人が生きる世の中(サランサヌンセサン)
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1962年の洋楽 ⑨ 弘田三枝子「カモン・ダンス」「恋のエアー・メイル」
パンチがあってリズム感抜群のミコちゃん最高!”カモン・ダンスCome on Dance)”(東芝JP-5108)は弘田三枝子の三枚目のシングルです。1962年4月に発売されました。オリジナルは米国の女性歌手モーリン・グレイ(Maureen Gray)ですが、聴き比べると弘田三枝子のほうが断然よいです。
弘田三枝子の”カモン・ダンスCome on Dance)”のB面、”恋のエアー・メイル(Air Mail Special Delivery)”です。オリジナルはジーン・ピットニー(Gene Pitney)ですが、弘田三枝子はパンチがあって負けていません。天性の歌唱力素晴らしいです。
1962年の洋楽 ⑧ デル・シャノン、坂本九「花咲く街角」
デル・シャノン(Del Shanon)の”悲しき街角{Run Away)"に続く、米国での2枚目のシングル”花咲く街角(Hats off to Larry)(ビクターJET-1072)です。デル・シャノンの作品で1961年5月にリリースされ、全米5位、英国で6位、カナダでは1位にランクされました。B面は日米同じ”リリー・リリー(Don't Gild the Lily,Lily)です。
日本でもヒットし、「八木誠の洋楽ヒットチャート大事典」では1962年年間チャートで18位に選ばれています。
坂本九 の”花咲く街角” (東芝JP-5102)です。1962年4月にシングル盤、A面”戦場に陽は落ちて(リトル・リチャード)、B面”花咲く街角”として発売されました。
1962年の洋楽 ⑦ ヘイリー・ミルズ「レッツ・ゲット・トゥゲザー」「ポリアンナ・ソング」」
ヘイリー・ミルズ()Haley Mills)(1946年~)はロンドン生まれで、名優ジョン・ミルズ(John Mills)を父にもち、母は劇作家、姉も女優という恵まれた環境で育ち、12歳の時に父親ののジョン・ミルズと映画「追いつめられて」(1959年)で共演、ベルリン映画祭で最優秀新人賞に輝きました。
1960年には渡米し、ディズニー社と5年契約を結び、デビュー作「ポリアンナ(Pollyanne)」でアカデミー特別賞を受賞しました。映画「罠にかかったパパとママ(The Parent Trap)」(1961年)の挿入歌"レッツ・ゲット・トゥゲザー(Let's Get Together)"で歌手デビュー、全米8位にランクされました。日本でもヒットし、「八木誠の洋楽ヒットチャート大事典」では1962年年間チャート22位に選ばれています。
ヘイリー・ミルズの歌で映画「ポリアンナ」から「ポリアンナ・ソング(Pollyanne Song)」です。この映画は米国で1960年に製作され、日本では1963年に公開されました。「八木誠の洋楽ヒットチャート大事典」では1963年年間チャート」85位に選ばれています。
1962年の洋楽 ⑥ ナンシー・シナトラ 「レモンのキッス」 「カフスボタンとネクタイピン」
ナンシー・シナトラ(Nancy Sinatre))(1940年生~)は大御所フランク・シナトラの娘で、10歳の時より歌やピアノ、ダンスなどを習い、1959年に芸能界デビュー。1961年に父親が設立したリプリーズ(Represe)レコードから、ファースト・シングル”カフス・ボタンとネクタイ・ピン(Cufflinks and a Tie Clip)”をリリースしました。
ナンシー・シナトラ(Nancy Sinatre))の、”カフス・ボタンとネクタイ・ピン”に次ぐ、2枚目のシングル”レモンのキッス(Like I Do)”です。一作目と同じように米国では100位以内にも入らず、イタリアで2位、日本ではザ・ピーナッツ、伊東アイコ、ベニ・シスターズなどがカヴァーするほどのヒットになりました。「洋楽ヒット・チャート大事典」(八木誠著)では1962年年間チャート12位、1963年年間チャート70位に選ばれています。
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ナンシー・シナトラ(Nancy Sinatre))のファースト・シングル、”カフス・ボタンとネクタイ・ピン”です。米国ではチャートの100位以内にもランクされませんでしたが、日本ではスマッシュ・ヒットとなり、中尾ミエがカヴァーしました。
1962年の洋楽 ⑤ 弘田三枝子「かっこいいツイスト」 「一度だけのあやまち」
弘田三枝子の”かっこいいツイスト”(1962年7月発売)です。洋楽のジャンルでは日本人の歌手は載せないことにしていますが、弘田三枝子の歌があまりにも素晴らしいのでUPします。オリジナルはイタリア人でフランスで活躍した歌手ダリダの”La Lecon de Twist”(1961年)ですが、聴き比べてみると弘田三枝子のほうが断然イカシテいます。
弘田三枝子のドライブ感いっぱいにスィングするヴォーカル、数多くのツイスト・ナンバーでベストの一枚です。
弘田三枝子のシングル”かっこいいツイスト”のB面”一度だけのあやまち(I Apologize)”です。原曲は1931年に作曲された”I Apologize”で、ビング・クロスビー(1931年)、ビリー・エクスタイン(1951年)ティミーユーロウ(1961年)など多くの歌手に歌われています。
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1962年の洋楽 ④ 「すてきな16才」 ニール・セダカ、弘田三枝子
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ニール・セダカ(1939年~)は作曲家として活動しながら、RCAより歌手デビュー、1958年の”恋の日記(The Diary)”が全米14位のヒットになり、その後多くのヒット曲をリリースしました。”すてきな16才(Happy Birthday Sweet Sixteen)”は米国では1961年11月にリリースされ、最高位6位にランクされました。ニール・セダカ(Neil Sedaka)とハワード・グリーンフィールド(Howard Greenfield)の作品です。
日本では1962年に発売され、弘田三枝子、伊東ゆかりがカヴァーしました。「八木誠の洋楽ヒットチャート大事典」では、1962年の年間ランキング42位に選ばれまています。
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弘田三枝子の2枚目のシングル”すてきな16才(Happy Birthday Sweet Sixteen)”です。1962年2月に発売されました。のびのびとした、はつらつとした、パンチのきいたヴォーカル。洋楽のカヴァーでオリジナルを越えているのは弘田三枝子だけだと思います。
1962年の洋楽 ③ ヘレン・シャピロ、弘田三枝子 「子供ぢゃないの」
英国の女性歌手ヘレ・ンシャピロ(Helen Shapilo)の”子供じゃないの(Dont Treat Me a Child))”です。ヘレ・ンシャピロデビュー曲で英国では1961年2月にリリースされ、3位にランクされるヒットになりました。英国でのB面は"When Will You"です。
日本では”子供ぢゃないの”と”悲しき片想い(You Don't Know)"の両A面で発売されました。日本では「洋楽ヒットチャート大事典」(八木誠著)で、1962年の年間ランキング28位に選ばれまています。
弘田三枝子のデビュー・シングル”子供ぢゃないの(Dont Treat Me a Child)"(B面は”悲しき片想い)で、1961年11月に発売され両面ヒットになりました。声が明るく、リズム感が抜群、パンチのある歌で最高です。
1962年の洋楽 ② ジョニー・クロフォード 「Rumores」 「Cindy's Birthday」
1962年の洋楽 ① ニールセダカ 「二人の並木径」 Neil Sedaka "Walk With Me"
弘田三枝子 「ヴァケーション」 コニー・フランシス 「Vacation」