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韓国映画 「JSA」より キム・グァンソク 「宛のない手紙」

 

 

 

 
 2001年に日本公開されたイ・ビョンホン主演の韓国映画「JSA」を4月に観ました。大勢の方が観て大ヒット作品になった映画です。今観ると更に感慨深いものがあります。映画を観るまでは、板門店(パンムンジョム)で国境を挟み両国の兵士が立つ光景が、まるでフィギアのお人形のようで緊張を感じることはありませんでした。
 映画では国境を守る4人の南北の兵士に友情が生まれ、生身の兵士が笑い、しゃべり、肩を抱き合い詰め所で短い間過ごします。ですがそれは絶対に超えてはいけない一線で、その後悲劇が起きてしまいます。OSTで使われたキム・グァンソクの張りつめた歌声が淋しくて悲しい。でも、凛とした力強い歌声でもあります。
 
 
 4月23日に南北両首脳が板門店の一線を越えました。簡単にまたぐだけのことが、出来なかった遠い年月です。
 朝鮮戦争が、平和条約によって、決して正式に終わったわけではなく、停戦協定しかないことを考えれば、いまだ韓国・アメリカと北朝鮮は国境38度線上の共同警備区域(JSA)では緊張状態が続いています。
 韓国の若者はキム・グァンソクの”宛のない手紙”のように徴兵を受けて旅立ちます。戦争と対立の中で長年、緊張と恐怖の中で韓国の人々は過ごしてきたでしょう。平和への渇望は日本人には理解できないかもしれません。
 6月12日は世界史的なアメリカ・北朝鮮会談が行われました。初めの一歩です。ここから歩いていくことでしょう。米韓の主要な軍事演習が無期限の停止になるという報道もなされています。
 「北朝鮮も米韓軍事演習を止めてほしい、韓国も軍事演習は止めて若者の徴兵制を止めたい」というのが本音なのかもしれません。
 
 6月13日に行われた韓国の首長選挙の結果に胸が震えました。現大統領ムンジェイン(文在寅)支持である与党の知事や市長が17か所のうち14の選挙区で当選。
 ソウル市長に3期目当選したパク・ウォンスンは「今こそムン・ジェイン政府とともに」と強調しました。
 「ろうそくのあかりで一つになった国民の意思が、今日の大韓民国を作った」として「市民民主主義の価値を市政の第一原則に据える」「ソウルはこれから各者生き残りの世の中を終わらせ、共同体的暮らしに基づく社会的友情の時代を切り拓く」と約束しました。
 圧倒的に保守が強いパク前大統領の地盤である慶尚北道と大邱は変わらず保守が勝ちましたが、与党も善戦しています。(大邱はキム・グァンソクの出身地。幼いころにソウルへ引っ越しましたが、大邱が故郷だと言います。もともと大邱は左翼勢力の強い地域でしたが、パク前大統領の反共政策で左翼が壊滅、大勢の大邱の人々はソウルや他の場所に引っ越ししたという経緯があります)
 
 韓国の国民が一年前に吹かせた風。民主主義と平和と豊かな生活を渇望した人々は温かい大統領を選び、さらに市長や知事を選びました。民主主義を前進させて、ゆっくりと平和への道のりを歩んでいきます。どれほど長い旅路だったことでしょう。国民が世の中を変えるのですね。日本人としてとってもうらやましいです。
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キム・グァンソク 「二輪で走る自動車」「私の人よ」「彼女が初めて泣いた日

 
 
     ”二輪で走る自動車”は1995年発売の「もう一度歌う2(タシプルギⅡ)」の収録曲です。先輩のフォークシンガー、ヤン・ピョンジンの”逆”をカバーして、タイトルを変え、詞も少し変えています。キム・グァンソクで陽の目を浴び大衆に認められた曲です。。”逆”はボブディランの‘Don't think twice, It's alright’を翻案した翻案曲です。歌詞でもわかるように、辛辣な言葉で風刺しています。
 
 
 
  「二輪で行く自動車」 
 
 
 二輪で行く自動車 四輪で行く自転車
 水の中には飛行機 空には帆掛け舟
 複雑で不明確な世界へ 今日もアドバルーン浮かぶけど
 漁師に捕まった鯉だけが 一息を吐く
 
 男のように髪を刈った女 女のように髪の長い男
 鞄なしで学校へ行く子供 雨の日新聞配達の子供
 複雑で不明確な世界へ 今日もアドバルーン浮かぶけど
 大公に捕まった雀だけが 涙を飲み下す
 
 真夏に毛糸の手袋商人 真冬に水着商人
 稲妻の音に気絶する男 雷の音にあくびする女
 複雑で不明確な世界へ 今日もアドバルーン浮かぶけど
 毒蛇に捕まったケチなやつだけが 長い舌でこき使われる
 毒蛇に捕まったケチなやつだけが 長い舌でこき使われる
 
 
 
 
 

 

  ”私の人よ”「もう一度歌う2(タシプルギⅡ)」から
 
 
 
 
 
 
 
    
  ”彼女が初めて泣いた日”「もう一度歌う2(タシプルギⅡ)」から
 
 
1995年発売の「もう一度歌う2(タシプルギⅡ)」は以前発売された曲やカヴァー曲を集めたアルバムです。
 
 「もう一度歌う2」収録曲
01.  風と私
02.  彼女が初めて泣いた日
03.  二輪で走る自動車
04.  忘れられること
05.  不幸な子
06.  ある60代老夫婦の物語
07.  私の人よ
08.  変わって行く
09.  鳥かごの中の友達
10.  僕の歌
11.  辛すぎる恋は恋じゃなかったと
 
 
 
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キム・グァンソク「僕の歌」 自転車に乗った風景「僕の歌」

 
 
 
  https://youtu.be/SXJ3QBMFkcg  👈ここをクリックして聴いてください。
 
 全国のど自慢で若い教師がキム・グァンソク「僕の歌」を歌いました。かわいい女子生徒が応援に来ていましたね。聞きやすくて良かったです。以前観た全国のど自慢で7歳の男の子がギター演奏で「僕の歌」を歌っていました。キム・グァンソク出身地の大邱編だったと思います。
 
 キム・グァンソク「僕の歌」は1992年3集収録曲。作詞・作曲は、ハン・ドンホン。1995年発売の「もう一度歌う2(タシプルギⅡ)」にも収録されています。
 
      僕の歌
 
 何も持たない人にとって  詩と歌は切ない心の糧
 何も見えない暗闇の中で 詩をつぶやけば光を得る
 僕の歌は僕の力 僕の歌は僕の人生
 小さく乾いた種の中で 明日の実りをみつめるように
 小さな子供の泣き声の中で 心の果実が実ったなら
 僕の歌は僕の力 僕の歌は僕の人生
 蜘蛛の巣のように絡み合った世界の中で 
 風に揺れる小枝のように揺れて倒れようと
 この世界に 最後の一滴の水がある限り
 僕は飲んで歌うよ 僕は飲んで歌うよ
 数多くの心理と良心の金文字の きらびやかな光には遠くない
 隣人と友人たちの笑い声の中に 少しの調べが響き渡り
 僕は歌うよ 僕の歌を 僕は歌うよ 貧しい人々の心を
 それでも君たち皆が耳を傾けるとき
 歌は遠く遠く 飛んで行くだろう 歌は遠く遠く 飛んで行くだろ
 
 
 
 
 
 
 
 フォークグループ「自転車に乗った風景」が2015年に「開かれた音楽会」に出演してキム・グァンソクさんに捧げますと言って”僕の歌”を歌いました。
 
 
 
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キム・チャンギ(動物園~トンムルウォン) ”市役所前地下鉄駅前で” ”グァンソクへ(キム・グァン

 
 
 
動物園(トンムルウォン)1990年のアルバム「3集」収録曲”市役所前地下鉄駅で”(キム・チャンギ作詞作曲)
 
   「市役所前地下鉄駅で」 
 
 市役所前地下鉄駅で君に再会した 新聞を買おうと振り返った時 
 君の姿を見た 足の踏み場もないその場所で
 君の名前を呼ぶとき 君は驚いた様子で ウ~ 
 君に近寄ろうとした時 僕は誰かの足を踏み 
 とびっきりの笑顔でごめんなさいと言ってしまったよ
 日々の話 移ろった話 うんざりだった天気の話
 押し寄せる思い出に僕たちは疲れていった
 ゆったりとした時間が 僕たちの傍を流れた今
 君は二児の母だと少し笑ってみせた 僕の日常を聞かれた時
 僕は力なく肩を動かして見せては どこかにあろう何かをまだ探してると話した
 *いつの日かまた再会する日には 輝く実を見せてあげると話した
 僕たちの元気に深く刻まれた あの日の歌は 僕たちの耳にまだ残ってるのに*
 
 ときどき君のこと考えると言いたかったけど 短い挨拶だけが常だった
 忙しく動く人の群れに君の姿が消える時 随分前のその日のような私の心には
 *~* 
 
  キム・チャンギの容姿・歌声から、うかがえる善良な人柄。動物園(トンムルウォン)の中心メンバーの隠れた実力者です。延世大学医学部在学中に友人たちと集まって作ったバンド「動物園」。キム・チャンギは「動物園」活動中も医学部学生として勉強し、医者の道へ進みます。
 現在はソウル江南区道谷洞(カンナムトゴクドン)の小児精神科病院で、子供たちの”注意力欠乏過剰行動障害'”など”自閉症”の治療を行っています。
 キム・チャンギについて調べてみました。
 
 1997年に動物園を脱退した後、”夢の会話”のイ・ボムヨンとのデュエット”倉庫で”をリリース。2000年には、ソロ1集「下降の美学」、2013年に親友キム・グァンソクへの鎮魂歌で、タイトル曲”グァンソクへ”を収録したアルバム「私の頭の中の刺」を13年ぶりにリリース。
 2014年2月発売したミニアルバム「平凡な男の幼稚な歌」では、「家族」という共同体で起きる日常と感情をたんたんと歌っています。キム・チャンギはこのミニアルバムを、”時間の流れと共に小さいけれど大事な日常の中で、もっと大きい意味を捜すようになるのが現実で、家族のために出勤してお金儲けする中年男の一日を描いた作品”と話しています。
 
 CBSラジオ番組 ”特別なインタビュー~キム・チャンギ”より抜粋
 
 私はソウルの恵化洞(ヘファドン)で成長期を送りました。恵化洞で思い出すのは丘の上で暮らしていて、母が働いていたので、夕暮れになると兄と妹と3人で母の帰りを待っていたことです。今はドイツの大学で教授をしている声楽家の兄が歌を歌ってくれました。
 両親が音楽好きで、家には1950~60年代のポップスのLPがたくさんありました。声楽家になりたかった母は大学卒業後、MBCテレビのプロデューサー1期で入社したり、大使館に勤めていました。父は軍人でした。
 恵化小学校3年生の時初めて作曲し、子供作曲大会で銀賞になりました。中学の時、兄から誕生日の贈り物でトランジスターラジオをもらいました。ラジオでポップスを聞くのが好きで, ポール・サイモン(サイモンとガーファンクル)を尊敬していました.。
 中学生の時3年間オーストラリアで過ごしました。家族がすべて一緒に暮らしたこともその時が初めてだったのでうれしかったです。サッカーもたくさんして、よく食べてよく遊びました。まわりが白人だけになるとちょっと萎縮しました。
 最初は医者ではなく建築家になりたかったです。サイモンとガーファンクルのアルバム「明日に架ける橋」の中の ''So long, Frank Lloyd Wright''という歌に影響を受けて、この Frank Lloyd Wrightという人がどんな人物かと思って調べててみたら、すごい建築家なんです。自然と建築物を融合させる、ロマンチックで自然主義的な建築家です。それで私もこんな人のようになりたくて理科系に進みました。(フランク・ロイドは大正時代に来日し、帝国ホテル・自由学園などを設計した名建築家)
 
 そして高 3 の夏休みの時、サマセット・モームの ''人間の絆''を読んだのですが、主人公ピーターが私と似ているんです。劣等感が多くてどうすることもできないのに、彼が医者になって奉仕する姿が本当に良く見えました。
 「動物園」のメンバーとは大学の時からすべて友達でした。キム・グァンソクは大学 1年生の時に知り合い、ほとんど兄弟のようにつきあいました.。お互いの家で寝食を共にしながら、一緒に遊んだんです。グァンソクを通して先輩のイム・ジフンさんと知り合いになりました。1984年大学3年の時、”アルバムを出すので私に歌をくれ”と言ったんです。それで作曲した歌をあげたのですが, しばらく消息がなかったんです。1987年に勉強している時に、ラジオで私がイム・ジフン兄さんにあげた歌'”愛の引潮'”が流れました。
 
 その歌がヒットした後に、ロックバンド「サヌリム」のキム・チァンワンさんが”まだ作っておいた曲あるの?”と聴くので、友達どうしでデモテープ 20本を作りました。そうすると、チャンワンさんが”家宝になるから、アルバムを出してみなさい”と言われました。しかし私は大学で一回落第していたので、また落第するか心配でした。ところがやって見るとあまり勉強に邪魔になることもなくて、サークル活動のようだったし、反応も良くて続いたんです。
 
 そのように録音したのが、アルバム「動物園 1集」でした。毎週金曜日夕方にスタジオへ行って、ジャージャーメン・酢豚を食べながら 、8トラックにした曲を録音しました。動物園の”街で”http://youtu.be/lUPAwQOdLtUは、人々が好む曲だと思って作りました。実は私はマイナーバラードをあまり好きではないんですが、計算された音楽構成で、とても切々たる感情を曲にしました。
 「動物園」を脱退したのは、キム・グァンソクの死とは関係ないです。精神科医は芸能人みたいなイメージがあってはいけないから、精神科医としてまじめに暮すために動物園をやめなくちゃいけないと思いました。
 精神科医になったのは精神分析をしたかったからです.。専門医になった後に留学しようと考えたのですが、すぐにIMF危機が起きてしまいました。 あの時ちょうどシカゴイリノイ大学で精神医学の教鞭をとられていた
方が帰国していて、私が初弟子になったのです。人間の発達をよく学ぼうという考えで始めましたが、本当におもしろかったんです。
 
 
 
写真 大学時代の「動物園」のメンバー 左からチェ・ヒョンギュ、パク・ギヨン、キム・グァンソク、ユ・ジュンヨル、パク・ギョンチャン、キム・チャンギ、イ・ソンウ
 
 キム・チャンギ第2集『私の頭の中の刺』タイトル曲”グァンソクへ”
 
  グァンソクとの思い出は、いつだったか私たちがパーマをかけた事があって グァンソクがとても自分の家に帰る勇気がないと言うんです。それで私の家へ行ったのですが、私の両親は何も言わないでチェッチェッチェと舌打ちしました。その翌日グァンソクの家へ行ったら、親御さんに怒られてしまいました。
 グァンソクが死んだ時は私がインターンをしている最中で、お互いに忙しくて一緒に話すことがなくて、彼の辛い気持ちが分からなかった。死ぬ少し前に一緒にお酒を飲みましたが, その時医者の仕事の大変な話ばかりをしてしまいました。
 兄弟みたいに親しかった友達の辛い心も推し量ることができなかったのに、同じような辛さ・悩みを抱えている人たちに、精神科医として話を聞いて治療しているのかと思ったりします.。
 しばらくは罪責感がとても大きくて仕方なかったです。長い間兄弟のような人の心を全然理解しないで、 自分のことばかり考えていたという罪責感があまりにも多かったです.。少しでも助けにならなければならなかったのに、少しでも気を使ったらそんな事が起こらなかったでしょうに、という自責の念です。
 
  インタビューは小児精神科医としてのあり方や、治療のための家族のあり方など、過ぎた歳月で中年になり、家族と幸せに暮らしている自身の暗い面もあえて、アルバムの写真に使ったことを話しました。
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動物園(トンムルウォン)、キム・チャンギ ”君を愛するよ”

 
 
 
 
 現役で活躍する動物園(トンムルウォン)のKBSTV「7080」(2013年2月)での演奏、”君を愛するよ”。真ん中のピアニカがパク・ギヨン、ギターがユ・ジュンヨル、ペ・ヨンギルです。
 KBSTVの「コンサート7080」や「開かれた音楽会」で観る動物園は、現メンバーの3人構成です。以前にUPした動物園の”君を愛するよ”のミュージックビデオ(1995年)には丸顔のボーカリストがいて、今の動物園にいないのが不思議でとても気になっていました。
 動物園といえばキム・グァンソクが所属したグループとして有名で、「コンサート7080」でもキム・グァンソクのことが話題になります。同メンバーだった丸顔のボーカリストには触れないので、キーボードと同じ人だとずっと誤解していました。(私だけだと思いますが)
 『1988年のヒット曲・TOP100』に動物園が7曲もランクインしていたので、動物園を調べたところ、そのボーカリストがキム・チャンギで、動物園の代表的なヒット曲の作詩・作曲者だったということがわかりました。https://blog.goo.ne.jp/yakkogacha/e/59447ba08819f8ad3d877d552c1c980f

 

 
 
  
 
 
  Youtubeで”君を愛するよ”を歌うキム・チャンギの画像を見つけました。2014年の4月、MBCTVの音楽番組からです。
  ”君を愛するよ”は、やわらかいシャボン玉のような夢見心地の、趣味の良い調べの洗練された音楽なので、作詞作曲したキム・チャンギの人間性がわかるような気がします。
 
 
 
 
 1995年に発売された6集アルバムのタイトル曲”君を愛するよ”。真摯な歌詞と清らかな感性で音楽チャートの1位を獲得しました。
 4人が揃ったライブ。ファンの歓声がすごいですね。当時の人気の凄さがわかります。
 
   「君を愛するよ」
 
 僕の熱い唇が 君の柔らかな唇に 触れるように願い
 僕の愛が 君の心に伝わるように
 まだ僕の気持ちが気付かずにいるなら
 この世の誰よりも 君を愛するよ
*君を愛するよ いつまでも 君を愛するよ 今この瞬間のように
 この世の誰よりも 君を愛するよ*
 難しい話で 君の関心を引くこともできる
 よくある遊びで夜を過ごすこともできる
 だけど僕の心にそろそろ気付いて
 この世の誰よりも 君を愛するよ
 *~* 
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キム・グァンソク「のどの渇きで(渇望の思いで)」「荒野にて」「立ち上がれ」

 
 
 
 歌詞の”民主主義よ万歳”が胸に染み入ります。
 
 今年生誕50周年を迎えたキム・グァンソクは永遠の伝説の歌手です。日本でも人気が高く、彼に関するブログもたくさんあります。
 キム・グァンソクの詳細はこちら http://contents.innolife.net/lista.php?ac_id=13&ai_id=49
 
 1980年代の民主化抗争の嵐の中、キム・グァンソクも歌を通して運動の一翼を担っています。キムミンギ”朝露”と同じように、キム・グッァンソクの”のどの渇きで(渇望の思いで”や”荒野にて”は学生や大衆に支持され続けた曲です。
 韓国では怒涛の80年代を経験した後の1990年代は混沌とした社会の変革の中、多くの犠牲を出して民主化を勝ち取った喜びに浸る余韻もなく、次の時代への展望を見出すまで、虚無感などもあったのでしょう。
 ある意味キム・グァンソクの1996年の死は、時代の終わりの始まりだったのかもしれません。1990年代を舞台にした韓国ドラマ「遥か遠い国」を観ると、民主化以降の人々の心理を描いていて、キムグァンソクの生きた時代を少しですが、かいま見たような気がします。
 
 ”のどの渇きで(渇望の思いで)”は反骨の詩人、キム・ジハ(金芝河)の作品です。作曲イ・ソンヒョン。
 キム・グァンソクは1984年キム・ミンギのアルバムに参加してデビュー。学生連合歌声サークル「ノチャサ」(歌を探す人々)1stアルバムに参加しています。”のどの渇きで”はその頃の歌なのでしょうか。
 
  「のどの渇きで(渇望の思いで)
 
 この頭はお前を忘れ久しい
 この足取りもお前を忘れ久しい
 たった一筋の燃える胸の奥
 渇望の記憶が お前の名をそっと記する
 のどの渇きで のどの渇きで
 民主主義よ万歳
 
 息を吹き返す 青い自由の追憶
 連れて行かれた 友の血に染まった顔
 震える手 震える胸
 身の震える憤りが 暁にそっと記する
 のどの渇きで のどの渇きで
 民主主義よ万歳
 
 
 
 
 
 ”荒野にて”は作詞作曲、ムン・デヒョン。1989年1集の収録曲でしょうか。歌声グループ「ノチャサ」(歌を探す人々)の1989年2集のアルバムに収録されています。この年のベスト100の69位に「歌を探す人々」の”荒野にて”がランクされています。この頃はこのような「ノチャサ」の曲が3曲もベスト100に入るほど人気があったのですね。韓国の熱い歴史が感じられ胸を打ちます。
 
   「荒野にて」
 
 胸を痛め去っていった この地の血の涙
 抱き合った両腕に浮かびあがる 白服の血筋よ
 *朝日昇る東海から 夕日沈む西海まで
 熱い南道から 広大な満州平野
 我々はなぜ貧しかろう 我々はなぜためらおうか
 **再び立ち上がるあの平野で
 握り締めた熱い土よ**
 *~**
 **~**
 
 
 
 
 
 1994年に発売された4thアルバム収録曲”立ち上がれ”
 
   「立ち上がれ」
 
 黒い夜の中に立っている 一寸先も見えはしない
 どこかへ行かねばならないが どこに行こうか
 呼んでみても無駄だろう
 人生という川の上を意味もなく 浮き草のように漂うが
 どこか静かな湖畔にたどり着いたら
 水と一緒に腐っていくだろう
 立ち上がれ 立ち上がれ もう一度挑むんだ
 立ち上がれ 立ち上がれ 春の新芽のように
 
 限りない言葉の中で 僕と君は疲れていき
 また別の行動でまた別の行動で 自らを癒す
 多くを認めることで新鮮さは
 徐々に遠ざかり ただ行ったりきたり振り子のように
 毎日毎日揺れるだろう
 立ち上がれ 立ち上がれ もう一度挑むんだ
 立ち上がれ 立ち上がれ 春の新芽のように
 
 楽に生きるということは 結局は自らをがんじがらめにし
 世に裏切られようと僕はつまりは 生きている
 美しい花であるほど 早く枯れ
 日が照れば澄んでいた雫も 一瞬にして乾いてしまう
 立ち上がれ 立ち上がれ もう一度挑むんだ
 立ち上がれ 立ち上がれ 春の新芽のように
 
 
 
 
 
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動物園(トンムルウォン) ”恵化洞(ヘファドン)” ”変わっていく”

 

 
 
 
 
 曲のタイトル”恵化洞”は地名で、ソウル特別市鍾路区(チョンロク)にある地域の名前です。動物園(トンムルウォン)の”恵化洞”は、1988年9月に発売されたアルバム「2集」の収録曲で、キム・チャンギ作詞作曲。1988年の「年間TOP100」の36位にランクされています。
 
   
   ”恵化洞”
 
 今日忘れていた友人から電話が来た 明日遠くへ行く
 子供のころ一緒に遊び 裏通りにあった私の家から 明日遠くへ去って行くんだよ
*ガタンガタン電車に乗っていくその通り 
 私たちはどのように 多くのことを忘れて生きてきたか*
 子供のころには広くみえた狭い裏通りと愛情深い昔の友人
 私を中途半端な実現半分を介して実行するために*
 子供のころに夢見ていた膨らんだ世界のために君 明日遠くへ去って行くんだね
 いつか戻る日 いっぱいの笑顔で私の心 明日ずっと遠くへ行く
*~*
 
  
 
 動物園(トンムルウォン)についてWikiや韓国ブログなどから調べてみました。
 
 動物園は1987年に高校の友達, 大学の同期たちが集まって趣味のバンドを結成。メンバーのキム・チャンギが主に作詞作曲を手がけたデモテープが、サヌリムのキム・チャンワンに認められて、1988年1月にファーストアルバムをリリースしました。 このアルバムはすぐに人気を集め、”ソウルの梨花女子大生だけでも1000枚は売ることができる”という冗談に、バンド名を「梨花女大生のためのバラード」にしようとしましたが結局、「動物園(トンムルウォン」という名前でデビューしました。
 動物園はアマチュアバンドということもあり、メインボーカルのキム・グァンソクは自身の音楽に集中するために、「アルバム2集」で独立しました。3集にはギターで参加。
 動物園とキム・グァンソクのヒットナンバーを作曲したキム・チャンギは、キム・グァンソクの脱退以後「3集」からボーカルを担当。1997年「7集」以後から独立してソロで活動したり、医師として働いています。
 
 2007年京郷新聞社が選定した『韓国大衆音楽100大アルバム』に、「動物園1集」が 21位に、 「2集」が 43位にランクされました。
 現在、パク・ギヨン(スチールギター、ピアノ担当)、ユ・ジュンヨル(ギター)、ペ・ヨンギル(ギター)の3人で活動中。

 
 
 
 
 ”変わっていく”
 1988年1月発売1集アルバム収録曲。キム・チャンギ作詞作曲。
 
 韓国ブログから引用
 
 動物園はアマチュア的な部分が大きかったのですが、純粋な音楽性が評価されたデビューアルバム第1集(1988年)と、キム・グァンソクの最後の参加作品と同時に、動物園の音楽スタイルを完壁に作った2集(1988年)は、2007年に評者たちが選定した『韓国歌謡アルバム100選』に名前をあげられるほど、ずば抜けた音楽性で満たされた作品として位置づけられました。
 その後も動物園は良質のアルバムをたくさん作り出しました。3人のメンバーになった状態で作られた 「3集(1990年)」、チョ・ドンイクの編曲が引き立った「4集(1991年)」、2枚組で製作された 「5集(1993年)」,、またヒット曲 ”君を愛するよ”が収録された 「6集(1995年) 」などです。
 動物園の中心には隠れた実力者キム・チャンギがありました。 彼にはキム・グァンソクのような歌唱力はなかったものの、代わりに純粋さを持ったメロディー, 優れた作詞能力があり、”街で” ”曇った秋空に手紙を書いて” ”'恵化洞'” ”市役所前地下鉄駅で” ”朝なら” ”君を愛するよ”などはそんなキム・チャンギの力量が遺憾無く発揮された名曲たちです。
 
   「変わっていく」
 
 感じるままに言葉にし 信じた道だけを歩き
 誰が何と言おうと振り向かない
 自分が行きたいそこへ 行こうとした
 **そんなに永くない人生 一人残されたと考えながら
 誰かが手をさしのべ誘っても
 自分が行きたいそこだけを 願っていた
 愛してからは僕をめぐるすべてが 変わっていく
 わが道を行くより 君と一緒にいたい
 僕をめぐるすべてが変わっていく
*Wooあまりにも簡単に変わっていく
 Wooあまりにも速く変わっていく**
**~**
 
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動物園(トンムルウォン) 「君を愛するよ」

 
 
  韓国のフォークグループ「動物園(トンムルウォン)は「コンサート7080」によく出演しています。動物園は1987年に結成され、25年にわたる音楽活動を続けています。
 UPした画像は当時のミュージックビデオから、1995年のヒット曲「君を愛するよ」です。この曲は韓国の結婚式に歌われる定番曲で、韓国音楽のスタンダードナンバーとして今でも人気があります。
 暖かな歌声とコーラスハーモニー、スティールギターを効果的に使った素晴らしいアレンジで、間奏のトランペットソロも曲にぴったりです。AOR・ウェストコーストロックを好きな人たちにも合うのではないでしょうか。  (Kann Drao)
 
 

 

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