我慢と辛抱、似ているようで違います。
我慢は自分は納得していないけれど、その場を取り繕うためとか、人の目を気にして自分の気持ちに不満をもったまま抑えること、我慢は我を張りすぎる事でその我に耐え忍ぶ状態で、あるがままに生きられていないです。
辛抱も同じく自分が納得できないことや理不尽なことを耐えることですが、それは我慢ではなく受け入れることです。
我慢は状況をネガティブな捉え方をするので心を弱くしますが、辛抱はポジティブな捉え方をするので心を強くしてくれます。
【 辛抱はいつか実を結ぶもの、「我慢」はいずれ爆発するもの 】とも言える でしょう。
自分が我慢していると相手にも我慢を求めます。
そして我慢できない人を批判してしまいます。
同じ耐えるのでも相手を巻き込んだり、相手に何かを求めてしまう事があります。
我慢すればするほどストレスは溜まるばかりで、我慢の限界がくると、外に向かった場合はキレるということになり、内に向かった場合は病気になります。
「辛抱」は、「世のため・人のために頑張る」のように ポジティブでちゃんとした目的があります。
辛抱は、耐えることが自分のためでもあり、大切な人のためでもあると分かっているから、理解しない人がいようが、誰かが好きなようにしてようが全く関係ありません。
我慢するのではなく、辛抱できる人になっていきましょう。