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ソユ&チョンギゴ 「SOME」

 
 
 女性アイドルグループ「SISTAR」のメンバーソユと、2002年にCDデビューした34才のチョンギゴのデュエット曲”SOME”。
 この画像はKBSTV音楽番組「ミュージック・バンク」からです。たまに見るミュージックバンクでアイドルグループを押さえ、返り咲いてまた1位になったので感心して聴いていました。
 2月7日にリリースして以来ヒットチャート1位をキープ。ミディアムテンポのメロウでシャレたPOPな曲調が心地よく、自然に同じフレーズをくちずさんでしまいます。
 ソユとチョンギゴの”Some”は、キム・ドフン、ミン・ヨンジェ、ZANYBROSなど、K-POP最高のプロデュース・ドリームチームが意気投合して誕生した「STARSHIP X」の、2番目のコラボプロジェクトのタイトル曲です。
 KBSTVのバラエティ番組「ハッピーサンデー」に出演したチョンギゴはこの曲の大ヒットで、中学時代の同級生から20年ぶりに連絡が来たと話しました。『連絡先を知っているのが不思議なくらいに疎遠だった人からで、普通はまず”おめでとう”とか”元気だった?”とか”どうしてた?”と言うはずなのに、”SISTARってきれい?”と聞いたんですよ』
 ソウルでも有名な豚足店の息子だそうで、余裕があって下積みの苦労はしなかったと話していました。
 
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1964年~66年の映画音楽 ④ 「女王陛下のダイナマイト」 「ガリアの恋人」

 
 
   今年の3月と4月にスカパーで放映したので、御覧になった方もいるかと思いますが、この映画はお・も・し・ろ・いです!
 「女王陛下のダイナマイト」(1966年・フランス)はジョルジョ・ロートネル監督のアクション・コメディー映画で、主演はリノ・バンチェラ、ミレーユ・ダルクです。
 元ギャングで今は堅気になってボート屋を経営するリノ・バンチェラのところへ昔の仲間が現れ、イギリスのギャングが絡んだ大きな事件に巻き込まれていくという話です。リノ・バンチェラと元ギャング仲間(ミシェール・コンスタンタン)、ノミ屋のジャン・ルフェーブルとのやりとりがおかしく、イギリスのギャングの殺し屋グループの格好がモッズルックで、ギターをかかえてロックを演奏するというのも笑えます。
 後半は自分たちの農場をダイナマイトで爆発させられた、リノ・バンチェラたちが堪忍袋の緒が切れて、イギリスのギャングたちをダイナマイトで吹っ飛ばしていくというドタバタ・コメディーで、からっとして明るくて、「リオの男」や「カトマンズの男」のフィリップ・ド・ブロカの映画にも通じる面白さです、1960年代のフランス映画はヌーヴェルヴァーグと、ルイス・ブニュエルやロベーロ・ブレッソンなどの芸術映画だけではないわけで、こういう映画こそDVDで発売してほしいです。
 
 
 
 
 
 「ガリアの恋人」(フランス・1966年日本公開)は、「女王陛下のダイナマイト」のジョルジョ・ロートネルが監督、ミレーユ・ダルク主演の三角関係のメロドラマです。
 音楽はミッシェルマーニュで、バロック音楽が使われています。
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スリム・ゲイラード&スラム・スチュアート ”レッド・ルースター” ”チャイナタウン・マイ・チャイナタウン”

 
 
 
 スリム・ゲイラード(Slim Gaillard)はジャズ・ギタリスト、ピアニストです。ただジャズといっても、ノヴェルティー・ソング(コミカルでナンセンスでユーモラスな音楽)の人なので、その音楽は笑いにあふれています。日本でいうとお笑いのミュージカル・ボーイズ系なのですが、スリムゲイラードはピアノ、ギター、ヴォーカルともジャズミュージシャンとして一流の腕前をもっています。
 1937年にスリム・ゲイラードは、ベーシストのスラム・スチュアート(1914~87年)と出会い意気投合、ジャズ・ノヴェルティー・グループの「スリム&スラム」を結成します。
 スラム・スチュアート(Slam Stewart)は1940年代にはレスター・ヤング、アート・テイタム、コールマン・ホーキンなどジャズ・ジャイアンツのグループのベーシストを務め、1945年にはチャーリー・パーカー、ディジー・ガレスピーのビバップ・グループの録音に参加しました。1980年代まで現役のジャズ・ベーシストとして活躍し、SAVOY、BLACK&BLUEなどのレーベルにソロ・アルバムを録音しています。
 スリム&スラムは1938年に”Flat Foot Floogie"が大ヒットし、8週間1位を記録、その後も”Chickin & Rythm”などの曲をリリースしました、スリム&スラムは、スリム・ゲイラードが1942年に兵役に就き、解散するまで続きました。
 アップしたのは代表曲”Red Rooster(Chickin in Rythm)"です。”コケコッコウ、コケッコウ、チッキン・リズム”と”パカパカ”と言っているだけのナンセンスなノヴェルティー・ソングです。
  
  
 
 
  
 アップした”Chinatown My Chinatown"は、スリムゲイラードが中国人に扮して、インチキ中国語を話すという曲で、後半のインチキ中国語が爆発するところは面白さいっぱいです。     (Kann Dorao)
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ジェリー・マリガン Gerry Mulligan Quartet ”Burnie's Tune” ”Prelude in E minor”

 
 
 
 ジェリー・マリガン(Gerry Mulligan)(1927~96年)は、アメリカのジャズ・バリトンサックス奏者、作曲家、編曲家です。1946年にジャズ・ドラマー、ジーン・クルーパーのバップ・バンド、次にクロード・ソーンヒル楽団の編曲スタッフになり、1948年にはマイルス・デイヴスのバンドに参加、アルバム「クールの誕生(Birth of Cool)」で、作曲・編曲・バリトンサックスを担当しました。
 1949~51年にはマイルス・デイヴィス・グループとの活動と並行して、トロンボーンのカイ・ウィンディング、ジョージ・オールド、エリオット・ローレンス楽団などの編曲を、1951年には初ソロアルバム「Mulligan Plays Mulliggan」を録音しました。
 1952年にロサンジェルスに移り、トランペッターのチェット・ベイカーなどとジェリー・マリガン・クァルテットを結成し、Pacific Jazz レーベルからアルバム「Gerry Mulligan Quartet」を録音します。ジェリー・マリガンの編曲が素晴らしく、チェットベイカーのソロ、ジェリーマリガンとのアンサンブルも秀逸です。
 アップしたのは同アルバムからジェリー・マリガン作曲・編曲の”Bernie's Tune”で、今聴いても格好良くて、ジェリー・マリガンが1950~60年代にヒップでクールなジャズ・ミュージシャンとして人気が高かったのが分かります。 
  Gerry Mulligun(bs) Chet Baker(tp) Bob Whitlock(b) Chico Hamilton(ds)   
 
 
 

 

  ジェリー・マリガンのアルバム「Night Lights」(1963年録音)から、ショパンの曲をジャズにアレンジした"Prelude in E Minor"です。ジャズ評論家、油井正一氏の深夜のFMジャズ番組のテーマ曲に使われていました。   (Kann Drao)
 
 Gerry Mulligan(bs) Art Farmer(tp,flh) Bob Brookmeyer(tb) Jim Hall(g) Bill crow(b) Dave Baily(ds)
 
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デューク・エリントン、アリス・バブス Duke Ellingto/,Alice Babs "Stoona" デ 

 
  デューク・エリントンに興味有る方に、最初に聴いてほしいCDは「Duke Ellington in Sweden 1973」です。
 デューク・エリントンの音楽は、モダンジャズよりとっつきにくく、良さがわかるまでモダンジャズよりかえって時間がかかります。
 その理由をいくつかあげると
 ①1926年の初録音から亡くなる1974年まで、膨大なレコーディングをしているので、どれを聴いていいのか分からない
 ②1920年代から40年代の録音はあまり音がよくない
 ③ビッグバンドなのでジャズのイメージと違ってポピュラー音楽っぽい 
 ④エリントンのアレンジは不協和音を使う場合があって、なんだか変な感じ 
 ⑤1960~70年代には組曲のアルバムがいくつもあり、少しどろどろしていて聴きにくい 
 ⑥評論家や本・雑誌が薦めるエリントンの1950~60年代ののアルバムはそれほど面白くないものがある。
 たとえば「アット・ニューポート」(1956年) ポール・ゴンザルベスのバリトンサックスが売り物だが、アドリブ・ソロが長すぎて飽きてくる。  「マネー・ジャングル」(1962年) チャールス・ミンガスとマックス・ローチとの共演だが、エリントンの音楽の本質からは遠く離れていて、フリージャズやコルトレーンなどハードなジャズを好む人向け    「ポピュラー・エリントン」(1966年) 代表曲を再録音したものだが、アレンジが今一歩で何回も聴きたくなるほどではない、など。
 
 ここにあげた「Duke Ellington in Sweden in 1973」は、1973年のスウェーデンでのコンサートをライヴ・レコーディングしたものですが、とにかく内容が素晴らしいです。
 音が良く、臨場感満点。エリントンのアレンジが冴えわたっていて、演奏者・ソロイストも本領を発揮、特に1963年よりエリントンと共演しているスウェーデンの女性歌手アリス・バブスのヴォーカルが最高です。
 1974年にエリントンは逝去しますが、その前年までエリントン楽団の演奏は全盛期のまま、衰えをみせてなかったことに驚いてしまいます。
 輸入盤で今でも入手可能ですので、初めてデューク・エリントンの音楽を聴いてみたいという方に、是非ともお勧めです。 You Tube にアップされてないのが残念です.
 
 
 
 
 
 
  
 アップしたのは、エリントンが1963年にスウェーデンに渡欧した際に、アリス・バブスとレコーディングしたアルバム「Serenade to Sweden」から"Stoona"です。アルバムは1966年にリリースされました。
 エリントンは楽団のなかでのヴォーカルを、オーケストラの一部ととらえて、ヴォーカルを器楽的に使う傾向があります。そのためか、エリントン楽団のヴォーカリストはメロディーを崩してアドリブをする人よりも、音程がしっかりしていて気品のある声の人(アル・ヒブラーやアイヴィー・アンダーソンなど)が多いです。
 アリス・バブスも声がやさしく美しく、音程がしっかりしているのでエリントンの音楽にはぴったりだったのだと思います。
 このアルバムには他に”I Didn't Know about You"やタイトル曲の”Serenade to Sweden"など佳曲が収録されています。
 
 
 
 
 Alice Babs & Duke Ellington Serenade To Sweden」アルバム全曲UPされていました。
 
A1  Serenade To Sweden 00:00  
A2  The Boy In My Dreams 03:21  
A3  Stoona 05:59  
A4  La De Doody Doo 09:00  
A5  Strange Visitor 11:19  
A6  Azure 13:31  
A7  Come Sunday 16:24  
B1  "C" Jam Blues 21:26  
B2  I Didn't Know About You 24:09  
B3  Satin Doll 28:29  
B4  Take Love Easy 31:16  
B5  Babsie 34:44  
B6  (I Want) Something To Live For  36:36  
B7  I'm Beginning To See The Light   39:32  
B8  Untitled Lullaby 42:15
 
  
 
 
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デューク・エリントン ”ブラック・ビューティー” Duke Ellington "Black Beauty"

 
 
 デュークエリントン(1899年生~1974年没)は、アメリカのジャズオーケストラ・リーダー、作曲家、ピアニストです。1926年の初録音から、亡くなるまで膨大な数の録音・作曲・コンサート活動をしてきました。ルイ・アームストロングと並ぶジャズのイノヴェーター(革新者)であり、20世紀を代表する偉大な音楽家です。 
 作曲した”A列車で行こう(Take the A Train)””キャラヴァン(Caravan)””スゥイングしなけりゃ意味ないよ(It Don't Mean a Thing ,If It Ain't Got That Thing)”など、エリントンだけでなく数多くの音楽家に演奏されています。
 
 ”ブラック・ビュ-ティー”は1928年にエリントンのピアノ・ソロで初録音されました。  エリントンは自作曲をアレンジを代えて再録音することが多く、この曲も何回もレコーディンウされています。アップしたのはステレオ時代になってからのものです。
 
 
 
 
 
 ”ブラック・ビューティー”、1945年のRCA録音です。   (Kann Dorao)
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1967年のポップス ⑰ デイヴクラークファイヴ Dave Clark Five ”青空の恋” ”I've Got to Have a Reason”

 
 
  デイヴ・クラーク・ファイヴは1967年の春に、”青空の恋(You've Got What It Takes)"(東芝OR-1702)をリリース、全英28位・全米7位、日本では文化放送「オール・ジャパン・ポップ20」で、6月1日に20位で初登場、7月16日、30日に6位、8月13日に15位までランクされました。TBS「今週のベスト10」では、5月14日に19位で初登場、7月9日に最高位9位、7月16日13位にランクされました。
 洋楽ヒットチャート大事典(八木誠著)では、「1967年年間ベスト100」で60位に選ばれています。 マーヴ・ジョンソンの1960年のヒット曲(全米10位)のカバーです。
 デイヴ・クラーク・ファイヴらしい強烈なリズムと、マイク・スミスのパワーフルなヴォーカルに、厚いブラスが加わった、彼らの持ち味にあふれた後期の傑作です。今聴いても迫力満点で、オリジナルのマーヴ・ジョンソンより良いくらいで、イギリスでのチャートの低さが不思議になります。
 
 
 
 
 
 
  デイヴ・クラーク・ファイヴは1967年1月に、”I've Got Have a Reason"をアメリカのみでリリース、全米44位になりました。リバプール・サウンドと、DC5サウンドが合体したような爽やかなポップスです。   (Kann Dorao)
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1966年のポップス ⑨ デイヴ・クラーク・ファイヴ Dave Clark Five ”オーバー・アン・ドオー・バー” "アイ・ミス・ユー”

 
 
 デイヴ・クラーク・ファイヴ(DC5)はイギリスのグループで、1964年には”グラッド・オール・オーバーが全英1位のヒットを記録、アメリカでも”ビッツ・アンド・ピーセス” ”ビコーズ”など多くの曲がベスト10ヒットになり、アメリカではビートルズを抜くのは、DC5ではといわれるほどの人気がありました。
 強烈なドラムとサックスとキーボードを前面に押し出したサウンドと、マイク・スミスの豪放なヴォーカルが特徴です。
 アップしたのはアメリカで1965年11月にリリースされ、全米1位になった”オーバー・アンド・オーバー(Orver And Over)”(東芝OR-1447)です。日本では1966年1月に発売され、TBS「今週のベスト10」で1966年2月10日に13位になりました。
 
 
 
 
 
 
 デイヴ・クラーク・ファイヴのシングル盤は、日本では1966年に”マルベリー・ブッシュ(Malberry Bush)”(東芝OR-1460)(日本のみの発売)、”アット・ザ・シーン(At the Scene)”(OR-1497)、”トライ・トゥー・ハード(Try Too Hard"(OR-1521)、”目かくしの恋(Look Before You Leaps)”(OR-1532)がリリースされました。1966年は曲にめぐまれなかったこともあり、英・米・日本ともヒットにまではなりませんでした。
 UPしたのは”アット・ザ・シーン”のB面の”アイ・ミス・ユー(I Miss You)"です。”ビコーズ”のようなせつないメロディーの胸キュンポップスで、B面で発売されたのが惜しいと思ってしまう、DC5の隠れた名曲です。   (Kann Dorao)
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シン・ヒョンウォン 「最良の日」「土地」

 

 シン・ヒョンウォンは1958年生まれで現在56歳。1982年にプロジェクト・アルバム 「笑わせる歌と笑わせない歌'で」”火種”と ”硝子壁”でデビューしました。1987年発売された第2集は大衆に愛され、 ”蛍”で「MBC美しい歌大賞」の金賞を受賞しました. 現在は慶熙大学ポストモダン音楽学科教授です。2009年8月にキム・デジュン前大統領の追慕曲”あなたは私たちです”(作詞 は詩人のコウン)の作曲を引き受けました。

 2011年には光州市人権憲章制定委員、2013年にワールドビジョン弘報大使を勤めています。
 
 アルバム
 1982年1集 <火種>
 1987年 2集 <蛍>
 1988年 3集 <服>
 1990年4集 <小さな窓>
 1992年 5集 <私たちを悲しくするものなど>
 1995年 6集 <ソウルから平壌まで>
 
 
 

 

 

 
  
”赤い夕焼け””ゲンジボタル”に並ぶ、シン・ヒョンウォンの代表曲”土地”です。
 
   「土地」
 
 あの山脈は寡黙に 五千年を生きた 暴風をすべて打ち勝ち
 この地を守ってきた
 あの河は寡黙に 五千年を流れた あらゆる悲しみを打ち勝ち
 この地を守ってきた
 雪岳山を巡り 東海に迫ると 美しいこの山河は
 東方の白い国
 
 東海の大きな太陽は 我らの希望よ この身が生まれた国
 全世界に輝け
 自由と平和は我らすべての手で 歴史の息吹 その日は訪れる
 その日が訪れれば皆喜ぶ 我らの息吹で
 この地を守ろう
 
 漢羅山から 白頭山を眺め 遠い故郷を思うと 
 胸がつまる
 白頭山の虎よ 今も生きているのか 生きているならば
 一度は大きく吼えてみよ
 凍りついた鴨緑江よ 漢江へと流れよ
 合流し大きな海へと流れゆくのが正しかろう
 大極旗のはためきと 民族の大きな夢
 統一よ早く来い
 皆が待っている 歌おう歌おう 我らの歌を
 その日を願い 皆で歌おう
 ムクゲの香り三千里に広がれ その日は必ずや訪れる
 
 
 
 
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詩人と村長 ”風景” ”茨”

 
 
  韓国で人気が高いギタリスト、ハム・チュノが所属していた二人組のグループ「詩人と村長」。ハ・ドッキュとハム・チュノのグループです。”風景”は1986年に発売された2集「青い帆」に収録された曲です。
 韓国Wikiより
 詩人と村長は韓国のフォーク・ロック・グループで1981年にデビュー。グループ名は同名の小説から取りました。”茨”、”愛日記”、”風景”などヒット曲があって, コマーシャルの音楽に使われながらヒットをしました。. 歌の中で ”茨”は多くの歌手たちがリメークしましたが、特に歌手チョ・ソンモのリメーク曲は大きく人気を呼びました。
 1986年に発売された詩人と村長のアルバム 2集「青い帆」は 2007年京郷新聞と音楽雑誌が選定した「韓国大衆音楽ベスト100」の 14位に選ばれました。
 
チョ・ソンモがリメイクして約200万枚売れた”茨(カシナム)”は1988年発売の3集”森”の収録曲です。1988年の年間TOP100で19位にランクされています。人気があったのですね。
 
 1集 詩人と村長 1981年
 2集 青い帆 1986年
 3集 森 1988年
 4集 足 2000年 
 
 
 
 
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