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フランス映画『ミナ』とユダヤ人-7(マルティーヌ・デュゴウソン)

2024年06月28日 | 芸術・本・映画・TV・音楽

この映画の原作、脚本、監督を務めたマルティーヌ・デュゴウソンの情報は少ないです。

彼女が1958年5月8日パリ生まれの映画監督、脚本化であることと、作品についての情報ばかり。

Martine Dugowson — Wikipédia (wikipedia.org)

Martine Dugowson - IMDb

 

ただ、映画の内容からもいわかりますが、ユダヤ人の女流映画作家の紹介欄に乗っているので彼女はユダヤ人。

Filmmakers, Independent European | Jewish Women's Archive (jwa.org)

抜粋:

Among the more recent generation of Jewish women directors in France, some are children of survivors who migrated there. Others are émigrées from Morocco. Two who stand out are Martine Dugowson (b. 1958), who directed Mina Tanenbaum (1993), Portraits Chinois (1997), and Louba’s Ghost (2000) and Yolande Zauberman, who directed Ivan and Abraham (1993), Clubbed to Death (1997), and La Guerre à Paris (2002).

Dugowson delves into themes of women’s friendship and the passage of time. In her first and third films the young protagonists are born into families of Holocaust survivors. Whether first or second generation, this trauma of their family histories affects the way that they see the world. In Mina Tanenbaum Dugowson juxtaposes the moody artist Mina of Eastern European roots with her best friend Ethel, whose family is from North Africa. Ethel is more social, but her life is weighed down with a feeling of not belonging. Mina and Ethel share friendship in their “outsiderness” but come from different cultures, which dictate their life choices. These themes recur in Louba’s Ghost.

Google翻訳:

フランスにおける最近の世代のユダヤ人女性監督の中には、移住した生存者の子供もいる。モロッコからの移民もいる。特に目立っているのは、1993年『ミナ・タネンバウム』、1997年『ポートレイト・シノワ』、2000年『ルーバの幽霊』を監督したマルティーヌ・デュゴウソン(1958年生まれ)と、1993年『イワンとアブラハム』、1997年『棍棒で殺す』、2002年『パリ戦争』を監督したヨランデ・ザウベルマンだ。 デュゴウソンは、女性の友情と時の流れというテーマを掘り下げている。彼女の最初の作品と3作目の作品では、若い主人公たちはホロコースト生存者の家族に生まれている。1世であれ2世であれ、家族の歴史のトラウマは、彼女たちの世界観に影響を与えている。ミナ・タネンバウム・デュゴウソンは、東ヨーロッパ出身の憂鬱なアーティスト、ミナと、北アフリカ出身の親友、エセルを対比させています。エセルは社交的ですが、彼女の人生は疎外感で重苦しくなっています。ミナとエセルは「部外者」という点で友情を共有していますが、異なる文化の出身であり、それが人生の選択を左右します。これらのテーマは、ルーバの幽霊でも繰り返されます。

 

相変わらず監督の情報はほとんどないですが、この中に、映画『ミナ』の主人公のミナが東欧系ユダヤ人(=アシュケナジム)で、エテルが北アフリカ出身のユダヤ人(=セファルディム)であると言っています。予測は付くけど、映画には説明ははいりません。

(上記の文章だと、あたかもミナとエテルがフランスに移民してきたたように見えますが、ミナには父方の祖母がいたはずだし、エテルも祖父母がいたと思うので、彼女たちと親たちはすでにフランス人であったのではないかと思います。)

「部外者と感じている」ミナはわかりやすいけれど、エテルの生まれ育った環境からは「部外者」と感じる要素はなさそう(ただし、肥満児だった時を覗いて。)。

 

まあ、この映画はフィクションなので、つじつまが合わないことがあっても受け流すべきでしょう。

(この映画自体も、「統一感がない」という欠点はありますが、その欠点も受け流せます。)


ただ、逆に言えば、なぜこの原作・脚本・監督をしたこの監督は、実在しないはずのミナとエテルの設定を、作った後にも付け加えていくのでしょうか。

この映画は、調らべ出したら止まらなくなるかもしれません。

「ゴイ」という単語は今だったらきっとNGワードにされていそうですが、知ることができました。

フランス映画『ミナ』とユダヤ人-4(「ゴイ」とは) - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

 

参考:

『ミナ』マルティーヌ・デュゴウソン監督(仏・ベルギー・オランダ1993) | ラッコの映画生活 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)

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