三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

藤田庄市『修行と信仰』

2018年10月23日 | 仏教

広瀬健一氏はオウム真理教の極厳修行についてこのように書いています。

第3次極厳修行は97日間だった。この修行では、睡眠を3時間の瞑想として座法を組んだままとり、姿勢が崩れると監督に起こされた。食事は1日1食であり、米が200g、野菜煮が200gだった。丹(そば粉を蜂蜜で練り焼いたもの)200g、ヨーグルト180ccのときもあった。
この生活の結果、体重がかなり減少し、顔の肉がなくなり、皮膚が突っ張る感じがした。また、居眠り防止のために立って修行しても、立ちながら眠ってしまい何度も倒れるなど、身体が極度に衰弱した。
この状況で、立位礼拝(ほぼ1日の礼拝を約1か月間続け、計500時間行った)、呼吸法(ヴァヤヴィヤ・クンバカ・プラーナーヤーマとアパンクリヤを1日につき計6時間)、小乗のツァンダリーの瞑想(注 1日につき3時間。睡眠に充てた瞑想とは異なる)、「欲如意足No1」や、「懺悔の詞章」などの詞章の詠唱(1日につき、各詞章をそれぞれ30分間から1時間)を行った。(略)
身体がかなり衰弱したために、このまま肉体が駄目になるのではないかという、肉体に対する執着も出てきた。しかし、修行の最後の時期に、肉体的には疲労して何度も倒れているのにもかかわらず、精神的には天にも昇るような解放感を感じ、何事もなく修行をこなす状態になった。


藤田庄市『修行と信仰』は天台、真言、東大寺、禅、修験、神道などの修行が取り上げられています。
読みながらオウム真理教の修行や、修行によって得る体験とどう違うのかと思いました。

比叡山で十二年籠山を行ずるには、懺悔滅罪すべく一日に三千回の礼拝を行い、仏が出現するまで好相行を続けねばならない。
それが成就してはじめて戒を受けることができる。

礼拝の動作は五体投地である。映像でよく流れるチベット仏教の身体を地に投げ出す礼拝法と酷似していると思えばよい。右手で焼香し、樒の葉を散華し、大声で一仏一仏の名を唱えるごとに磬を打つ。そして、一日に三千仏、つまり三千回の礼拝をくり返すのである。三度の食事と用便のほかは原則として不眠不休で続ける。仮の休息は縄床にてとるが、横臥することは一切できない。なにより緊張状態のため、眠ってもすぐ目ざめてしまう。身体はアセモだらけになり、手の甲は固いタコだらけ、脛毛はちぎれて無くなってしまう。疲労の蓄積はいうまでもない。これをたった一人で遂行するのである。期間についても、回峰であれば千日という限りがある。しかし好相行では、常識的にはあり得べくもない仏の顕現という奇瑞まで行の終結はない。


好相の様子は入行者によって異なるそうです。
堀澤祖門師(天台宗)の体験です。

三カ月も過ぎた頃、一礼一礼、ただ拝するのが精一杯となった。雑念はおろか考えることもできなくなった。「はからい」はすべて捨てさせられた。自己が「洗い流された」時、それは起こった。真夜中の一時過ぎ。堀澤師が疲労困憊の身を縄床に置き、うとうとしていた時だった。突如として一メートルほどの仏身が現れた。衝撃以外のなにものでもない。目を明けたが、その姿は厳然として空中に立っている。灯明のみの暗闇に掛け軸から抜け出たようにそこだけが明るい極彩色であった。


法然の宗教体験の記録が『三昧発得記』です。

二月四日の朝、瑠璃地分明に現したまふと云。六日後夜に、瑠璃宮殿の相、これを現すと云。七日朝に、またかさねてこれを現す。すなはちこれ宮殿をもて、その相影現したまふ。(略)始正月一日より、二月七日にいたるまて、三十七箇日のあひた、毎日七万念仏。不退にこれをつとめたまふ。 これによりて、これらの相を現すとのたまへり(略)。
元久三年正月四日、念仏のあひた、三尊大身を現したまふ。また五日、三尊大身を現したまふ。(建久9年(1198)2月4日早朝に極楽の瑠璃の大地がはっきりと見えた。6日の後夜に瑠璃の宮殿のすがたが現れた。7日にもまた重なって現れた。そうした様々な極楽の光景は正月1日から2月7日までの37日の間、毎日7万遍の念仏を称えたことにより、これらの光景が現じた。(略)
元久3年(1206)正月4日、念仏中に阿弥陀仏、観音菩薩、勢至菩薩の三尊が大身を現した。五日にもまた現れた。

20時間×60分×60秒=72000秒
7万回念仏を称えるためには1秒に1回のペースが必要です。
法然が比叡山から下りて吉水の草庵で生活するようになったのが承安5年(1175年)ですから、専修念仏に帰した後も仏の相好を観じる行を続けているわけで、いささかがっかり。

堀澤祖門師の好相行に対する認識。

戒律、特に大乗戒を受ける際に、汚れたままの心身で戒律を授かることはできないわけで、誰でも生きているからには心身が汚れているわけで、まずこの汚れをすっかり洗い落としてから、神聖な大乗戒を授けていただこうというのである。(略)そして懺悔を繰り返してついに心身が全く汚れを離れた時に、「好相」が現れるのである。好相というのは一口に言って、「仏に関する種々の神秘現象」といってよいかと思う。


藤田庄市氏は五来重「東大寺二月堂のお水取り」から引用しています。

日本人の庶民信仰では、苦行による滅罪が重視される。これは仏教からきた理念ではなくて、日本の原始宗教に、人間のすべての不幸や禍は人間の犯せる罪と穢のむくいとする論理があるためである。
したがって飢饉や疫病や災害などの不幸をまぬがれるためには、その原因となる罪穢をほろぼさなければならない。しかも滅罪には苦行による贖罪が第一であるから、宗教者が代受苦者となってこれを実践するのである。


「汚れ」「穢」とは業(カルマ)と同じだと考えていいのではないかと思います。
「汚れを離れた」とか「宗教者が代受苦者」するということ、オーム真理教のカルマの浄化、カルマの交換、カルマ落としといった教義と違うのかと思います。

カルマの浄化

解脱、つまり輪廻からの開放に必要なのは、転生の原因となるカルマを消滅(浄化)することになります。ですから、オウムにおいては、カルマの浄化が重視され、修行はそのためのものでした。

https://blog.goo.ne.jp/a1214/e/d6d3a340f9f9659d7c9a8a7ef2e69d2c

カルマの交換

麻原は、私たちに「エネルギー」を注入して最終解脱状態の情報を与え、また私たちが蓄積してきたカルマを背負う――つまり、カルマを引き受ける――とも主張していました。このようなカルマの移転は、「エネルギー交換」あるいは「カルマの交換」と呼ばれていました。

https://blog.goo.ne.jp/a1214/e/2b0dcc7613655d08633c4409736150fd

カルマ落とし

麻原は、竹刀で信徒を叩くことがありました。竹刀が折れるほど強く。また、様ざまな〝働きかけ〟をして、信徒を精神的に苦しめることもありました。よく聞いたのは、信徒の苦手とする課業を故意に指示し、信徒が強いストレスにさらされる状況を形成することです。このような方法で対象のカルマを浄化することを、「カルマ落とし」といいました。

https://blog.goo.ne.jp/a1214/e/cd331bfbd4debe96de283f7a614bbd39

藤田庄市氏は「死刑大量執行の異常 宗教的動機を解明せぬまま」(「世界」2018年9月号)の中で、「麻原がヨーガもチベット仏教も正式に師についてきちんとした修行をしていない」と書いています。

釈尊も独りで覚りましたが、2人の師匠に瞑想を習ったり、苦行者たちとともに6年間の修行をしています。
その体験を通して快楽と苦行という道を否定しました。
そして、サンガが成立すると、少しずつ戒律をみんなで定め、新しく入った出家者の指導を整えました。
麻原彰晃は師資相承を受けていないことがポイントだと思います。

藤田庄市氏も「神秘主義的修行が高位にあると理解してはならない」と注意しているように、神秘体験=悟りではありません。
天台宗では、好相行を終え、十二年籠山を行ずる侍真となる。
先輩の侍真たちに報告を行い、その吟味によって好相の真偽は判定される。
堀澤祖門師の得た好相は真であった。
オウム真理教はこうした組織、指導体系ができていなかったのでしょう。

もっとも、元禄から明治時代までの侍真106人のうち22人が途中病死しているそうです。
修行によって死ぬ人は少なくなかったわけですから、釈尊はどう思うか。

死者が出たときの対応にも違いがあります。
オウム真理教では1988年9月、真島照之さんが修行中に死亡しており、その死を隠して遺体を処分したことが田口さんの殺人につながりました。

それでもやはり、オウム真理教がなぜ多くの事件を起こしたのか、他の宗教はどうなのかという疑問は残ります。

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