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1964年のポップス ㉔ ベンチャーズ「ウォーク・ドント・ラン」「イエロー・バード」

 

 

  ベンチャーズは1959年にドン・ウィルソン(Don Wilson)とボブ・ボーグル(Bob Bogle)のギタリスト2人により結成され、1960年にノーキー・エドワーズ(Nokie Edwards)、1962年にメル・テイラー(Mel Taylor)が参加。米国では”ウォーク・ドント・ラン(Walk Dont Run)”が全米2位にランクされ、LP「Walk Dont Run)」(1960年)は11位にランクされました。

 Dolton レコードから1961年には3枚、1962年には4枚、1963年には5枚、1964年には3枚とコンスタントにLPをリリース、アルバム「The Ventures Plays Telstarand Lonly Bull」(1963年)は全米8位にランクされました。

 1962年日本にドンとボブの2人がボビー・ヴィーなどと来日、1965年1月にアストロノウツなどとのパッケージ・ツアーに参加。ドン・ウィルソンとボブ・ボーグル、ノーキー・エドワーズ、メル・テイラーのメンバーで演奏し、若者の間にエレキブームを巻き起こしました。

 ベンチャーズ来日以前の1964年3月に日本で”ウォーク・ドント・ラン'(急がば廻れ)”がリリースされました。発売当時はヒットしませんでしたが、1965年のエレキブームの際にはベンチャーズの代表曲として人気を集めました。

 

 

 

 

 ”ウォーク・ドント・ラン”のB面”イエロー・バード(Yellow Bird)”です。米国ではアルバム「COLOUFUL VENTURES」(1961年)に収録されています。

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ヘンリー・マンシーニ ㉒「ディアー・ハート」「雨の中の兵隊」

 

 

 ヘンリー・マンシーニ(Henry Mancini) のアルバム「Dear Heart & Other Song About Love」(1964年)から"ディアー・ハート(Dear Heart)"です。

 日本未公開の映画「ディアー・ハート」(1964年)のテーマ曲で、1964年アカデミー賞主題歌賞にノミネートされました。監督はデルバート・マン(Delbert Mann)、出演はグレン・フォード(Glenn Ford)、ジェラルディン・ペイジ(Geraldine Page)で、中年のカップルを主人公にしたロマンティック・コメディーです。

 

 

 

 ヘンリー・マンシーニのアルバム「Dear Heart & Other Song About Love」(1964年)から、映画「雨の中の兵隊(Sodiers in the Rain)」のテーマ曲です。とてもコメディー映画のテーマとは思えない静かで落ち着いたメロディーです。

 「雨の中の兵隊」(1963年)はラルフ・ネルソン(Ralf Nelson)監督、スティーヴ・マックィーン(Steve McQueen)、ジャッキー・グリースン(Jackie Greason)主演のコメディー映画です。日本では1964年に公開されました。音楽はヘンリー・マンシーニで、サウンド・トラック・アルバムはリリースされず、シングルのみ1964年にリリースされました。

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1966年のポップス ㉘ ハーブ・アルパートとティファナ・ブラス「蜜の味」「ワーク・ソング」

 

 

 ハーブ・アルパートとティファナ・ブラス( Herb Alpert & the Tijuana Brass)の「蜜の味(TheTaste of Honey)です。ハーブ・アルパート(1935年~)はトランペット奏者・作曲家・編曲家・歌手・プロデューサーで1962年にジェリー・モス(Jerry MOss)とA&Mレコードを設立、「ハーブ・アルパートとティファナ・ブラス」のグループ名でファースト・アルバム「The Lonley Bull」を1962年にリリースしました。

 ティファナ・ブラスはアメリアッチ・サウンドと呼ばれるメキシコ風のサウンドで人気を博し、アルバム「The Lonley Bull」は10位にランク、同名のシングルも6位ランクされました。アルバム「Volume 2」(1963年)は17位、「South of Border」(1963年)は6位、「Whipped Cream & Other Delights」(1964年)はシングル”蜜の味”がヒットし、アルバム・チャートで1位にランクされました。

 ”蜜の味”はボビー・スコット(Bobby Scott)とリック・マーロー(Rick Marlow)の作品で、英国の演劇”蜜の味”(1958年)のために書かれました。米国ではハーブ・アルパートとティファナ・ブラスのシングルが1965年に全米7位にランクされ、グラミー賞を受賞しました。日本でもヒットし、「八木誠の洋楽ヒットチャート大事典」では1966年年間チャートで29位に選ばれています。

 

 

 

 ハーブ・アルパートとティファナ・ブラスの”ワークソング(Work Song)”です。米国では1966年に最高位18位にランクされました。ジャズ・トランペット奏者のナット・アダレイ(Nat Adderley)の作曲で、7枚目のアルバム「S,R,O」に収録されています。

 文化放送「9500万人のポピュラーリクエスト」では1966年9月8日に20位で初登場、10月13日に最高位7位、10月27日13位までランクされました。「TBS今週のベスト10」では7月31位に15位で初登場、9月11日に2位、10月23日17位までランクされました。「八木誠の洋楽ヒットチャート大事典」では1966年年間チャート21位に選ばれています。

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1970~73年の洋楽 ⑧ ホリーズ「喪服の女」「安らぎの世界へ」(1974年)

 

 

 ホリーズ(Hollies)は"兄弟の誓い(He Ain't Heavy He's My Brother)"(1969年)のヒット後、1970年に"I Can't Tell the Bottom from the Top"が全英7位、"Gasoline Alley Bred"が全英14位、1971年に"Hey Willy"が全英22位、1972年に "The Baby"が全英26位とヒットに恵まれませんでした。

 "The Baby"につぐシングル"喪服の女(Long Cool Woman (In a Black Dress)"(1972年)が、英国では最高位32位でしたが、米国とカナダで1位にランクされ、全世界で200万枚売れる大ヒットになりました。シャキシャキッとした爽快なロックンロール・ナンバーで、作詞作曲はアラン・クラーク(Alan Clarke)、ロジャー・クック(Roger Cooke)です。

 日本ではホリーズといえば"バス・ストップ"、ロック・ファン"にはグラハム・ナッシュがメンバーだったアルバム「Butterfly」までなので、"喪服の女"も名曲”兄弟の誓い”と同じようにヒットしませんでした。

 

 

 

 ホリーズは1972年にアラン・クラーク(Alan Clarke)がソロ活動のため脱退し、レコード会社もデビュー以来在籍したUK Parlophon(日本では東芝)からポリドー(Polydor)に移りました。

 1973年夏にアラン・クラークがホリーズのメンバーに復帰、英国では1974年1月にリリースされた"安らぎの世界へ(The Air That I Breath)"が全英2位、ビルボードで6位にランクされました。日本で"カリフォルニアの青い空(It Never Rains In Southern California)"がヒットした、英国のシンガーソングライターのアルバート・ハモンドの作品です。

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ヘンリー・マンシーニ ㉑ 映画「シャレード」より「Megeve」「淋しく降る雪(latin Snowfall)」

 

 

 「シャレード」から"Megave"です。ラテン・タッチのマンシーニらしい洒落たナンバーです。

 「シャレード」は日本では1963年12月21日に公開され大ヒットし、1963年興収7位、1964年興収5位を記録しています。

 

 

 

「シャレード」から"淋しく降る雪(Latin Snowfall)"です。柔らかな音色のトロンボーン・ソロとオーケストラが絡み合うドリーミーな曲です。

 

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ヘンリー・マンシーニ ⑳ 映画「シャレード」シャレードのテーマ

 

 

 オードリー・ヘップバーン(Audrey Hepburn)主演の映画「シャレード(Charade)」(1963年)のオープニング・タイトルです。プロデュース・監督は「雨に唄えば」「略奪された7人の花嫁」など多くの名作を撮ったスタンリー・ドーネン(Stanly Dornen)、撮影は1934年に「戦場よさらば」でアカデミー撮影章を受章、18本の映画でアカデミー撮影章にノミネートされたチャールズ・ラング(Charles Lang)です。オープニング・タイトルのデザインは007シリーズでお馴染みのモーリス・ビンダー(Maurice Binder)です。

 共演はケイリー・グラント(Cary Grant)、ウォルター・マッソーWalter Matthau)、ジェームス・コバーン(James Cobern)、ジョージ・ケネディー(George Kennedy)など豪華な配役です。音楽は「ティファニーで朝食を」(1961年)「酒とバラの日々」(1962年)で2年連続アカデミー主題歌賞を受賞したヘンリー・マンシーニ(Henry Mancini)で、「シャレード」はノミネートされましたが、受賞は逃しました。

 オープニングで主人公のオードリーの夫が列車から落ちて死にます。夫には秘密があり、その秘密をめぐって夫の知り合いだったジェームス・コバーン、ジョージ・ケネディーなど怪しい人物が登場し、謎の大金を巡ってオードリーを脅迫します。シャレード(Charade)」はサスペンス・ドラマですが、コメディーやミュージカルを監督したスタンリー・ドーネンだけあって、ロマンティックでユーモアとウィットに富んでいます。ケイリー・グラントとオードリーも品があって会話も洒落ています。チャールズ・ラングの撮影も素晴らしく、ラストはスリル一杯の謎解きとどんでん返しがあって、サスペンス映画の傑作です。

 私は映画館とテレビの洋画劇場とLDの吹き替え版と字幕版で4回観ました。普通映画は2回目になるとストーリーが分かってい興味が落ちるのですが、「シャレード」は新しく発見するところもあって何回みても面白く、個人的にはヒッチコックの作品より面白いと思っています。

 

 

 

 シャレード(Charade)」のオープニング・タイトル曲です。サスペンス映画らしい、パーカッションを生かしたアップ・テンポの演奏です。

 

 

 

 

 

 「シャレード」のテーマ曲のコーラスヴァージョンです。ロマンチックで美しい旋律です。

 「シャレードのテーマ」は米国ではシングルがビルボードで36位、サウンド・トラックLPが6位にランクされました。

 

 

 

 

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1969年のポップス ㊴ ハプニングス「アイ・ガット・リズム」

 

 

 米国の4男性人組コーラスグループ、ハプニングス(Happnings)の"アイ・ガット・リズム(I Got Rythm)"です。米国では1967年にリリースされ、3位にランクされるヒットになりました。

 ジョージ・ガーシュウイン(George Garshuwin)が1931年に作曲、作詞はアイラ・ガーシュウイン(Ira Gershwin)です。ジャズのスタンダード・ナンバーとしてルイ・アームストロング(Louies Armstrong)、デューク・エリントン(Duke Ellington)、チャーリー・パーカー(Charlie Parker)など多くのミュージシャンがレコーディングしています。日本では1968年にシングルが発売されましたが、ヒットには至りませんでした。

 

 

 

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1968年のポップス ⑫ ハプニングス「シー・ユー・イン・セプテンバー」「ゴー・アウェイ・リトルガール」」

 

 

 ハプニングス(Happnings)の"シー・ユー・イン・セプテンバー(See You in September) "です。米国では1966年7月にリリース、全米位3位にランクされミリオン・セラーになりました。プロデュースは"ライオンは寝ている(The Lion Sleep Tonight)"で有名なトーケンズ(Tokens)で、トーケンズが設立した「BT Puppy」 レコードから発売されました。日本ではシングル盤は未発売に終わりましたが、1968年にベスト・アルバムが発売され、日本のポップス・ファンの耳にも届くようになりました。私もラジオで聴いて以来ずっと好きな曲です。

 ハプニングスはボブ・ミランダ(Bob Miranda)を中心にした4人組コーラス・グループで1961年に結成され、1963年にフォー・グラデュエイツ(Four Graduates)名でデビューしましたが不成功、ハプニングスとグルー名を変えました。ハプニングスのコンセプトはポピュラーのヒット曲を、豊かなコーラス・ハーモニーと精緻なオーケストラ・アレンジでリメイクしてヒットさせるというものでした。

 "シー・ユー・イン・セプテンバー"は白人4人組「テンポス」(1959年録音)がオリジナルですが、スロー・テンポで歌っていてアレンジも時代を感じさせます。ハプニングスのほうがスマートで爽快、新鮮です。

 

 

 

 ハプニングスの"シー・ユー・イン・セプテンバー”に続くシングル、"ゴー・アウェイ・リトルガール(Go Away Little Girl"で、全米12位にランクされました。ゲリー・ゴフィン(Gerry Goffin)、キャロル・キング(Carol King)の作品で、スティーヴ・ローレンスSteve Lawrence)の歌で1963年1月に全米1位にランクされました。

 

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レニー・トリスターノ・セクステット「サックス・オフ・カインド」Live at Carnegiehall Concert 1949

 

 

 前回の「Lee Konitz with Warne Marsh」でジャズ・ピアニストのレニー・トリスターノ(1919~78年)について書きました。1940年代にビバップとは違う、クール・ジャズを創造した偉大なジャズ・ピアニストであるにもかかわらず、正規録音されたレコードが少ないために過小評価されています。

 私はレニー・トリスターノ(Lennie Tristano)の録音の中で、レニー・トリスターノ・セクステット(lennie Tristano Sextet))が、1949年カーネギー・ホールのコンサートで演奏した"Sax of A Kind"が、レニー・トリスターノの音楽の真価を最も表していると思います。1949年12月24日にカーネギー・ホール開催されたコンサートは、レニー・トリスターノ・セクステットの他にバッド・パウエル(Budd Powell)とマイルス・デイヴィス(Miles Davis)のグループ、チャーリー・パーカー(Charlie Parker)、サラ・ヴォーン(Sarah Vaughn)などが出演する豪華な内容でした。

 このコンサートをラジオからエアー・チェックしたLPが1980年代にリリースされました。エアー・チェック録音のため音質は悪いですが、レニー・トリスターノ・セクステットの演奏"Sax Of A Kind"が素晴らしく、何回も聴きました。冒頭のリー・コニッツの閃光のようなアルト・ソロ、トリスターノとビリー・バウアー(Billy Bauer)の緊張感とスウィング感を伴ったスリリングな演奏、特に3分40秒過ぎからのリー・コニッツとウォーンマーシュのソロとアンサンブルには感動しました。日本のフリー・ジャズのギタリストの高柳昌行氏はレニー・トリスターノ信奉者で、クール・ジャズについて「ハード・バップは表面は熱いが、クール・ジャズは表面は冷静だが内面は熱いものを持っている」と語っていました。

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アルバム「リー・コニッツ with ウォーン・マーシュ」より “Topsy” ”There Will Never Be Another You”

 

 

 アルト・サックスのリー・コニッツ(Lee Konitz)とテナ・ーサックスのウォーン・マーシュ(Warne Marsh)は、1940年代後半にレニー・トリスターノ・セクステットに参加しました。レニー・トリスターノ(Lennie Tristano)はクール・ジャズの先駆者であり、ビバップとは別の形式のジャズを創造しました。ただ正規の録音が少なく、1949年のキャピトル録音ではフリー・ジャズの面だけが強調され、1950年代のアトランティックのアルバムではテープの回転を操作して録音するなど、本来の姿、真価が分かりにくなっています。

 1960年代以降は「スウィング・ジャーナル」の編集長だった児山紀芳氏がレニー・トリスターノに直接会い、1952~66年の録音を集めて日本で発売したアルバム「メエルストムの環」だけが正規発売されたアルバムでした。1990年代以降CDの時代なってからは、未発表のライブ・アルバムや録音がリリースされています。

 UPしたのは1950年代にレニー・トリスターノ・セクステットから独立し、ソロ活動していたリー・コニッツとウォーン・マーシュが共演したアルバム「Lee Konitz & Waern Marsh」(1955年)から"Topsy"です。ギターはレニー・トリスターノ・セクステット時代からの盟友ビリー・バウアー(Billy Bauer)、ベースはオスカー・ペティフォード(Oscar Pettiford)、ドラムはケニー・クラーク(Kenny Clarke)という最高のメンバーです。

 

 

 

 アルバム「Lee Konitz & Waern Marsh」かハリー・ウォーレン(Harry Warrenのスタンダー・ドナンバー"There Will Never Be Another You"です。最高のリズム陣をバックにリー・コニッツとウォーン・マーシュが、レニートリスターノ・セクステット時代を彷彿とさせるソロとアンサンブルを聴かせます。

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