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1970~73年の洋楽 ⑩ ブリンズレイ・シュワルツ「(Please) Don't Ever Change」クリケッツ(1962年)

 英国のパブ・ロック・バンド、ブリンズレイ・シュワルツ(Brinsley Shwalz)は1970年にBrinsley Shwalz、Nick Low、Bob Andrews、Billy Rankin、Ian Gommnの5人によって結成されました。アルバムは「Brinsley Shwalz」(1970年(「Despite It All」(1970年)「Silver Pistol」(1972年)「Nervous on the Road」(1972年)「Please Do't  Ever Change」(1973年)「The New Favorites of,,,Brinsley Shwalz」(1974年)をリリースしました。

 

 

 アルバム「Please Do't  Ever Change」(1973年)からタイトル曲の" Do't  Ever Change"です。メロディーの良さを十分に活かした歌と演奏で、懐かしさと温かさで心がいっぱいになります。

 キャロル・キング(Carole King )とゲリー・ゴフィン(Gerry Goffin)の作品で、オリジナルはバディー・ホリー(Buddy Holly)のバック・バンドのクリケッツ(Crickets)が1962年にリリースし、英国では5位にランクされました。ビートルズが1994年にリリースしたアルバム「Live At The BBC」で、” Don't  Ever Change”の1963年6月の演奏が収録されています。3曲聴き比べるとブリンズレイ・シュワルツの演奏と歌が圧倒的にベストです。

 

 

 

 

オリジナルのクリケッツ(The Crickets)の演奏です。

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清越坊の女たち~当家主母⑤

 

沈翠喜の改革は汚職役人に当然、憎まれリンチにあってしまいます。義弟との男女関係を疑われ、夫殺しの罪を着せられ、公開処刑になる寸前でした。翠喜の冤罪を訴える大勢の人々。息子の秀山も逃げずに母の最期を見届けるために処刑場へ。緊迫感!危機一髪!

 しかしあっと驚くような展開で釈放される沈翠喜。

 悪の限りを尽くした役人曹文彬と李照は失脚。流刑。かわいそうなのは曹文彬の娘、幺娘です。ずっと輿の上でのお姫様生活。床や地面に足をつけたことはありません。幺娘は行院へ送られます。(売春館)

 自由に生きる道を選んだ翠喜は任家から独立。翠喜に奉公した任小蘭(じんしょうらん)を連れて錦渓坊(きんけいぼう)という工房を開きます。

 蔑視される女性のために自分の技術を教える、その行為は男性優位社会に石を投げて波紋を生じさせる出来事になりました。

 沈翠喜の右腕、舒芳は、賭博で借金まみれの兄に今でも金をせびられています。

 翠喜の付き人で嫁入りさせた巧児は2人の女児を産んでいました。体が弱いので出産は危ないのに、跡取り息子を望む婚家の意を受けてまた懐妊していました。娘二人を残して出産で亡くなってしまいます。

 小さい頃母親に連れられて翠喜に奉公した小蘭。その家は日常的に父親が母親に暴力を振るう家庭。

 ライバルだった曾宝琴も父親の失脚で行院に送られた女性です。

 幺嬢も行院へ。

 女性たちの涙の数ほどある悲しい物語は後を絶ちません。

 緙絲(こくし)の第一人者翠喜。手に職をつければ女性も自立できる。工房を開いて弟子を募ることにしました。錦渓坊の開店当日。ある少女が入門したいと翠喜に訴えてきました。しかし、少女を連れ戻しに来た母親は、「女が稼ぐのは恥だ」と翠喜を痛烈に批判するのでした。

 古い風習のままの社会は、立ち向かったり歯向かったりする女性は卑しいとされます。

 さらに誰でも入門可能とする条件に任家の3長老が激しく反発。翠喜の技の流出を防ぐために、弟子は任家の者のみにしろと迫るのでした。

 翠喜と行動をともにした任小蘭の父親も嫌がらせにやってきます。

 かつての夫雪堂の助けもありますが、それらの妨害を一つずつ解決していく沈翠喜の威風堂々とした姿は清々しささえも感じられます

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「1968年のポップス 」 ⑰ ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズ「I Can't Quit Her」「 You've Made Me So Very Happy 」

 

 

 

 ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズ(Blood Sweat & Tears)のファースト・アルバム「Child Is Father To The Man(子供は人類の父である)」(1968年)から、アル・クーパー(Al Kooper)の作曲で「I Can't Quit Her」です。 ”I Can't Quit Her”はメロディーだけでなく、ピアノのイントロやオーケストレイション、ギター・ソロ、中間部からのブラス・セクションのアレンジがセンスが良く最高です。

 アル・クーパーは1967年にブルース・プロジェクト(Blues Project)を脱退後、スティーブ・カッツ(Steve Katz)、ボビー・コロンビー(Bobby Colomby)、ジム・フィールダー(Jim Fielder)と音楽活動を始め、さらにホーン・セクションのロック・バンドを作るためにフレッド・リプシウス(Fred Ripsius)、ジェリー・ワイス(Jerry Weiss)、ディック・ハリガン(Dick Halligan)、ランディー・ブレッカー(Randy Brecker)のホーン奏者をメンバーにして、8人組のブラッド・スウェット・年アンド・ティアーズを結成しました。アルバムのプロデューサーは、ポップ・グループのサークル(Cyrkle)や後にザ・バンド(The Band)の1枚目、2枚目をプロデュースし有名になったジョン・サイモン(John Simon)です。

 

 

 

 ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズはファースト・アルバム・リリース後ヴォーカルが弱いと言う理由で、バンド創設者のアル・クーパーが解雇され、デビッド・クレイトン・トーマスがヴォーカリストになりました。

 セカンド・アルバム「Blood Sweat & Tears」はブラス・ロックのシカゴと同じジェームス・ウィリアムス・ガルシオによってプロデュースされ1968年12月にリリースされました。シングル”You've Made Me So Very Happy”は1969年3月にリリースされ、全米2位にランクされるヒットになりました。ベリ-・ゴーディー Jrとブレンダ・ホーロウェイの作品です。

 

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「今週の笑点 」5月5日、28日の笑点から

 5月5日の笑点は林家たい平、三遊亭小遊三の答えが少なくて、桂宮治の答えがやけに多かったなと感じてとってもつまらない笑点でした。

 ところが5月28日放送の「笑点特大号でノーカット5月5日版」が放映されて、小遊三、たい平の答えが少ないわけが明らかに。

 「月面着陸のお題」では、小遊三の答え「西郷輝彦”星のフラメンコ”」「菅原都々子”月がとっても青いから”」が子供が分からないために、それが面白かったのにカァット!たい平の「ドラえもん”のびたくん、しずかの海”(のびたくんとしずかちゃん)」もカァット!

 「お弁当のお題」ではたい平の弁当シリーズ「横川釜めし弁当」と「だるま弁当」がカァット!崎陽軒のシュウマイ弁当だけ放送。

 面白い答えをカット!する笑点のディレクターに憤慨。笑点がつまらなくなった大きな理由はナンセンスな面白さ、機転の効いた面白さが理解できないディレクターにあったのでは。だから立川晴の輔を起用したのだろうか。桂宮治のピン芸人ネタのようなしらけるパフォーマンスもOKなんだな。

 5月26日の笑点は楽しかった。7年前に上野鈴本で観たストレート松浦がゲスト。うゎーと沸いたジャグリングと、白熱した観客参加のジャグリングで温まった笑点会場。立川晴の輔にも少々の(笑)が起きるくらい温まっていましたね。

 最後の泥棒お題「SNSアカウントを盗む」で、春風亭一之輔の答え”桂宮治のアカウントを盗んで春風亭昇太の悪口言いたい放題”で大笑いして、もやもやがスカっとしました。

 宮治も昇太も形無し。落語名人一之輔にはかなわないぞ。

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1967年のポップス ㊻「サニー(サニーは恋人)」ボビー・ヘブ、シェール

 

 

 ボビー・ヘブ(Bobby Hebb)の”サニー(Sunny)”です。ボビー・ヘブはナッシュビルに生まれ、幼い頃からカントリー音楽に魅せられ、12歳の時に「グランド・オープリー」に出場、1960年にはレコード・デビューし、3枚のシングルをリリースしましたが失敗。1966年にフィリップス・レコードより”サニー”で再デビューし、成功を収めました。”サニー”は米国では1966年2月にリリース、最高位2位にランクされました。

 日本では文化放送「9500万人のポピュラーリクエスト」で1966年12月に”サニー(サニーは恋人)”のタイトルで、ボビー・ヘブと米国の女性歌手シェール(Cher)のシングルが16位で初登場、1967年2月9日、16日に最高位3位、3月16日に14位までランクされました。文化放送「ユア・ヒット・パレード」では1967年1月2日にシェールの歌”でサニーは恋人”が19位で初登場、1月16日、23日に16位までランクされました。

 「八木誠の洋楽ヒットチャート大事典」ではロング・ヒットになったためか、1968年年間チャートで18位に選ばれています。

 

 

 

 シェール(Cher)の”サニー(サニーは恋人)”です。アルバム「Cher」(1966年)に収録され米国ではシングル・カットされず、ヨーロッパとアジアでシングルが1966年にリリースされ、オランダ、ノルウェーで1位にランクされるヒットになりました。

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