5月25日が「食堂車の日」だと聞いて、「お~~食堂車ねえ」
しばらく聞いていなかったから懐かしさがよみがえってきた。
昔、東京までの新幹線に食堂車があり、父親とカレーを食べた思い出がある。
後にも先にも食堂車はこの一回だけで、子供心にそこで食べたビーフカレーが妙においしく感じたのは、雰囲気がよかったのか・・・。
国鉄職員だった父は良く私たち子どもを旅行に連れて行ってくれた。
ローカル線の楽しみは駅弁だった。
静岡の鯛めしが結構気に入っていたので、それを父が買ってくれて、乗り込んだが、昔の客車は駅に着くと、「べんとう、べんとう」と掛け声を上げた売り子さんがたいてい居た。
自分の姿が隠れてしまう程いっぱいの駅弁を肩から架け、ホームを走り回っていたので、窓を大きく開けて、おじさんに合図すると、駅弁が手に入る。
数分で弁当からお金の受け渡しまでしてしまうおじさん、体力的にも大変だったろうと思う。
お茶も今のようなペットボトルではなく、プラスチックの土瓶の形をした小さな容器に入ったもので風情があった。冷凍みかんもあったなあ。
行った先はあまり覚えていないが、移りゆく車窓の景色を眺めながら、ゆっくりと駅弁を味わうのが、楽しみだった。
交通機関の発達によって、旅の形が変わってしまったが、今懐かしく思い出す。
しばらく聞いていなかったから懐かしさがよみがえってきた。
昔、東京までの新幹線に食堂車があり、父親とカレーを食べた思い出がある。
後にも先にも食堂車はこの一回だけで、子供心にそこで食べたビーフカレーが妙においしく感じたのは、雰囲気がよかったのか・・・。
国鉄職員だった父は良く私たち子どもを旅行に連れて行ってくれた。
ローカル線の楽しみは駅弁だった。
静岡の鯛めしが結構気に入っていたので、それを父が買ってくれて、乗り込んだが、昔の客車は駅に着くと、「べんとう、べんとう」と掛け声を上げた売り子さんがたいてい居た。
自分の姿が隠れてしまう程いっぱいの駅弁を肩から架け、ホームを走り回っていたので、窓を大きく開けて、おじさんに合図すると、駅弁が手に入る。
数分で弁当からお金の受け渡しまでしてしまうおじさん、体力的にも大変だったろうと思う。
お茶も今のようなペットボトルではなく、プラスチックの土瓶の形をした小さな容器に入ったもので風情があった。冷凍みかんもあったなあ。
行った先はあまり覚えていないが、移りゆく車窓の景色を眺めながら、ゆっくりと駅弁を味わうのが、楽しみだった。
交通機関の発達によって、旅の形が変わってしまったが、今懐かしく思い出す。