昨夜、日本テレビの『極限アーティストベスト20』なる番組で、世界のアーティストを紹介していました。
私はこの番組は前半だけ時々観る程度だったのですが、番組で紹介されていた“アート”は、コンピュータを使ったものが目立っていたため、
「私はコンピュータを使ったものを“芸術”と呼ぶのには抵抗がある。」
とつぶやきました。
これを聞いていた息子、「あーあ、やだやだ、昔の人は時代についていけなくて困ったもんだ」と私を化石扱い。
昔、同じ職場の人達でテニス旅行の飲み会で、酔ったクラシック好き(本人もピアノか何かを演奏をしていた)男性が、
「カラオケは音楽を冒涜している」
「僕は、エレクトーンは楽器と認めない。あれは機械だ」
と演説をしだしたことがありました。
(彼は私がエレクトーンを習わされていたことを知って言い出したわけではありません。)
この同僚、普段はおとなしい人だったのでこの豹変ぶりには驚きましたし、「カラオケが音楽の冒涜をしている」なんて思いもしなかったですが、「エレクトーンを楽器と認めない」という部分には半ば納得(私はエレクトーンは楽器であると思うけど、同時に機械でもある、と思っています。)そして、彼の嘆き(この時はお酒の力で「怒り」となっていましたが。)は、当時の私にも理解はできるものでした。
今、あの時の同僚と同じような嘆きを、私は強く感じています。
(“機械やコンピュータを使った作品”を“広義の意味での芸術”とする分は構わないですが、“人間の手による作品”とそれらを同列に扱うのは抵抗があり。)
さて、コンピュータといえば、芸術の分野だけでなく、チェスや囲碁のようなものも名人がコンピュータと争うようになりました。
仕事についても、「仕事をすること自体が楽しい」という感情も無視され、OA化、ロボット使用が加速。
ついには、人間の脳にも・・・。
人工知能によって「人間が神に近づく」という人がいますが、私は「人間のロボット化促進」にしか思えません。
ハフィントンポスト(2015年10月16日)
「2030年代、サイボーグとなった人類は"神"に近づく」未来学者レイ・カーツワイル氏が"来るべき世界"を語る
http://www.huffingtonpost.jp/2015/10/16/ray-kurzweil_n_8310564.html
こうしたレイ・カーツワイル氏のような考え方が主流になっていくのだとしたら、恐ろしいと思います。
(バイオテロ攻撃察知の研究のためですが、彼は米軍の研究に携わっていたことがあったようです。今はGoogleの開発者。)
私には、彼や彼らに近い考え方を持つ人達が、現代版フランケンシュタイン博士に思えます。