30代のころ、「砂利の上を車で向かい、一階がスペイン風の一階の邸宅で、中に入る海の崖部分が回廊、部屋となっているクラシカルなホテルに入って、窓から海を観る夢」を観たことがあります。
夫の親戚の家が真鶴にあり、この家が段差を使った3階建てで、海の景色が美しく見える家だったので、そのイメージとスペインの建物が一緒になって夢となって出てきたかもしれません。
(中川一政美術館も、段差を使った建物だったと思いますので、これも夢と関係あったかも。
(日本洋画壇の重鎮・文化勲章受章者の中川一政画伯 | 真鶴町立 中川一政美術舘 - 施設案内 (nakagawamuseum.jp)
このような岩や固い地盤を掘って家を作ることは世界各国でありますが、アメリカ人の旅行会社の人が熱を込めて話していた「地下の家」となると、何かミステリアスなものか、歴史的なものなのではないか、と思っていたわけです。
しかし、約34,5年前の疑問は今解けました。
シアトルはワシントン州。たぶん、あのアメリカ人の女性はこのことを言っていたのでしょう。
Seattle's Abandoned Underground City (youtube.com)
Coober Pedy, an underground city built to protect its citizens from the heat (youtube.com)
抜粋:
パイオニアスクエア(Pioneer Square)地区の街路の下には、シアトルの草創期のショップ、バー、ホテルが残されています。1889 年、誕生してまだ間もない街に火が燃え広がり、商業地区の木造建築の多くが消失しました。火事の原因は、高級家具店の不注意な作業員がガスストーブの上で接着剤を温めており、店内の家具や床が燃え出したことだと言われています。木材産業で成り立っていたシアトルの町は、ほぼすべてが木造だったため、31 ブロックを焼き尽くした炎の魔の手を逃れて残った建物はほとんどありませんでした。
この火事をきっかけに、新しい建築条令では石や煉瓦を使用することが求められるようになりました。また、再建の過程で、沼地のような地面から離した高いところに街の通りを造ることが決定されました。そこで、道路沿いに擁壁を設置し、そこを塞いで新しい道路を造りました。すでに再建が済んでいた商店や企業は、新しい道路が数メートル上に引き上げられたため、建物の 1 階、ときには 2 階がコンクリートの壁に面してしまうことになりました。
ただ彼女の説明での熱の入れようから考えると、「わざわざ遠くから行って観るものだろうか?」と思ってしまうし、「シアトル」とは言わなかったので、別のところの話かもしれませんが。
今回、ワシントン州の地下の家を探したおかげで、オーストラリアで「灼熱地獄」を避ける「地下の町」を作ろうとしている動画を見つけました。
Coober Pedy, an underground city built to protect its citizens from the heat - YouTube