たまたま前回書いた記事
「反ユダヤ」は時に便利に使える言葉・ケイト妃にユダヤ系親族がいると困る? - Various Topics 2 (goo.ne.jp)
に出てきた「ゴールドスミス」。
古い銀行をチェックしていて、次の銀行、
List of oldest banks in continuous operation - Wikipedia
ホーア銀行のウィキペディアを見ていた時に、ゴールドスミス(金細工)会社という名が目につきました。
抜粋:
After finishing his apprenticeship, Sir Richard Hoare was granted the Freedom of the Goldsmiths' Company on 5 July 1672, which marks the foundation of Hoare's Bank. Richard established his business at the sign of the Golden Bottle in Cheapside, London.
(蛇足ですが、ホーア一族は、フィリッポ・ナルディに資金を渡したMI6のサミュエル・ホーア氏も一族でしょうか。
Samuel Hoare, 1st Viscount Templewood - Wikipedia)
トリエステの近現代史-13(ムッソリーニとMI6とフィリッポ・ナルディ) - Various Topics 2 (goo.ne.jp)
)
ゴールドスミス会社のことは、以下のWikipediaでは具体的なことがわかりませんでしたが、
Worshipful Company of Goldsmiths - Wikipedia
Harache家のWikipediaで、若干わかりました。まだすべて観てないのですが。
抜粋Google翻訳:
ハラチ家はユグノー系の金細工師の家系で、その多くは迫害を避けるために 17 世紀末にフランスからロンドンにやって来ました。 彼らは、当時の英国で最も重要な銀細工のいくつかを担当していました。 一家は約100年間、ロンドンでシルバープレートの生産に携わっていました。
ニコラ・ハラシュ 1685 年 10 月にアンリ 4 世の孫であるルイ 14 世がナントの勅令 (1598 年) を撤回したことで、プロテスタントのフランス国外への流出が促進され、フランスに対するプロテスタント諸国の敵意が強まった [1] 。 このプロテスタントへの迫害のため、ハラチ家はイギリスのロンドンに移住しました。 迫害の結果としてロンドンに旅立ったハラチ家の最初のメンバーはニコラスだったようです。 彼は、1667 年 8 月から 1668 年 11 月にかけて、妻のマリー マスクリエと娘のマリーを連れてやって来ました。息子のトーマスは 1668 年にロンドンで生まれ、11 月 29 日付けのスレッドニードル ストリート教会の洗礼リストに彼の名前が記載されています。
Goldsmith会社なるもののことは知りませんでしたが、金や銀細工師が銀行を起こすケースは少なくなかったようです。たとえばこちらも。
参考: