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韓国ドラマTV小説「波よ波よ」(KBS 2018年)

 

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 現在放送中のKBSTV小説「波よ波よ」は全然、まったくむかっお!も!し!ろ!く!な!いむかっ
  財産強奪と連座制で140話まで引き伸ばしてきたドラマ。「人生画報」(KBS 2002年)と同じく、朝鮮戦争避難時に全財産を失って(盗まれて)貧乏に。
 妹を迎えに「北」へ行った父親は越北者として記録され、一イメージ 2家は連座制のため期待の長男も出世コースを閉じられてしまいます。
 連座制という難しいテーマを演出家・脚本家はいやはや、こんなに面白くないドラマにして、作家の質が落ちたのかと思いながら観てました。
 楽しいシーンだったはずのキャバレーも駄目。楽屋も駄目。歌手を目指す過程も主人公も魅力がありません。
  「波よ波よ」のタイトルとドラマの関連性がわからない。最終回でやっと「波よ波よ」の意味が。人生とは「よせてはかえす波のようだ」ということのようです。
 イ・ジュヒョンがチャラチャラした悪役を演じています。キャバレーの雇われマダム役のパク・ソニョンですが、色気がなくて残念。イ・ギョンジンが生かされてなくて、もったいない。
 
 最終回を待たずに採点マイナス5点
 むかっむかっむかっむかっむかっイメージ 3
 

 「連座制」を調べてみました。
 
 自らの行為ではない親族の行為によって不利益な処遇を受けなること。 個人の犯罪を家族・親戚にまで責任を問う その家族などにも刑罰を及ぼすこと。就職の自由、航行の自由がない。無実の罪を背負う可能性が大きい。
 
 李承晩政権~軍事政権時代(1948年~1986年)に社会主義者は徹底的に排除されました。しかし38度線の北に自らの意志で行った越北者もほぼ同義で用いられるようになってしまいました。その中には李承晩政権を忌避した民族主義者等も含まれています。
 社会主義者や「越北」した人たちの中には、作家・詩人や画家もいますが、圧倒的に多くの無名の人々がいて、韓国に残されたその家族まで国によって差別された点は、大きな悲劇を生みました。
 世間から後ろ指をさされるのみならず、公務員になれない等々のハンディを負わされて不遇な人生を送った人は大勢いました。
 「砂時計」(1995年 SBS)でチェ・ミンス(子役キム・ジョンヒョン)が陸軍士官学校を受験しますが、亡くなった父親が共産主義者だったことを理由に不合格になりました。結局ヤクザの道へ。
 ムン・グニョンの祖父(05年死去)が朝鮮戦争の時のパルチザン活動や1971年の統一革命党再建事件に関わって計30年間服役した非転向長期囚ですので、ムン・グニョンの家族・親類も連座制の犠牲者だったのかもしれません。
 盧武鉉(ノ・ムヒョン)元大統領(妻の父)、金槿泰(キム・グンテ)元議員(兄弟)など、家族・親戚の左翼経歴のために連座制攻撃を受けました。
 男性j歌手ホン・ミンも父親が越北者だったので、不遇な時代がありました。 
 
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1964年のポップス ⑯ ボビー・ヴィントン 「ブルー・ファイア」 「ブルー・ハート」

 

 ”ブルー・ヴェルヴェット”に次いでリリースされた、ボビー・ヴィントンの”ブルー・ファイア(There I've Said Again)”も全米1位にランクされる大ヒットになりました。

 日本では1950~60年代のポップス・ナンバーは、原題と全く違うタイトルをつけるのが当たり前でした。この曲も原題は”There I've Said Again”ですが、”ブルー・ヴェルヴェット”がヒットした後なので、ブルーを使って”ブルー・ファイア”というタイトルにしたのでしょうが、”ブルー・ファイア”では曲のイメージが浮かんできません。、
 日本でヒットしなかったのはタイトルのせいもあるのかもしれませんが、個人的には”ミスター・ロンリー”と並ぶ好きなナンバーです。アレンジが少しジャズっぽく、メロディーが美しく優しく、ボビー・ヴィントンの歌の良さが伝わってきます。

 

 
 
 
 
 
 1964年初頭に米国でリリースされた”ブルー・ハート(”My Heart Belongs to Only You)"です。ボビー・ヴィントンらしい甘い歌とメロディーで、全米9位にランクされましたが、日本では”ブルー・ファイア(There I've Said Again)”と同じでヒットしませんでした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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1963年の洋楽 ⑱ 「ボビー・ヴィントン 「ブルーヴェルヴェット」 「私の青空」」

 
 
 
 ボビー・ヴィントン()(1935年生~)は、ビッグバンドのりーダーを父に、母がバンド・シンガーという音楽一家に育ち、サックス、トランペットなどの楽器をマスターし、将来はグレン・ミラーのような楽団をもつのが夢でした。高校、大学では自らバンドを結成、1958~60年にマイナー・レーベルからシングル、"Twlight Time””Harlem Nocturne” ”You'll Never Forget” ”A Freshman and A Sophmore”をリリース。前2曲は楽団演奏、ALPINEレコードからの”You'll Never Forget” ”A Freshman and A Sophmore”は当時の典型的なティーン・ポップスです。
 1961年にEPICレコードに送ったデモテープが認められ、ビッグ・バンドアルバム「Dancing at the Hop」 「Plays fo rHis Li'l Darling」をリリースするも、セールスが奮わず、ソロ・シンガーとしてデビューします。
 1962年”涙の紅バラ(Roses Are Red (My Love)”が全米1位の大ヒットになり、1963年”ブルー・オン・ブルー(Blue on Blue)も全米3位のヒットになりました。
 ”ブルー・オン・ブルー”に次ぐシングル”ブルー・ヴェルヴェット(Blue Velvet)”は全米1位にランクされ、ボビー・ヴィントンのヴェルヴェットのような柔らかで甘いヴォーカルの魅力が発揮された、”ミスター・ロンリー”と並ぶ彼の代表曲になりました。
 
 
 
 
 
 
 
 ”ブルー・オン・ブルー”と””ブルー・ヴェルヴェット”が大ヒットしたため、ブルー(Blue)とタイトルについた曲を集めたアルバム「ブルー・オン・ブルー」が1963年にリリースされ、それに収録された”私の青空(My Blue Heaven)”です。米国ではシングルは未発売で、日本でのみシングル盤が発売されました。
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「鈴懸の径 」 鈴木章治とリズム・エース&ピーナッツ・ハッコー/「シャボン玉ホリデー」より鈴木章治、ザ・ピーナツ、安田伸

 
 
   
 灰田勝彦の「鈴懸の径」をJAZZにアレンジした、鈴木章治とリズム・エースの素晴らしい演奏!。
 「鈴懸の径」は、鈴木章治とリズム・エースに、ベニー・グッドマン楽団の一員として来日していたクラリネット奏者のピーナッツ・ハッコーを迎え、1957年の1月にTBSホールで演奏されました。放送されるや多くの人からリクエストが殺到し、レコード化されました。
  20年前にレコードを買って初めて聴いた時、本当に感動しました。1957年の録音なので、スイングするだけでなく、モダンでクールな雰囲気もあって、最高の「鈴懸の径」の演奏だと思います。クラリネットだけでなく、ヴィヴラフォン・ギター・ピアノのソロも素晴らしい。ユニゾンでのクラリネットの間奏もいかしています。
 
 
 
  
 
 
   
 1964年の読売テレビ「シャボン玉ホリデー」から、ザ・ピーナツ、鈴木章治、安田伸の歌と演奏です。
 「しゃぼん玉ホリデー」というと、植木等の”およびでない”などコントのイメージがありますが、歌と演奏がこんなに質が高かったのだなあと驚いています。
 これに比べて、タレントがべらべら喋るだけの今のバラエティー番組の質の低さには目を覆いたくなります。
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