服し、1783年にはオスマン帝国領となった。第二次露土戦争のさなかの1791年にロシア帝国がタマン半島を占領し翌年にはオスマン帝国に返還したが、1828年にはアドリアノープル条約でロシア領となった。ロシア領となったばかりの頃はタマン半島は人影はまばらで、入植したクバーニ・コサックが築いた集落(スタニツァ)タマン(Taman)が最大の町であったが、港湾都市のテムリュクがタマンに代わり最大の町となった。

なお、以前紹介した世界最古の銀行に、このサンジョルジョ銀行は入っていませんが、「消滅した銀行」であったからのっていなかったのか。

銀行とユダヤ人-2 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

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銀行とユダヤ人-4(ベンジャミン・ディズレーリの祖父とコーヒーハウス) - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

おそらく、サンジョルジョ銀行は、「ジェネラリ」とともに「ロイズ」と無縁ではなかったでしょう。

ロイズとジョン・ジュリアス・アンガースタイン-1 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

ロイズとジョン・ジュリアス・アンガースタイン-2(Thompson/Thomson) - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

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