三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

〈シリーズ 親鸞〉

2010年08月25日 | 仏教
東本願寺企画、筑摩書房発行の〈シリーズ 親鸞〉全10巻が毎月一冊ずつ送られてくる。
「溜息通信」60号に、この〈シリーズ 親鸞〉への手厳しい批判が書いてある。
まずお金の問題。
〈シリーズ親鸞〉全10巻は大谷派全寺院に無償配布されるのだが、この費用が馬鹿にならない。
「6掛での買取りだと1800円×0.6×10巻×9000か寺=9720万円
7掛なら1億1340万円
にもなる」
そうか、1億円か。
「真っ当なコスト感覚があれば、自前で安く作ることを選択しただろう」
たしかになあ。

1億円ものお金を使うほどの中身が〈シリーズ親鸞〉にあるかどうか。
今のところ4冊読んだが、決して読みやすくはなく、親鸞や真宗に対する予備知識がかなりないと読み進めることはまずできない。
また、経典などからの引用文に現代語訳がないのは不親切だと思う。
というわけで、私には難しかった。
ところが「刊行にあたって」に、「読者に分かりやすく読んでいただけるように、筑摩書房の協力を得て、可能な限り監修いたしました。『シリーズ 親鸞』は学術書ではありません。学問的な裏付けを大切にしつつも、読みやすい文章表現になるよう努めました」とある。
うーん、単に私がアホなのか。
でも、「溜息通信」には「宗門内でしか通じない閉じた言葉の羅列からは、宗門外の読者に親鸞を届ける意識は感じられない。かなり専門的な内容なので、ひょっとしたら門徒のことも念頭になく、同業者の評価しか関心がないのではないか」とか、他にもきついことが書かれてあって、そこまで言っていいのかとは思うが、まあ、ほっとしました。

以前、増谷文雄『仏教概論』を読んで、仏教入門書としていいなと思い、仏教を勉強したいという知人ふたりに貸したのだが、ふたりとも「難しくてわからなかった」というのが感想だった。
そんなもんだと思う。
タダで本をもらって文句をつけるのは申し訳ないのだが、どういう読者を想定してこのシリーズが企画されたのだろうか。
このシリーズ、いったい何部刷っているのだろうか。
実売数は何冊なんだろうか。
全巻読み通す住職さんがどれだけいるだろうか。
まして、自腹を切って全巻求める人はほとんどいないのではないかと思う。

もっとも、「溜息通信」に「愚見を残る8巻が粉砕してくれることを念ずるばかりである」とあるが、5冊目の一楽真『親鸞の教化』はなかなか面白い。
恥ずかしながら、親鸞の和文の著作にはほとんどの漢字に読み仮名が付されているとは知らなかった。
「親鸞は漢字の読みに対してはきわめて厳密で、『教行信証』においても一つの文字に対して、漢字の音や意味を示す「訓」が文字の右ないし左に付されていることが多い。また、発音する際のアクセントを示す「声点」が付されている箇所も見られる。声点とは、声の調子や清濁を示すために文字の四隅に付される記号で四声点とも言われる。漢字を正確に読むと同時に、意味を正しく受け取るための配慮がなされているのである。これが和文の著作の場合、さらに丁寧になっているのである」
以前、なぜ「法身」は「ほっしん」、「報身」は「ほうじん」と読むのかと言われたことがあって、真宗聖典にそう書いてあると答えたら、親鸞がどう読んだかわからないじゃないかと突っ込まれて、返事に窮した。
なあんだ、親鸞自身がそう読ませていたのかと、納得。
勉強が足りないと反省でした。
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