Various Topics 2

海外、日本、10代から90代までの友人・知人との会話から見えてきたもの
※旧Various Topics(OCN)

ロシアと日本で翻弄されてきたアイヌの人々

2022年07月06日 | 社会(歴史・都市計画含む)

先月書いた記事

アイヌ研究家のポーランド人ブロニスワフ・ピウスツキ・アイヌの遺骨を盗んで返却しなかった北海道大学 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

 

の追記として。

 

「アイヌ」を先住民族に―ロシアに初の団体(動画):北海道新聞 どうしん電子版 (hokkaido-np.co.jp)

(2008/05/28)

 アイヌ民族としてロシアで初の認定を求めるカムチャツカ地方の団体「アイヌ」のアレクセイ・ナカムラ代表(43)が北海道新聞のインタビューに応え、「両親が話していたアイヌ語と、民族の伝統を取り戻したい」と述べた。同氏が日本の報道機関の取材に応じるのは初めて。民族としての復権を求める背景に、日本と旧ソ連・ロシアの間で翻弄(ほんろう)されてきた歴史があった。(ペトロパブロフスクカムチャツキーで津野慶)  
 
「母はいつも言っていた。私たちはアイヌ民族だよ、と」  ナカムラさんはサハリンのトマリ(泊居)出身。父ケイゾウさん(1978年没)はカムチャツカ生まれのアイヌ民族、母タマーラさん(96年没)はサハリンでアイヌ民族の父とロシア人の母の下に生まれた、という。  ケイゾウさんの生前、ナカムラさん一家はアイヌ語で会話していた。
 
「アットゥシ(服)」「トマリ(湾)」などの単語をナカムラさんも覚えている。母タマーラさんはサケやクジラを使ったアイヌ料理でナカムラさんを育てた。  しかし両親の出生証明書はなく、アイヌ民族であることを示す物的証拠はない。旧ソ連は戦後、サハリンや千島列島のアイヌ民族を日本人として扱った。ナカムラさんらは、アイヌ民族として生きる道を絶たれた。
 
 父ケイゾウさん一族はかつて南千島に住み、日本姓を名乗っていた。日本人の入植に押されカムチャツカに移住。その後、旧ソ連政府の都市部への転居命令を拒否して31年ごろ、日本領だった北千島パラムシル島に脱出した。  45年に旧ソ連軍が侵攻。一族はサハリンに移住させられ、ケイゾウさんはタマーラさんと結婚、ナカムラさんが生まれた。
 
しかし68年、「仕事上の失敗」を理由に、カムチャツカに送還される。  送還先には、他の民族もいた。かつて旧ソ連が進めていた、ロシア民族への同化政策の一環、との見方もある。  団体「アイヌ」会員4家族のうち、ナカムラさんと同様、日本姓を持つ「スズキ」一家は千島出身。残る2家族はロシア姓で戦前からカムチャツカに住んでいたといい、複雑な背景をうかがわせる。
 
 現在、ロシアがカムチャツカの先住民族として認めているのはコリャク、イテリメンなど6民族。アイヌ民族は含まれていない。  しかし、地元博物館は先住民族としてパネルで紹介している。図書館は、北千島マツワ島の「アイヌ湾」で使われていた石臼を展示している。ナカムラさんは「石臼はアイヌ民族が使っていたもの。唯一の物的証拠です」と話す。  ナカムラさんは2002年、人口調査で民族欄に初めて「アイヌ」と書いたが、「国の登録項目にアイヌ民族はない」と却下された。その時、民族の権利回復を決意した。  今春、活動を知った北海道のアイヌ民族から交流の打診があった。モスクワの研究者から、アイヌ語復興への協力も取り付けた。  「同じ地方で暮らすカムチャダル民族は、先住民族として認定されるまで10年以上かかった。何年かかってもやりますよ」
 
 
抜粋:

北千島アイヌが居住するカムチャツカのザポロージエ集落は現在のロシアにおけるアイヌの部族では最大規模である。父方が南千島アイヌのナカムラ一族は6人であり、ペトロパブロフスク・カムチャツキーに住んでいる。樺太では数十人が自らをアイヌと名乗るが、大部分は片親が他民族であり、アイヌの伝統文化を習得していない。2010年調査では888人の「日本人」が居住しており、その大多数がアイヌとの混血であるが、彼らもまたアイヌの伝統文化を習得していない[10]。同様に、ハバロフスクには片親がアイヌの子孫が居住しているが、アムールアイヌは誰も自らをアイヌと名乗ることはない。なお、カムチャツカアイヌの生存者はいないと言われている。1979年にはソ連政府はロシアの領域から民族集団としてのアイヌが消滅したとして、現存する民族集団から「アイヌ」の項目を削除した。ソビエト連邦の崩壊後の2002年の国勢調査では調査票に「アイヌ」と記載する者はいなかった[11][12][13]。

アイヌ民族自身は自らは千島列島の先住民であり、日本とロシアの両方が侵略者であると主張してきた[14]。2004年にはカムチャツカ地方の小規模なアイヌ人団体がウラジミール・プーチン大統領に日本との間での北方領土における一連の動きついて再考することを求める手紙を出した。その手紙では日本、帝政ロシア、ソビエト連邦の全てをアイヌ民族の殺害と同化政策を行なったとして糾弾していた[15]。しかしながら、その要請はプーチン大統領に拒否された。その団体はアイヌ民族をめぐる悲劇の規模と激しさはアメリカ先住民が直面したジェノサイドに匹敵すると主張している。2010年の国勢調査ではその集落の100人近くがアイヌ民族と申告したが、カムチャツカ地方議会はそれを拒否してイテリメン族として取り扱った[16]。2011年にはカムチャツカのアイヌ民族団体のリーダー、アレクセイ・ウラジミロヴィッチ・ナカムラがウラジミール・イリューヒン(カムチャツカ地方知事)とボリス・ネフゾロフ(連邦下院議員)に政府の北方・シベリア・極東地方少数先住民族のリストに加えるように要求した。 しかしながらこの提案も拒否された[17]。

サハリン州とハバロフスク地方のアイヌ人は政治的主張を行う団体を結成していない。アレクセイ・ナカムラは2012年時点でロシア領内にアイヌ人は205人しかいない、そのうち2008年段階で自らがアイヌ人であると主張していたのは12人であり、「千島列島のカムチャダール族」と共に少数民族としての認定のために活動していると主張している[18]。アイヌがロシア政府の少数民族の公式リストから外されて以来、彼らは無国籍人、ロシア人、カムチャダール人のいずれかに定義されている[19]。なお、2012年時点では北千島アイヌと千島列島のカムチャダールは共にロシア政府から北方少数先住民族としての漁業権・狩猟権は認められていない[20]。最近になってボリス・ヤラヴォイによってロシア極東アイヌ協会(RADA)が設立された[21]。

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