三日坊主日記

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慈悲と善巧方便にもとづく殺生(1)

2021年09月26日 | 仏教

大悲導師(釈尊の前世)が500人の商人を殺して財物を奪おうとした盗賊を殺したという話が『大宝積経』「大乗方便会」にあることは以前紹介しました。
https://blog.goo.ne.jp/a1214/e/28fafa4db3f587af4c90ee1e32a0fc3b

この話はどういう流れで説かれたのかが、岡野潔「釈尊が前世で犯した殺人 大乗方便経によるその解釈」に説明されています。
https://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_download_md/16922/p139.pdf
『大宝積経』「大乗方便会」と『大方広善巧方便経』は異訳経典で、紀元前後の成立だそうです。
岡野潔さんはチベット訳『大乗方便経』をテキストとしています。

釈尊がカディラ樹で足を怪我する。
それは前世において救済のための方便として盗賊を殺した、その業報だった。
しかし、過去世の業報だと説いたのは、衆生を導くための方便だった。
仏や菩薩は衆生教化のための方便として殺生することが認められる、そして仏や菩薩は悪業の業報を受けることはないことを示した。

大悲導師の話は一殺多生を説いていると思っていましたが、一殺多生とは「慈悲の心と善巧方便にもとづく殺生」の一種なのです。
以下、岡野潔さんの論文の要旨です。

超越的な仏陀観を掲げる大衆部系諸部派との論争にそなえるため、上座部系の部派は釈尊が世間を超越した存在ではないことを示すために、釈尊の生涯における災厄をリスト・アップし、それぞれ過去世の因縁話を付けて説明した。

『大乗方便経』は、上座部系の仏陀の業報リストの伝承を、すべて善巧方便であって、過去世の業の余殃ではない、仏陀や大菩薩が宿世の悪しき業報を持つことはないと主張して、釈尊の今生の事件と悪業の前生譚の結びつきを切り離した。

小乗上座部系の有する〈仏陀の業報リスト〉の一つ、正量部が伝承する十六項目から成るリストからいくつかをご紹介。

(1)正等覚カーシャパに関し、「禿頭(カーシャパ仏)に悟りがどうしてありえようか、悟りは得難い」と語ったゆえに、その業の異熟として菩薩(釈尊)は[六年間の]苦行をした。

(2)師の命令を破って、なすべき行為をなしたゆえに、五比丘が師(苦行中の釈尊)を見捨てた。

(5)大薬[という大臣]として、敵対する王を分裂させたゆえに、デーヴァダッタが僧伽を分裂させた。

(11)遊女を殺してから、[奪った]彼女の装飾品を勝者(辟支仏)の住処にあずけたゆえに、世尊はスンダリーに誹謗された。
釈尊は前世で強盗殺人を犯したという伝承があるとは驚きました。

上座部系諸部派はこのリストを仏説として正典化し、大衆部系の仏陀観を批判する論争上の聖典的根拠として用いた。
大衆部系諸部派は〈仏陀の業報リスト〉の正典としての権威を無力化するために、その伝承を換骨奪胎して書き換えた。
『大乗方便経』は、諸部派が伝える仏伝記事を、仏による方便という立場から解釈し直すことを目的として作られた。

『大乗方便経』の最後に、上座部系の〈仏陀の業報リスト〉をベースにした如来の『十の業繋』が示され、釈尊の前世の悪業の残滓による業報と見えるものは、凡夫に業報の不可避であることを知らせるため、釈尊すら例外ではないと誤解させ、衆生を業の力に戦慄せしめるための善巧方便、つまり衆生を教化するための芝居だとする。

釈尊の今世の報いとしての出来事一つ一つに、悪しき行為の前生譚が貼り付けられた。
『十の業繋』、つまり釈尊に起こった十の悪い出来事の最初が、「仏はある時、地面から突き出たカディラ樹の破片を右足に突き刺した」ということです。

この話は2つのパートに分かれている。
Aパート 船上の殺人の前生譚(カディラ樹の破片の怪我に対する前世の業報譚)
Bパート カディラ樹の破片が足に突き刺さった今世の出来事
Aパートの前生譚が大悲導師の物語です。

如来は智勝菩薩に説かれた。
昔、五百人の商人が航海した。
その隊商の中に、商人に変装して他人の財を強奪する男がいた。
その男は「商人たちが財を得たら、商人たちを殺して金品を奪おう」と考えた。
商人たちは財を得て、国に戻るため渡海した。
その時、同じ船に乗っていた大悲という名の隊商主に海に棲む神が夢の中で教示した。
「この隊商の中に、こういう男がいて、『商人たちを皆殺しにして、あらゆる金品を奪い取ろう』と考えている。この男が商人たちを殺すなら、最大の罪の行為をなすことになる。なぜか。五百商人は悟りに向い、退転しない者だからである。もしこの男が菩薩たちを殺したら、彼は各菩薩が無上正等覚に達するまでの期間、もろもろの大地獄で焼かれるであろう。そこで隊商主よ、この男によって五百商人が殺されることがなく、またこの男も大地獄に堕ちないですむ善巧方便を考えなさい」
このように教示されると、大悲という隊商主は「この男によって五百商人も殺されず、この者も大地獄に堕ちない方便はどのようなものがあろうか」と、七日間熟考した。
そして、「商人も殺されず、この男も大地獄に堕ちない方便は、この男を殺す以外ない。もし私がこの事実を商人たちに知らせれば、商人たちはこの男を殺し、大地獄に堕ちるであろう。私がこの男を殺せば、十万劫の間大地獄で焼かれるであろうが、私は大地獄の苦しみを堪え忍べる。五百商人が命を失うのはよろしくないし、この男に大きな罪の業が増えることもよろしくないので、私がこの男を殺すべきである」と考えて、大悲は大悲心と善巧方便でその男を矛で突き刺し殺した。
私(釈尊)こそが大悲だった。
五百商人たちは無上正等覚を悟る五百菩薩たちである。私は善巧方便と大悲心により、十万劫の間、輪廻を滅ぼし捨て去った。その賊も死後生まれ変わり、天界に生まれた。

『大乗方便経』はこの前生譚を次の文で締め括っている。
「その善巧方便と大悲心によって、十万劫の輪廻を滅ぼし、捨て去ったところのその事を、もし菩薩の業の障礙であると見なしたり考えたりすべきではない。善巧方便であると見なすべきである」

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