60歳を過ぎたくらいの会社社長がいました。
彼は30年あまり、ワンマン社長として辣腕を振るってきたのですが、ある日、突然、心臓麻痺で「臨死体験」をされたそうです。
肉体から抜けた彼の「魂」は、トンネルと林を通り、お花畑に差し掛かりました。
すると、聞こえてきたのが天から声。
「川べりまで行ったら『人生のまとめ』について尋ねる。
川べりに着くまでに、自分がどんな人生を歩んできたかを、まとめておきなさい」と。
その社長は、人の20倍も30倍も努力をして、頑張って、怠けることも、休むこともなく、ただただ働き続けました。
その結果会社は大きくなり、従業員は1000人。商工会の役員も勤め、地位と名誉を手に入れたのです。
自分が成し遂げた実績に自信を持っていた社長は、「努力し、頑張り続けた自分は、きっと神様に褒めていただける」と胸を張り、川べりまで歩いていったそうです。
川べりにたどり着いたとき、再び、あの声が聞こえてきました。
「それでは『人生のまとめ』について聞く。人生をどれほど楽しんできたか?」
社長は絶句し、答えられませんでした。
なぜなら、「人生を楽しんだ」と思った瞬間は、ほとんど、なかったからです。
言葉を失った社長に、天の声は言ったそうです。
「あなたは人生を勘違いして生きてきました。もう一度やり直しなさい」と。
「えっ」と思った瞬間に、社長は意識を取り戻したそうです。
「神様の声」は、「人生は、努力するものでも、頑張るものでも、地位や名誉を手にいれるものでもない」ということを教えてくれているのでしょう。
心臓が止まると、「魂」は肉体を離れ、トンネルを抜けるそうです。
トンネルを抜けると林があり、林を歩いていくと、お花畑が見えてきます。
お花畑は、「自分が好きだった花」で満たされていて、おもしろいことに、花も、空も、雲も「半透明」で、色も形もわかるのに「透き通って見える」と、聞きました。
お花畑を100メートルほど進んだ先には、「1本の川」が流れていて、川の流れは3種類。
①「流れが速い川」、②「せせらぎのように穏やかな川」、③「流れがまったくない川」。この3種類の川を「三途の川」と言うようで、私たちは、そのうちのひとつの流れに出合うそうです。
生前、誰からも愛されず、「よき仲間」にも恵まれず、「おまえなんか、いなければよかったんだ」と否定されながら生きてきた人は、「流れが速い川」を渡ることになるようです。
「愚痴も悪口も言ったし、でも時には喜んで、時には幸せだった。一喜一憂しながら普通に生きてきた」という人は、「せせらぎのように穏やかな川」を渡るそうです。
そして、愚痴や悪口を言わず、常に喜びに満ちあふれていた人、「喜ばれる存在」として「感謝」を忘れなかった人は、「流れがまったくない川」を渡ると聞きました。
では、人生は何のためにあるのでしょうか。
「人生は、努力するものでも、頑張るものでも、地位や名誉を手にいれるものでも
ない」
〇〇したから楽しかったではなくて、楽しんで〇〇する。やること自体を楽しむ事。
人に「うれしい・たのしい・しあわせ」そして「喜ばれるため」に存在しているようです。