Various Topics 2

海外、日本、10代から90代までの友人・知人との会話から見えてきたもの
※旧Various Topics(OCN)

あるイタリア人物理学者と孫

2024年03月23日 | 人物

※3月26日追記:

 イタリア人の男の子と連絡がつきましたが、彼の祖父の物理学者は母方なので、エットーレ・フィオリーニとは別人でした。(しかし、エットーレと彼のおじい様は生まれも近いし、ドイツで暮らしていたことがあるのまで一緒。)

 

イタリアには、核開発の専門の物理学者がなぜ多いのか、考えていたとき、約10年くらい前にペンパルサイトで私に文通を申し込んできて、数回メールを交わしたた10代の男の子のことを思い出しました。

彼は10代とは思えぬほどとても円熟していて、私がしている外国人との意見交換に興味を持ってくれていましたが、やはり社会人経験がないため、少しのメール交換で終わってしまった少年でした。

当時、「教養」「テクノロジー」についての意見交換をしていた時で、彼は、テクノロジーの進化の恩恵と失うもの経の喪失感を書いてきてくれました。

彼とは別の話をしていた時、彼の祖父がドイツとオーストリアに住んだことがある、物理学者(核開発)であることを言っていたので、その関係もあるのかな、と思いながら約10年。

彼のおじいさまのWikipediaは当時見つかりませんでしたが、2018年9月に英語版が作られていました。

 

Ettore Fiorini - Wikipedia

エットーレ・フィオリーニ(Ettore Fiorini、1933年4月19日 - 2023年4月9日)は、イタリアの実験素粒子物理学者。 彼は弱い相互作用の物理学を研究し、二重ベータ崩壊の分野の先駆者でした。 彼はミラノ・ビコッカ大学で核物理学および亜核物理学の教授を務めました[1]。 若いころ フィオリーニは1933年4月19日にヴェローナで生まれた。 彼の父親は著名な外科医エノク・フィオリーニであった[2][3]。

キャリア

フィオリーニは、1955 年にミラノ大学で物理学を卒業しました。1959 年から 1969 年までデューク大学で助手として働いた後、ジュネーブでの CERN 滞在 (1979 ~ 82 年) を除き、残りの学業をミラノに戻りました。  彼は研究の大部分をイタリアのモンブランとグランサッソの地下研究所で実施した[4]。

フィオリーニは、弱い相互作用と関連する現象について長年研究に興味を持っていました。 1970年代、彼はアンドレ・ラガリグと協力してCERNの巨大な気泡室であるガーガメル検出器を作成し、カルロ・ルッビアとリッカルド・ジャッコーニと協力してニュートリノ実験を行い、弱い中性電流の発見に貢献し、それによって電弱現象の最初の実証的テストを提供した。 理論。[2][5] フィオリーニは、ニュートリノを含まない二重ベータ崩壊の先駆的な研究者でした。

1960 年代に、彼はゲルマニウム ダイオードを使用した 76Ge におけるニュートリノのない二重ベータ崩壊 (0νββ) の最初の研究を提案し、実行しました。 その後数十年間、彼はグラン・サッソ国立研究所の地下施設で 2 つのはるかに大規模な共同研究、つまり 130Te の CUORICINO[7] と CUORE[8][9] の研究に携わりました。

(後略)

フィオリーニはその後、中性子放射化分析などの非破壊技術を使用して歴史的資料の特性を発見するいくつかの考古学的研究を実施しました。 彼はナポレオンの髪の毛のサンプルを使って、元皇帝がヒ素中毒で死んだのではないことを証明した[11]。 別のプロジェクトでは、ローマの難破船からの鉛インゴットの出所を実証し、その後、それらを CUORE 検出器のライニングに再利用しました。[12][13][14]。

フィオリーニは2023年4月9日に89歳で死去した[15]。

フィオリーニは、弱い中性流と太陽ニュートリノに関する研究が評価され、2007 年エンリコ フェルミ賞を受賞しました。[16] ニュートリノを含まない二重ベータ崩壊に関する研究により、2012 年ブルーノ・ポンテコルボ賞を受賞した[17]。 彼は 1988 年から国立アカデミーの正会員を務めています。

 

エットーレ・フィオリーニの研究していた「グランサッソ」の(地下)研究所は、大地震があったラクイラの近くで、ラクイラの地震で有罪になった地震研究所の所長が、やはり私が一時期メールを交わしていたイタリア人男性の上司だったことをこれまた思い出しました。

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グラン・サッソ国立研究所 - Wikipedia

グラン・サッソ - Wikipedia

 

いつから始めたのかわかりませんが、彼が核研究を「考古学的研究」に広げたことが印象に残ります。

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