人が生きる世の中(サランサヌンセサン)
毎日韓国ドラマと映画と音楽でヘンボケヨgooblog
清越坊の女たち~当家主母⑦
このシーンは最終回ラストのシーンになります。セリフはありません。歌が流れる1分弱のシーンです。
ようやく難題から解放されてほっと一息。織機に向かう翠喜は幻を見ます。
翠喜の前に魏良弓が現れて手を差し伸べます。優しく微笑む魏良弓に導かれるように立ち、抱き合い、手に手を取って楽しく舞います。しかしそれもつかの間、幻影の中を去って行く魏良弓
美しい幻のシーンは1分弱で終わりますが、翠喜には最高の喜びを与えました。それまで良弓を想う余裕もなかったのですから。
生前は抱き合うこともなく、手を握り、体を寄せ合い、肩にもたれかかるようなプラトニックな恋愛、幻の中の魏良弓は健やかで、久しぶりの再会でうれしさのあまり翠喜の胸の鼓動が聞こえてくるようでした。
「あの人に会うため私はずっと走り続けている。あの人の肩にもたれ心の内を話したい。あの人は私の側にいる。私の命が尽きる時まで」
とっても切ないシーンでした。最愛の人を亡くすとこんな感じで幻を見るのかしらと思ってしまうような
魏良弓の切なく儚い幻は翠喜を新しい道へと誘いました。翠喜は緙絲(こくし)の技術伝承のために江南から広い世界へと向かうのでした。
ナレーション
清朝の中後期、江南におけるこくし、絹織物の発展に伴い、じょせいは織子や張り子として街に出た。女性は生産活動を通じ経済的地位を向上させた。そして家庭内外でも立場も強くなった。女性たちは支配され、売買される立場から抜け出せるようになった。
清越坊の女たち~当家主母⑥
偏見
実際、沈翠喜も偏見を持つ女性でした。夫の雪堂の妾、曽宝琴を「行院の楽戸上がり(妓楼)の卑しい女」と罵ったこともあります。
行方不明だった夫の代わりに任家を守る実業家になったことで、女性蔑視の偏見を身をもって体験したこと。魏良弓を愛した過程で、男性は再婚もできるし、妾をもつことも許されるが、女性は再婚も出来ず、後家として一生を送る。まして恋愛はご法度。魏良弓を命がけで愛した短い時間に多くのことを悟りました。貧しさのない世の中を目指し、悪と闘う勇気も持ちました。魏良弓が亡くなってからは背水の陣のような生き方を進んでいきます。
行院送りになった、仇敵曹文彬の娘幺嬢を気にかけるのも翠喜の生き方の一つだといえるでしょう。
曹夫婦が恩赦になるも娘の幺嬢は行院から出られず。父親の曹は娘に近付くためにあの手この手を使い娘に危害を加えようとします。女子の名節、美徳、貞操を守る為、家、自身のメンツのためにです。これらの行為は男性が優位な社会の弊害ともいえます。
沈翠喜は幺嬢の様子を探るため行院に着物の採寸で赴きます。お嬢様だった幺嬢は翠喜の前ではしたたかに生きている女を演じます。
「母は元気なの?」「お嬢様の身を案じています」「私は元気だしここでの前途は明るいの」必死さが逆に翠喜の心を揺さぶってしまいます。翠喜は曹夫人と会い「賢いです。行院でもうまく立ち回るでしょう」夫人「染まっていたのね」
しっかり生きていると様子を伝えると夫人は手紙を託し、夫と無理心中して娘を夫の魔の手から守るのでした。
父親の不祥事で娘は賤民の身分に落とされて行院へ。泣くのはやはり女子。翠喜は仇敵の娘幺嬢を救う手立てをあれこれ考えますが、身分制度が強固な社会では不可能に近いことでした。
行院で辛酸を味わった曾宝琴は「勅旨があれば賤民から平民に戻れるけれど。なおかつ江南は保守的な地域。影に日向に避難される。救い出すのは容易ではない」 翠喜は「それは承知。あの子は哀れ。仇敵は父親、娘ではない」曾宝琴「姉さんに合えた幺嬢は果報者。でもそれは難題、御上だけでなく偏見とも戦う必要がある。姉さんは一度決めたことは絶対負けない人」
翠喜が離れた任家の清越坊は翠喜が技術を開放したので、清越坊の独占がなくなり売り上げが減る一方で、職人から給料未払い騒ぎも起きました。
曾宝琴は翠喜の残したデザイン画を使用せずオリジナルのデザイン開発に励みます。自分の特技と持ち味を考え、気を照らず技術で勝負しよう。
北京で国中の織子を集めて天下一を決める競技会が開かれることに。天下一の称号を得たら皇太后が喜び、褒美が出る可能性があるとのこと。
翠喜は曹夫人の”娘を頼む”と書いてある遺書を持って再び幺嬢に会いに行きます。幺嬢は客揚げの機会を邪魔され「じゃあ私をここから連れ出してよ!行院から出してよ!」と翠喜をなじります。
翠喜は「生きてほしいの。あなたを守るため夫婦で心中し身を挺して守ってくれた母君の御苦労に報いるのよ。軽はずみな行動ははやめて。私を信じて。必ずあなたを助けだす。待っていて」
固い決意をした翠喜は競技会に臨みます。
全国屈指の工房の織女たち。各地の秀逸な刺繍、織物を真剣に作品を織る織女たち。
競技会の最中に曾宝琴の織機が壊れてしまいます。交換しようにも時間がない!。翠喜は「同門であり、作品は漢字で同じ」自分と一緒に織らせて欲しいと頼み、ひとつの織機で二人の合同作品を織っていきます。
出来上がった作品はそれぞれが素晴らしいもの。
皇太后が選抜された織女の作品を高覧し、曾宝琴と沈翠喜合同作品、中心に「寿(字体の違うそれぞれの寿)」の図、周りを「福の字を百」描いた図を一位に決定します。
二人は皇太后に褒美は何がほしいかと聞かれます。翠喜は迷わず、行院にいる幺嬢のらくせきを願いました。しかしそれは官僚制度の罰則に反するもの。
皇太后は「官吏一家を罰するには理由がある。官吏は民に奉仕し、ないがしろにするべきではない。戒めるため。救うべきではない。救うべき女子は他にたくさんいる。願いを変えなさい」
翠喜「私は生死や栄誉が男次第である女子が哀れでならないと思うだけです。悪事を尽くした男が一旦名声を失えば女子の末路は死のみ。だから私は前例を破り、女子を救いたいのです。家族のせいで蔑まされる幺嬢のような女子を。幺嬢の活路が開けば不本意に生きる世の女子も望みがもてます」と陳情。
願いが叶えられて幺嬢は解放されます。
曾宝琴は皇太后直筆の”清越坊”の書を願います。
皇太后の書いた”清越坊”の看板で再び客が清越坊に戻り繫盛。任家当主の雪堂は石碑を建てて翠喜を称えます。
曾宝琴との会話、弟子たちへの言葉、翠喜は「皇太后も女子。女子であれば他人事ではないはず。罪を犯したのは父親だけよ。我ら女子には自らの定めはない。父親、夫、子供の定めに家族や妻、そして母親として従っているだけ。でも父や夫、息子の罪にまきこまれるのは女子が悪いせい?では何故女子を罰するの?他人の罪なのに」
翠喜の工房に幺嬢を迎え入れます。
世の女子に手に職をつけてほしいから、技能を伝授することだけが私にできる唯一のこと。女子たちが緙絲(こくし)、刺繍を覚えれば家族の金銭的な支えになる。
酒浸りの父親や冷酷で薄情な姑、賭博好きな夫にもうないがしろにはされない、いつかその日がくる。女子であっても何も恐れなくていい。自らが望む暮らしや居場所を持てる自分の家を。
_____________________________________
素晴らしい翠喜の活躍、考え方。今現代にも通用する考え方です。泣くのは女という考えはもう開放しても良いでしょう。
清越坊の女たち~当家主母⑤
沈翠喜の改革は汚職役人に当然、憎まれリンチにあってしまいます。義弟との男女関係を疑われ、夫殺しの罪を着せられ、公開処刑になる寸前でした。翠喜の冤罪を訴える大勢の人々。息子の秀山も逃げずに母の最期を見届けるために処刑場へ。緊迫感!危機一髪!
しかしあっと驚くような展開で釈放される沈翠喜。
悪の限りを尽くした役人曹文彬と李照は失脚。流刑。かわいそうなのは曹文彬の娘、幺娘です。ずっと輿の上でのお姫様生活。床や地面に足をつけたことはありません。幺娘は行院へ送られます。(売春館)
自由に生きる道を選んだ翠喜は任家から独立。翠喜に奉公した任小蘭(じんしょうらん)を連れて錦渓坊(きんけいぼう)という工房を開きます。
蔑視される女性のために自分の技術を教える、その行為は男性優位社会に石を投げて波紋を生じさせる出来事になりました。
沈翠喜の右腕、舒芳は、賭博で借金まみれの兄に今でも金をせびられています。
翠喜の付き人で嫁入りさせた巧児は2人の女児を産んでいました。体が弱いので出産は危ないのに、跡取り息子を望む婚家の意を受けてまた懐妊していました。娘二人を残して出産で亡くなってしまいます。
小さい頃母親に連れられて翠喜に奉公した小蘭。その家は日常的に父親が母親に暴力を振るう家庭。
ライバルだった曾宝琴も父親の失脚で行院に送られた女性です。
幺嬢も行院へ。
女性たちの涙の数ほどある悲しい物語は後を絶ちません。
緙絲(こくし)の第一人者翠喜。手に職をつければ女性も自立できる。工房を開いて弟子を募ることにしました。錦渓坊の開店当日。ある少女が入門したいと翠喜に訴えてきました。しかし、少女を連れ戻しに来た母親は、「女が稼ぐのは恥だ」と翠喜を痛烈に批判するのでした。
古い風習のままの社会は、立ち向かったり歯向かったりする女性は卑しいとされます。
さらに誰でも入門可能とする条件に任家の3長老が激しく反発。翠喜の技の流出を防ぐために、弟子は任家の者のみにしろと迫るのでした。
翠喜と行動をともにした任小蘭の父親も嫌がらせにやってきます。
かつての夫雪堂の助けもありますが、それらの妨害を一つずつ解決していく沈翠喜の威風堂々とした姿は清々しささえも感じられます。
清越坊の女たち~当家主母④
愛する魏良弓が亡くなった後、沈翠喜は抜け殻同然にになってしまいました。茫然として魏良弓の後を追いたくなる衝動や喪失感。ライバルの曽宝琴にカツを入れられ励まされ互いに歩み寄り、魏良弓に顔向けできるような生き方をと諭されます。
沈翠喜はしばらく閉じこもりどのように生きるべきか考えていましたが、かつて魏良弓が発した言葉を思い出し、全肯定して応援してくれたこと、沈翠喜の第一人者としての織物技術を絶賛してくれたことを踏まえ、新たなる道を歩いていく決心をします。
魏良弓の問い「長き川の先に広がる大海原か。翠喜、ここから出たいと思ったことは?」
彼女なりの答えは、明日死んでもいい!精一杯自分の人生を生き抜こう!
沈翠喜は任家を離れるために以前にもまして精力的に仕事をこなしていきます。任家の跡取り秀山の実の母、曽宝琴に任家を託すために、任家代々伝わる宝物の織物などを見せて説明。曽宝琴は不思議に思いながらていねいに説明を聞くのでした。
「清越坊の女~当家主母」たち主人公の沈翠喜。任家を担う沈翠喜は織物を織るだけではなく、織物のすべてに関わる産業、桑畑、養蚕、紡績、染料、染色、機織り機、商いをも管理しています。一つ一つ丁寧に曽宝琴へ伝えていくのでした。
落ち込んだあと再起へと進むシーンが魅力的に描かれていました。
その後悪役官僚たちからの生死を分かつような濡れ衣、攻撃、嫌がらせを受け、ドラマの見せ場へと展開していきます。
沈翠喜の嵐のような波乱万丈な人生はまだまだ続いていくのでした。
中国ドラマ「清越坊の女たち~当家主母」➂愛の成就
魏良弓への思慕に葛藤する翠喜の心です。
雪堂、7年が経った。この世にいないことはわかっている。
雪堂、認めるより忘れるほうが難しい。
7年余。幾度寂しさに打ちひしがれ月影に感傷的になったことか
雪堂、忘れるより独りでいるほうがよほど難しい
なぜ男は後妻を娶れるのに女は貞節を求められるの?
雪堂、独りでいるよりも道徳に背くほうが難しい
人は草木ではない
女も男と同様に血が通っているし感情がある
あなたが殺した心はあの人が生き替えらせてくれた
道徳に背くより今を受け入れるほうがよほど難しい
このドラマの本質かもしれない翠喜の心情
お互いの愛を確認した2人は翠喜の屋敷で静養することにしました。魏良弓は翠喜の工房を初めて訪れ、病のことも忘れ絵画の背景などを解説します。
翠喜は生徒のように聞き、魏良弓は秀山に教える先生のようにわかりやすく説明します。時には翠喜に絵画から受ける印象を質問し、翠喜は感じたままに絵の感想を伝えます。琴棋書画の知識がなくても絵を感じる琴線は特別なものがある翠喜。魏良弓の心を打ちます。
難しい鴛鴦の刺繍に、「私にできると思う?」
魏良弓「奥様は蘇州の織物業を率いる人。度量と気概を持っている。技術があるのだから悟れば早い。無理に求めようとしても手に入らないないものだ。手放してみたらわかる時がくるかもしれない。信じている」
翠喜という名前。「この世でもっとも美しい名前だ」
離れの裏門は開くと目の前が川
「長き川の先に広がる大海原か。翠喜、ここから出たいと思ったことは?なかったらこの扉を残してはいまい」絵のような2人。
2人が恋仲だとの噂が町中に広がり、陰謀で罠を仕掛けられたとき、魏は
「私は誓う。2人が恋仲だとしたら、来年の春までに命を絶つ」(春までの余命で)
翠喜を画く魏良弓。
翠喜「絵になると私はこんな感じなのね」
魏良弓「以前ならこの絵に色を塗っていただろうが今ならわかる。飾らずありのままのほうが美しく真実に近いと」
魏良弓「私の心がこれほど穏やかだったことはない。いつも思う。生まれたときから年寄りのようだった。あなたに出会うまで、私の心は生気もなく沈んでいた、翠喜よ、ありがとう。生涯で一番の人だ。出会えたことが私の最大の幸せだよ」
魏良弓「私に教えてくれた。この世には人の醜い行いに何度遭遇しても心穏やかなままの人がいる。善良な人がいるのだと。
翠喜「買い被りすぎよ。私はただ。誰からも認められる善人でいたいだけ」
魏良弓「わかるよ」
魏良弓「弾圧に屈してばかりではいけない。私は立ち向かうあなたが好きだ。感情を抑えている時よりもあなたらしく美しい」
翠喜「立ち向かう私が好き?世に好かれるのは淑女よ」
魏良弓「ゆがんだ優しさなど私からみれば醜いだけだ。世の中愛や慈悲もあれば憎しみや恨みもある。厳しく苦しい人生を必死に生きていれば気性も異なってこよう。あなたは李照に狙われた善人だ。常に屈するべきではない」
翠喜「私は緙絲(こくし)を習得した。緙絲を織っている時だけは心穏やかになれたわ。天地を創造できるかもとも思った」
魏良弓はそれに対して昆曲を吟う
「ずっとあなたを探していた 花のように美しいあなたに なれど月日は水のごとく移ろいゆく」
魏は一晩中吟う
小舟に乗って
魏良弓「外出は好まない。ただ暮らしの息吹を感じるのは好きだ。以前の私は厭世感の塊だった。母を亡くした悲しみに浸っていた。母が死んだのは私のせい。自分の体を痛めつければ早く母に会えるだろうと。でもある時思ったんだ。多くの人々が苦しくとも前を向いて生きている。私も同様生き抜くべきではないかと。そんな心が残っていて良かったよ。あなたと曽姉さんに出会えたし美しい物をたくさん見られた」
魏良弓「今はただもっと早くあなたに出会いたかった」
魏良弓「曽姉さんからは何があろうと生きねばならぬことを、あなたからはこのような生き方もあると学んだ」「女子として制約を受けながらもあなたたちは懸命に生きている。男たる私が無気力や退廃的でいいはずがない」
魏良弓「遅きに失したが翠喜よ。私はあなたと生きていたい。冬には一緒に蝋梅を見た。春になったら満開の花々を見よう」
種子売りの小舟。種子をすべて買って羽織をわたす。善行を広めたいからご主人の名前を
魏良弓「徳を施したのになぜ素性を秘密に?」
翠喜「悪評のほうが私には合ってるもの、それに種子を買うことの何が徳なの?あの母親も腕を頼りに生きる職人よ。助けなど必要としてない」
魏良弓「あなたが組合を作った理由がやっと分かった」
翠喜「私はただ生糸の値段が安定しないと皆が窮すると思っただけよ。組合を設立すれ織造局の怒りを買うけど私が立ち上がらなければ申し訳が立たない。私を緙絲の第一人者と称してくれた人たちに」
魏良弓「李照の標的は任家だけではないのに。たった1人で李照の怒りや恨みを受け止めている。翠喜。あなたはすごい人だ。翠喜。我々に残された春は1度しかない。気がふさぐようなことは考えずお互いとこの一瞬を大切にしよう」
翠喜「共に過ごせること自体が夢のようだわ」
魏良弓「この夢が静かに流れていくことを願う」
♪♪湖面に散る杏の花
霧雨が洗い流す想い
傘を差す表情は
過ぎし日の少年のよう
夢で逢う君の笑顔
浮かんでは消え
あの頃に戻りたい
水際で酔いしれる
名残惜しき出会いの頃よ
忘れられない
鴛鴦や蝶はいなくても美しきこの世
風に乗り 空高く昇りたい 君には遠く及ばない
この心が変わらないなら
死など惜しくない
もやの中の邂逅
夢か現か幻か
愛とは痛みを伴う幸せ
おざなりにはできない
誰が霊魂を探せるのか
私は糸の切れた凧
春の到来を待たず
白く染まるあなたの髪♪♪
鴛鴦の刺繍完成
魏良弓「春が来た。あなたの「鴛鴦戯水」もうじきに完成だ」
翠喜「この鴛鴦は私たちよ」
魏良弓「いわゆる立徳 立功 立言は朽ちてもいい
だが あなたとの仲は永遠に朽ちてほしくない
なんて幸せなひとときだろう
あでやかな春の日
隣にはあなたがいる
桃の花が咲き
運河の水も翠に染まった
明日はこの上ない晴天になろう
翠喜
明日一緒に舟に揺られないか?橋の下で世間の与太話をまた盗み聞きしたい
この世は美しい物にあふれてる
一緒に見に行こう」
刺繍を指している翠喜の肩にもたれてかけて魏良弓は静かに息をひきとるのでした。
知識人の魏良弓一言一言が珠玉の言葉です。愛されて褒められて尊敬されて認められて勇気をもらった素晴らしい愛の言葉の数々。これからの果敢な人生を歩む翠喜に希望を与えました。自由に女性たちが生きていける世の中へと翠喜は動き出していきます。いつでもどこでも魏良弓は私の側で一緒にいると。
中国時代劇ドラマ「清越坊の女たち~当家主母② 2021年
「清越坊の女たち~当家主母」で中国ドラマ唯一大人の穏やかな恋愛を見せてくれました。とても美しい描写、きめの細かい演出と脚本と演技力が中国ドラマにもあるのだなあと驚いています。
主人公の沈翠喜(しんすいき/ジアン・チンチン)と8話から登場した魏良弓(ぎりょうきゅう/マオ・ズージュン)の恋愛。落ち着いた大人の恋愛が穏やかに美しく儚くゆっくりと時には激しく情熱的に展開されていきます。
沈翠喜は行方不明の夫の代わりに、孤軍奮闘して任家を切り盛りし織物業者をまとめ、官僚とうまく渡り合って均衡を保っていました。7歳の継子、秀山を次期当主として育てている沈翠喜に古老たちが退くよう促します。
沈翠喜はどうしてよいか答えが見つからず雨の中一人たたずんでいました。そこへ秀山の家庭教師、魏良弓が居合わせて傘を差しかけるのでした。
魏先生は心配そうに「大丈夫ですか?」
沈翠喜はそれまでの頑張りや苦労が報われない虚しさで
翠喜「書を読む魏先生ならご存じでしょうか?」「身を処するのはなぜ難しいのか(自分の置かれた境遇においてとるべき行動。どう動くべきか)」
魏先生「身を処することはこの世で最も難しいことです」
翠喜「先生でも?」
魏先生「はい とても難しいです」
翠喜「じゃあ仕方ない」
魏先生「もしかすると少し楽にする方法ならあるやも」「来てください」
2人は小舟に乗って世間の噂話を聞きます。あまりにもくだらない自分の噂話に、翠喜は大笑いしてしまいます。いつも威風堂々としていて厳しさだけの翠喜の笑い声に、魏先生は翠喜にそんな一面があったのかと驚き、翠喜はそれまでのうさが晴れたようでした。
バックに流れる音楽も美しく、投げ出した傘が川面に浮かぶこのシーンが二人の恋愛の始まりです。
出自が厳しくて辛い過去を持ち、病が重く余生が短い厭世的な魏先生。
7歳の秀山に優しく丁寧に、時には崑曲を歌いながら学問へ誘い、翠喜の苦悩を理解する魏先生。その指導法に感動する翠喜。
世を儚んでいるため、天才なのに芝居に夢中になり出世には全く興味がない魏先生。翠喜は会試の受験を勧めますが自分は向いていないと言い、どう思うかと問うシーンで。
翠喜は「高潔かつ硬骨漢の先生には向かない」と
魏先生は「その通りです。しかし人々は芝居に夢中になるのは知識人の面汚しだと」
翠喜は「美しき物は人を魅了し鑑賞されるために創造され発掘される、貴賤の別はありません」
魏先生「そうですね、貴賤の別をつけるのは了見の狭さ故です」
翠喜「うん」
二人の穏やかなやりとり。芸術への同じ考え方。
一つ一つのセリフが心を打ちます。
年上の翠喜に密かに恋をして翠喜の木彫りの人形を彫ります。それを見つけた翠喜の戸惑いと喜び。夫に愛されず寂しく過ごしていた翠喜の人生に、愛の火を灯した穏やかな魏先生の真心。素敵なシーンでした。
翠喜は心を込めて魏先生への巾着を織ります。芸術的な作品なのに
翠喜は「才能のかけらもありません」と謙遜します。
魏先生は「己を卑下なさらず、世間は学のある少年を賞賛しがちですが、他人に成せない高みに達した方こそ敬服せねば。奥様は十分に の天才と言えます。周囲のやっかみはお聞き流しに」
魏先生は翠喜の一番の理解者として励まして、とるべき行動を見つけた彼女にアドバイスをしていきます。
二人は誤解や世間の噂話、謀略に翻弄されてしまいます。
辛い別れで魏先生は生きる気力もなくなり雪の上で行き倒れ、曾宝琴に助けられ彼女の屋敷へ身を寄せることになり、さらに重体に陥ってしまいます。病の床で翠喜への想いを断ち切れず、木彫りの人形を抱いて悲しい涙を流し血を吐いてしまいます。
そんな魏良弓を放っては置けず、曽宝琴はライバルの翠喜に膝を折って面会を乞うのでした。翠喜はそれでも裏切られたと思い込み会おうとはしません。敵の罠かもしれない疑心暗鬼に。
生死が分からない夫のいる身、ただでさえ女性蔑視の中、恋愛は御法度。翠喜と宝琴は崖に立ち賭けにでます。危篤の魏先生は裏切ってはいないと理解して、翠喜も命をかけて魏先生に会いに行きます。
魏先生「夢か?」
翠喜「ならばあなたと生涯で一度の夢をみたい。答えて?どうかしら?」
魏先生「奥様私には医術の心得があり、この体ではもう冬を越せないかもしれない」
翠喜「気持ちを聞きたいお願い」
魏先生「生涯で一場の夢だなんてそれでいいのか?翠喜 無念ではないのか?」
翠喜「あなた以外もう何もいらない命さえも」
魏先生「なぜ己を苦しめる?」
翠喜「苦ではない。儚なくてもいいの。夢も見ない人生などそのほうが辛い」
魏先生「わかった。そうしよう。一場の夢でも構わない。あなたと共にいたい」
翠喜と魏先生は美しい涙を流しながら、お互いを求めあい、道徳に背く行為、地獄に落ちるかもしれない、一場の夢にかけるのでした。
15話で二人の心と心が結ばれた感動的なシーンです。
魏先生の珠玉の言葉で翠喜は今後の人生を生きることになったと言えます。
中国ドラマには珍しい恋愛の描かれ方です。こういうシチュエーションも作れるのか!と思うくらい。良い脚本家なのですね。
共同脚本 劉 少軍、李 斌斌、周 佳偉
共同監督 ワン・シャオミン グオ・ハオ
ドラマや映画では美しい恋愛模様を観せてくれる楽しみがあります。恋愛映画、恋愛ドラマと謳っていなくても最高に素敵な恋愛を描いていたりで感動します。これまでに観てきた中国ドラマにはそれがなく、恋愛のシーンでもぜーんぜん切なさがないのよねーと、諦めの境地。中国ドラマに胸キュンを求めてはいけないのだと思っていました。
60年以上映画やドラマや韓国ドラマ、少女マンガ、恋愛小説でこれまでに様々な恋愛模様を観てきました。私の「恋愛のシチュエーション」ベストテンに入ったのが「清越坊の女たち~当家主母」です。
中国時代劇「清越坊の女たち~当家主母~」①2021年
予告編によると宮廷ドラマ「瓔珞<エイラク>」」の制作者なのだそうです。「清越坊の女たち~当家主母~」と瓔珞<エイラク>」のプロデューサーが同じとは以外です。なら、今後ドロドロした宮廷ものではなくて、「清越坊の女たち~当家主母~」のような志の高いドラマを作ってほしいと願うのみです。
中国時代劇ドラマは女性向けなのか、宮廷ものや人知を越えたようなフージョンラブロマンス、或いは仙人や江湖(侠客)ものばかり放送されていてウンザリします。そうでなければたまに男性も観られるような戦国時代劇。
中国放送CCTVが日本語字幕放送を止めてしまったので中国ドラマはCSやBSで観るしかなくなってしまいました。志しの高いドラマは「月に咲く花の如し」と、この「清越坊の女たち~当家主母~」二つだけのような気がします。
「清越坊の女たち~当家主母~」
清朝、江南で優れた織物技術を持つ第一人者で、女性の身分の低さに異を唱えた女性。官僚や男性たちの度重なる嫌がらせや妨害、禁固にも負けないで立ち向かって行った主人公、沈翠喜(しんすいき/ジアン・チンチン)の生き方が素晴らしいです。予告編や1話からは冷酷非道の主人公として登場しますが、ドラマが進むに従い、伝統技術を守っていくことの厳しさ、正義感、他者への惜しみない博愛を見せる沈翠喜。終半は女性の自立に焦点を当てた物語に進行していきます。カッコイイ女性です。
1話ではこのようなナレーションから始まります。
織物、刺繍の美しさ、工房、住居の装飾、女性主人公二人の衣装や髪形、映像。
何より脚本が素晴らしいです。一つ一つのセリフが含蓄に富み感動的です。1話では冷酷な主人公が夫と妾の逢引きに押しかけ激しい言い合い、罵りから始まります。任家の女将、清越坊の沈翠喜は妾の曾宝琴を行院(妓楼)楽戸上がりの卑しい女と罵り、妾の曾宝琴は女将、沈翠喜を物乞い女と罵り、二人の女性の対立と立場が鮮明になります。
元々、妾の曾宝琴は官僚の娘で、父親の失脚で行院送りになってしまった身分。曾宝琴と夫、任雪堂は幼馴染で愛し合っていた二人で、雪堂に見受けされ別宅に暮らしていました。任家の女将、沈翠喜は貧しい船乗りの娘で両親を亡くし任家に滅私奉公。人一倍頑張って任家の