人が生きる世の中(サランサヌンセサン)
毎日韓国ドラマと映画と音楽でヘンボケヨgooblog
1963年の洋楽 ⑰ ビーチボーイズ 「サーフィンUSA」 「ハワイ」”Surfin' USA" "Hawaii"
1964年のポップス ⑤ 「ダンケ・シェーン」 コニー・フランシス、ベルト・ケンプフェルト
1964年のポップス ④ ブレンダ・リー、トニー・ベネット「サンフランシスコの思い出」(I left My heart in Sanfrancisco)
「想い出のサンフランシスコ」(I Left My Heart in Sanfrancisco) は1962年にトニー・ベネット(Tony Bennett)によって録音され、シングル盤のB面として発売されました。A面の曲より、この曲ばかり注目され、1962年のポップスのチャートでヒット、ゴールド・ディスクになりました。その年のグラミー賞でも最優秀レコード賞と最優秀男性ヴォーカル賞を受賞しました。
1964年のポップス ③ ボビー・ライデル 「フォーゲット・ヒム」 「ワン・ガ-ル」
ボビーライデルは1959年にレコーディングデビュー、”Kissin' Time ”が11位、”We Got Love”が6位、1960年には”ワイルド・ワン(Wild One)”が最高位2位のヒットになりました。1964年までにトップ40にランクされた曲は20曲近くになります。演技力もあり、映画「バイ・バイ・バーディー(Bye Bye Birdie)」では、アンマーグレットの恋人役を演じています。
もともと”ワンボーイ(One Boy)のタイトルで、ミュージカル「バイ・バイ・バーディー(Bye Bye Birdie)」(1960年)のために書かれた曲で、1963年に映画化されたときにはア,ンマーグレットが歌っていました。
1964年のポップス② 「自由への賛歌(星影のビギン)」 ケネディ大統領とコーラス)]
ケネディ大統領の演説から一部を抜き出して、コーラスと音楽をつけたアルバム「ケネディと歌おう(Sing Along with JFK)が、1963年に米国でリリースされました。
1969年のポップス ③ ホリーズ 「ごめんねスザンヌ」 Hollies "Sorry Suzanne"
ホリーズにとって1968年はグループ結成以来 最大の激動の年になりました。音楽性の違いにより(ロック志向のグラハム・ナッシュと、ポップス志向のアラン・クラーク、トニー・ヒックス)、グラハム・ナッシュはグループを辞め、デビッド・クロスビー、ステファン・スティルスとクロスビー・スティルス&ナッシュを結成します。
1967年のポップス㉗ ホリーズ「恋のカルーセル」「キングマイダス」
1968年のポップ ⑤ ホリーズ「ディアー・エロイーズ」 「とび出せ初恋」
ホリーズ1967年のアルバム「Butterfly」からシングルカットされた”ディアー・エロイーズ”(Dear Eloise)は、英国ではシングル未発売、米国では50位でしたが、オーストリアでは2位、ニュージーランドでは4位など世界でヒットしました。
1966年のポップス ⑯ ホリーズ「バス・ストップ 「アイ・キャント・レット・ゴー」
1965年のポップス ⑦ シーカーズ「二人の世界」(A World Is Our Own) 「涙のカーニヴァル」(Carnival Is Over)
シーカーズの英国でのセカンドシングル、「二人の世界」」(A World Is Our Own)(トムスプリングフィールド作)は、デビュー曲の「恋は一つだけ」”I Never Find Another You”に続き英国で2位、オーストラリアでは1位、米国では19位のヒットになりました。 (Kann Dorao)
英国での3枚目のシングル「涙のカーニヴァルl」(Carnival Is Over)は、英国で3週間1位、オーストラリアでも2週間1位になる大ヒットになりました。この曲はもともとロシア民謡で、トム・スプリングフィールドが英語の詩をつけました。
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