百姓通信
自然と素直に向き合い、全身で風を感じて私は百姓しています。
①土づくり②循環型③無農薬・無化学肥料④永続性を大切に!
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『田の草フォーラム』の夜は長い!!
さすが、全国の有機・水稲の篤農家の集まりだけはある。こだわり米から造られた日本酒が、交流会の席に並べられ、わいわいガヤガヤ、和やかな品評会が始まる!
こちらは高島市新旭町針江の石津さんが栽培された酒米「玉栄(たまさかえ)」で造られた『梅花泉』、同じ町内の上原酒造さんがなんと国内に三軒しか残っていないといわれている木槽天秤しぼり(きぶねてんびんしぼり)という技法でしぼられたもの。(木槽(きぶね)とは、厚さ10センチの桜材で作った、たて3.5メートル、横1メートル、高さ1.2メートルの木舟のようなもので一方に酒の出る口が付いており、それを利用して天秤の要領でしぼるという。)
お米も最近はパンになったり、様々な料理の素材に用いられるようになってきているが、やはり日本酒には誰も目がない。
自分が栽培したものが、お酒になったり、醤油になったり、味噌になったり、なんとも百姓とは楽しい職業だ。




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メダカのがっこう主催の『第三回・田の草フォーラム』に19、20日、参加をして参りました!!
全国の有機・水稲農家の集まり(私は水稲農家ではないのですが・・・)で、いつも大変元気を頂くフォーラムで、今回も期待通りの大変有意義な会でした。
主催者や共催者の方々をはじめ、スタッフの方々や多くの全国から集まられた熱い想いのみなさんに感謝すると共に、今後も更なるご指導を頂けますように深くお願い申しあげます。
田の草を雑草とは決して呼ばず、それぞれの草の個性を知り、それぞれの草の特徴からそれらの生育する圃場の性格を知るということが大切であり、田の草と共に生きる百姓の喜びを充分噛み締めながら日々暮らすことの意義深さを改めて教えていただいた2日間でした。
本当に皆さんありがとうございました。


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昨日は快晴の富士山を眺めながら、一路那須塩原へ!二年に一度開催されるメダカのがっこう主催の『田の草フォーラム』参加のため栃木の大田原へ向かったのでした。


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赤いこんにゃくがある。滋賀の近江八幡の名物だが、その由来は安土桃山時代にさかのぼり、織田信長がつくらせた?!という。地元では主に煮物で慶事の食卓を彩る。今はもう販売されているのは地元で3店舗しかないが、こんな特産品を活かした郷土料理店があってもいい気がする。


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一日中、雪の舞う寒い日でした。
1月17日といえば、十三年前・・・、なんとも忘れられない“一日”です。
もう神戸では小学校に通う児童は全員震災を知らない・・・、十三年という歳月はそういうものです。
良い意味でも悪い意味でも十三年という歳月が過ぎ、忘れ去ったモノ、記憶に必ず留めておきたいコト、人、それぞれだと思いますが、私は、震災の現場でボランティア活動等をおこなう中で、『他人のためだと思ってやったことが、実はそこから様々なことを教えていただき、それが自分の糧になる。』ことを大きく実感しました。
当時新大阪で仕事をしていた私は、新大阪から住吉まで移動する中で激変する世の中が実在することに驚嘆し、どちらも現実であることにまさに落胆したものでした。当時被災地は復帰出来ないのではないかというくらい大変な状況で、生活すらままならない状態でした。他人と他人が協力し合い、コミュニケーションが如何に大切で、一人では生きていけない現実を感じる一方で、共同生活が如何にストレスになるかを知りました。
暴動が起きない日本の民度が高いことを誉れに思う一方で、義援金だけで全てが解決できると思ってしまっている心の貧しい貨幣偏重社会に嫌悪感を持ったものです。
今一度、当時を想い出し、今一度“真の豊かさ”を考えたい、そんな一日が今日でした。




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循環型の社会づくりをサポートする仕組みとして、さまざまな団体や財団法人が補助金や助成金、交付金を持っている。
たとえば、特定の独立行政法人以外にもトヨタや日立、三井物産や住友、イオンや東京ガス等、一流企業といわれる大手企業はいろいろな視点で新しい社会の仕組みづくりをサポートしようとしている。
また先日紹介したエコファンドのような仕組みを金融機関が持っていたり、 ap bank や momobank のような環境に配慮した市民活動や企業活動を資金面で支援しようという動きも各地でみられるようになってきている。
持続可能な社会づくりにはそれなりのエネルギーが必要なことは事実だが、エネルギーのみならず資金がやはり必要になってくる。資金も常に充実していれば良いが、なかなかそういう状況でこのような活動が継続できず、頓挫してしまうことも多いと聞く。交付金や補助金頼りで先ずは始動してみたはいいが、そのアト継続出来なければ意味がない。できるだけ、小さくても少しは収益があり、続けられるモデルをしっかり構築し、みんなで力を合わせて半永続的に継続できることが本当の『“持続可能な”社会づくり』の第一歩のような気がする。


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現在読んでいる本に『偶然、手に入れた富は災いをもたらすことがあります。何故なら、自分の身の丈に合わないもの、自分が受け取るに値しないものを永遠に保持することはできないからです。』と書かれています。
昨年の暮れは、「宝くじが当たったら・・・」とか「一億円は何グラム・・・」とか、宝くじを買ってもいないのに、わけのわからないことを話していた僕は、「いやでも、身の丈にあったお金じゃないとロクな事がないよ!」っと今年に入り、友人達と話していたことを思い出し、やはりそういうものなのかと変に納得した次第です。
『世の中に神様はいない。何故なら、神様がもし仮にいれば、そんなに貧困で、今日食べることができない人類が存在するはずがないからです。』という人がいます。しかし「神様はあなたの心にいるのです。」といわれるとなんだかわかった気になります。そして『あなたの「わたし」は身体ではありません。身体は「わたし」がおのれの目的を達成するために用いる道具に過ぎません。「わたし」は心でもありません。心は「わたし」が考え、推理し、計画を練るために用いるもうひとつの道具にすぎません。』といわれるとストンと心に落ち着きます。ということは、やはり信じるものは救われるというところに落ち着くということなのでしょうか。

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元旦に播種したトマトさん達が無事に発芽しています!!
『今年も、頑張ってください。精一杯、サポートさせていただきます。』という気持ちで一杯です。まだまだ寒い日が続きますが、こんな中で大きくなったトマトさん達は、ストレスに強く、環境の変化にもしっかり順応してくれる逞しい大人に成長してくれることでしょう。


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昨日、「環境への貢献は、資本生産性を左右しないため、当然BSには記入されず、産業の変化を促す圧力に決してならない。こうして、資本主義経済の中で自浄作用が働かないまま、農耕地の環境破壊は、深刻さを増していった・・・」 と記載したが、企業の環境への配慮や貢献について、その活動を企業力とみなし投資価値として判断する投資信託があるという。
それは言わずと知れた「エコファンド」であるが、そのファンドを日本で初めて10年前に立ち上げた筑紫みずえさんは、「“命”とは・・・」「“命”はぐくまれる環境とは・・・」について子育てをしながら考えた末、『金融を通して社会を変えたい!!』と思ったという。
彼女は金融機関の出身だが、金融機関へ就職する際の面接で「シェークスピアの『ヴェニスの商人』の金貸しの印象が強くて、金融業はあまり好きになれない」と話されたという変り種だが、その時の面接官も風変わりな方だったらしく、世界銀行が債権を発行して、第三世界にお金を回す仕組みがあると教えてくれたという。金融が社会の不平等を正す側面をもつ事を知り入行されたそうだが、「エコファンド」も同様に『金融が社会の環境に対する認識を変え、行動に変革をもたらし、いづれ世界をも変える!!』と熱き想いを持っておられる。
エコとエコノミーの両立、企業活動と環境活動の共生、規制というネガティブな発想から持続性とバランス感を企業力とするポジティブな企業への変革が可能だということは、現代の農業の変革も決して不可能ではなさそうだ。



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近代農業における米の収穫量は、16世紀のアジアの伝統的稲作の4倍に増加しているといわれており、ということは土地生産性は、ほぼ4倍に増加している。また、耕作の機械化によって、単位収量あたりの投入労働量も1/3に減少しているので、労働生産性も高められたといえる。近代的な資本主義経済においては、資本財の中で土地と労働が最重要視されていることから考え合わせてみると、農業の近代化は、資本生産性の向上として評価できるといえる。
ただ、土地と労働力を除いた資材で考えると、農業の近代化は、生産性を驚くほど低下させたことになる。それは近代日本の稲作において一定の収穫を得るために投入される資材は、アジアの各国で行われている伝統的稲作で使われる資材(種子、農具、肥料など)に比べて、桁違いに多くなってしまっている。項目別に経費を見ると、近代農業で使われる最も高価な資材は、コンバインやトラクターなどの農業機械で、その費用が、全体の1/3を占めるという。その他、化学肥料、農薬、燃料費がほぼ同程度かかる。すなわち、土地と労働を除いた資本財当たりの生産性は、近代化したことによって、逆に著しく低下したことになるといえる。
また農業の近代化を推進する過程で最も重大な見落としは、環境問題である。環境の変化は、経済に影響を与える段階にならない限り、資本生産性を左右しないため、当然バランスシートには記入されず、産業の変化を促す圧力に決してならない。こうして、資本主義経済の中で自浄作用が働かないまま、農耕地の環境破壊は、深刻さを増していったのである。
栽培作物は、市場価値が高く高収益が上げられる特定作物に偏ってくる。市場経済の下で生産性を高めるには、当然の措置とも言えるが、生物学的に見ると、生物の多様性の喪失という大きな代償が支払われていることを一方で認識しなければならない。 そして、私たちは今一度、生物の多様性をベースにし、資本材の投下を極力省ける農業の体系化を急がなければならない事に気づかされるのである。
資本主義経済下における農業は、エコノミーとエコロジーを両輪に再構築を急がなくてはいけなくなる。


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