goo

ニール・ヘフティー ⑫ 映画「裸足で散歩 (Barefoot in the Park)」(1967年)

 

 

 映画「裸足で散歩(Barefoot in the Park)」(1967年)からメイン・テーマです。「裸足で散歩」はロバート・レッドフォードRobert Redford)、ジェーン・フォンダ(Jane Fonda)主演のロマンチック・コメディーで、日本では1968年5月に公開されました。ニール‥サイモン(Neil Simon)の戯曲(1963年)を映画化したもので、映画の脚本も、ニール‥サイモンが書いています。私はこの映画を観ましたが、都会的で洒脱な温かいコメディーで皮肉もあって楽しかったです。

 監督はジーン・サックス(Gene Saks)です。.ジーン・サックスは舞台、映画・テレビドラマの監督、俳優で、特に舞台監督でトニー賞を」I Love My Wife」(1977~79)「Brighton Beach Memoirs」(1983~86年)「Biloxi Blues」(1985~86年)で3回受賞し、「アメリカの演劇殿堂」入りしています。1968年には「裸足で散歩」と同じ、ニール・サイモンの脚本、ニール・ヘフティーの音楽でコメディー映画「おかしな二人(Odd Couple)」を監督しています。

 ニール・ヘフティー(Neal Heafti)の音楽はスマートで洒落ていて都会的なコメディーにぴったりです。「裸足で散歩」はニール・ヘフティーのサウンド・トラックの中でも「おかしな二人」と並んで代表作の一つと言ってよいです。

 

 

 

 映画「裸足で散歩(Barefoot in the Park)」のテーマ曲のインストゥルメンタル・ヴァージョンです。「おかしな二人」と同じように、オルガンやチェンバロが効果的に使われています。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

ニール・ヘフティ ⑪ フォー・フレシュメン「リル・ダーリン」、ジョージィ・フェイム「ガール・トーク」

 

 

 米国のジャズ・コーラス・グループ、フォー・フレシュメン(The Four Freshmen)のアルバム「The Swingers 12 Favorites By Four Freshmen 」(1963年)からニール・ヘフティ作曲の"リル・ダーリン(LIl' Darlin)”です。アレンジはビル・ホールマン(Bill Holeman)で、フォー・フレシュメンは歌詞なしでスキャットで歌っています。このアルバムは米国では再発されないままで、日本で1982年に東芝レコードからLPが発売されています。

  フォー・フレシュメンは1948年に大学の音楽仲間4人で結成され、メンバー全員がギター、べース、ドラム、ピアノ、ホーン楽器を演奏できます。1952年に"It's a Blue World"がヒットし、ファースト・アルバム「Voice in Modern」をリリース。オープン・ハーモニーの素晴らしさで、屈指のジャズ・コーラス・グループとして1950年代に人気を博しました。

 

 

 

 

 ジョージィ・フェイム(Georgie Fame)のアルバム「Georgie Does His  Thing with Strings」(1969年)から、ニール・ヘフティ作曲の"ガール(・トーク(Girl Talk)"です。

 ジョージィ・フェイムは英国の歌手、オルガンに・ピアノなどのキーボード奏者で、黒人音楽・ジャズに影響を受けています。1960年代には"Yea,Yea)"(1964年),"Get Away"(1966年)."The Ballad of Bonnie and Clyde"(1967年)の3曲が全英1位にランクされるヒットになりました。

 1969年はロックの時代になっているのに、ストリングスをバックにスタンダード・ナンバーやポップスのヒット曲を歌うアルバム「Georgie Does His  Thing with Strings」をリリースするとは、ジョージィ・フェイムはロックの人ではないことを示してしていると思います。アルバム「Sound Venture」(1966年)ではニールヘ・フティの"LI'l Darlin","Little Ponny"をレコーディングしています。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

ニール・ヘフティー ⑩ ランバート・ヘンドリックス&ロス、モダネアーズ「 Don't Dream Of Anybody But Me((Lil' Darlin)」

 

 ランバート・ヘンドリックス&ロス(Lambert Hendrick&Ross)がカウント・ベイシー楽団と共演したアルバム「SING ALONG BASIE」(1958年)より、”Lil' Darlin(Don't Dream of Anybody but Me)"です。"Don't Dream of Anybody but Me"のオリジナル録音です。コーラスも良いですが、中間部からのアニー・ロス(Annie Ross)のヴォーカルが雰囲気があって素晴らしいです。

 

 

 

 グレン・ミラー(Glenn Miller)楽団のコーラス・グループだったモダネアーズ(The Modernaires)のアルバム「Like Swung」(1960年)から"Don't Dream of Anybody but Me"です。アレンジがニール・ヘフティの曲にしてはビッグバンド寄りです。モダネアーズはグレン・ミラー逝去後も音楽活動を続け、1950年代にはコンスタントにLP・シングルをリリースしています。

 

 

 

 

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

ニール・ヘフティー ⑨「ガール・トーク」トニー・ベネット

 

 ニール・ヘフティー(Neal Hefti)が作曲した映画「ハーロウ(Harlow)」(1964年)"のサウンド・トラックから、テーマ曲の"ガール・トーク(Girl Talk)"です。グラミー賞にノミネートされ、ニール・ヘフティーの代表作のひとつになりました。

 

 

 

 トニー・ベネット(Tony Bennet)のアルバム「MOVIE SONG ALBUM」(1966年)から、"ガール・トーク(Girl Talk)"です。このアルバムは1960年代半ば頃の映画音楽をレパートリーにしていて、"ガール・トーク"はルイス・ボンファ(Luiz bonfa)の"ジェントル・レイン(Gentle Rain)"、ジョニー・マンデル(Johnny Mandel)"の"エミリー(Emily)"とならぶ名唱です。

 

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

ニール・ヘフティ⑧「Don't Dream of Anybody but Me(Lil' Darlin)」アニタ・カー、メル・トーメとメルトーンズ

 ニール・ヘフティが(Neal Hefti)が作曲した”リル・ダーリン(Lil' Darlin)”は、ジャズコーラス・グループのランバート・ヘンドリックス&ロス(Lambert Hendrick&Ross)のメンバー、ジョン・ヘンドリックス(John Hendricks)によって"Don't Dream of Anybody but Me"のタイトルで歌詞が付けられました。ランバート・ヘンドリックス&ロスはアルバム「Sings Songs & Basie」1958年)で初録音しました。

  ”Lil' Darlin”はその後バート・ハワード (Bart Howard)が別の歌詞を作詞、同曲異詞の2つの歌詞が歌われています。ジョン・ヘンドリックス版はランバート・ヘンドリックス&ロス以外では、マーク・マーフィー·( Mark Murphy)がアルバム「RAH」(1961年)、ヘンドリックス&カンパニー( Hendricks & Company)がアルバム「Love」(1982年)で録音しています。

 バート・ハワード 版はアニタ・カー・シンガーズ(Anita Kerr Singers)がアルバム「Mellow Moods of Love」(1964年)、メル・トーメがアルバム「 Mel Torme & The Mel Tones Back in Town 」(1959年)、メイベル・マーサー( Merely Mercer) がアルバム「Merly Marvelous」(1960年)、ジャッキーデシャノン(Jackie Deshannon)がアルバム「For You」(1967年)、ボビー・ダーリン(Bobby Darlin)がアルバム「This Is」(1960年)、 モニカ・ゼタールンド (Monica Zetterlund )が1959年前後に録音、アルバム「Spring Is Here」に収録されています。

 

 

 "Don't Dream of Anybody but Me"をいろいろな歌手で聴きましたが、アニタ・カー・シンガーズ(Anita Kerr Singers)のヴァージョンが、ニール・ヘフティ(Neal Hefti)の都会的でソフィスティケートなメロディー、サウンドを活かしていて一番だと思います。アルバム「Mellow Moods of Love」(1965年)に収録されています。

 

 

 

 

 メル・トーメ(Mel Torme)のアルバム「 Mel Torme & The Mel Tones Back in Town 」(1959年)から"Don't Dream of Anybody but Me"です。メル・トーメは1943年に5人組のコーラス・グループ 、メルトーンズ「Mel Tones」を結成、シングル・EPを録音、アーテ-・ショー(Artie Show)楽団にも参加しました。グループ は1945年~46年に解散しましたが、1950年代にメル・トーメのアルバムのために再結成しています。

 「ボサノヴァの歴史」ではブラジルで1940年代後半、新しい音楽を求める若者たち(その後のボサノヴァ・ムーブメントを支持した人たち)から最も高く評価され、人気のあった米国の音楽家はスタン・ケントン(Stan Kenton)とメル・トーンズ(Meltones)だったという記述があり、ブラジルの音楽ファンの質が高いことに驚きました。

 

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

ニール・ヘフティー ⑦ リル・ダーリン LP「JAZZ POPS」「Pardon My Doo-Wah」より

 

  ニール・ヘフティー(Neal Hefti)は1961年に、フランク・シナトラが設立したリプリーズ・レコードに編曲家・演奏家として招かれ、アルバム「JAZZ POPS」(1962年)をリリースしました。自身の作曲"リル・ダーリン(Li'lDarlin')"はアルバム「Pardon My Doo-Wah」(1958年)に続いて2回目の録音です。ビヴラフォンをフューチャーした、ニール・ヘフティーらしいゆったりとした気持ちの良い演奏です。

 

 

 

 

 ニール・ヘフティーのアルバム「Pardon My Doo-Wah」(1958年)より、"リル・ダーリン"です。ビッグ・バンドにコーラスを配した、都会的でソフィスティケートされたアレンジです、

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

ニール・ヘフティー ⑥ 映画「女房の殺し方教えます」 テレビ「バットマン」

 

 ニール・ヘフティー(Neal Hefti)が映画音楽を手掛けてから,「求婚専科(Sex and the Single Girl)」(1965年)に次ぐ2作目の「女房の殺し方教えます(How to Murder Your Wife)」(1965年)です。

 この映画はジャック・レモン(Jack Lemmon)、ヴィルナ・リージ(Virna Lisi)主演のコメディーで、独身貴族を楽しんでいた主人公(ジャック・レモン)が、美人で聡明、性格も良い理想的な女性(ヴィルナ・リージ)と出会って結婚しますが、完璧すぎて窮屈になってしまい、元の独身生活に戻るため、妻を殺すためのいろいろな方法を考えるというストーリーです。ジャック・レモン主演でコメディーなのですが、設定に無理があるのと、監督がやや凡庸なリチャード・クワイン(Richard Quine)のため、あまり笑えない仕上がりになっています。監督がビリー・ワイルダー(Billy Wilder)で、脚本がワイルダーとI,A,,L,,Diamondだったら良かったのにと思ってしまう映画です。

 

 

 

 ニール・ヘフティー(Neal Hefti)作曲の「バットマン(Batman)」(1966年)のテーマ曲です。「バットマン(Batman)」はアメリカン・コミックのヒーローを、テレビドラマ化したものです。米国では1966年~68年まで放映されました。当時日本でもテレビ放映されましたが、あまり人気にはなりませんでした。1990年代~2000年代にはシリーズで映画化され、世界中でヒットしました。

 

 

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

ニール・ヘフティー ⑤ 映画「砦の29人」

 

 ニール・ヘフティー(Neal Heafti)は1940年代からビッグ・バンドのプレイヤー、アレンジャーとして活躍、1944年にはウッディー・ハーマン楽団に参加、優れた仕事を残しました。1950年代にはカウント・ベイシーやクリフォード・ブラウン等のために多くの曲やアレンジを提供、自分の楽団を編成し演奏活動、レコーディングなど多彩な活動をしました。

 映画音楽の仕事は「求婚専科(Sex and the Single Girl」(1965年)からで、1965年には他に「女房の殺し方教えます(How to Murder Your Wife」、「ボーイング・ボーイング(Boeing Boieng)」「ハーロー(Harlow)」「Syananon(日本未公開)」の4作品のOSTを作曲しました。

 「砦の29人(Dual at Diablo」(1966年)は、ラルフ・ネルソン(Ralf Nelson)監督、ジェームス・ガーナー(James Garner)、シドニー・ポアチエ(Sidny Poitier)、ビビ・アンデルセン(Bibi Anderson)出演の西部劇です。「野のユリ」や「ソルジャー・ブルー」を撮った社会派のラルフ・ネルソンの監督のためか、観終わったあと重々しい気持ちが残る映画でした。

 「砦の29人」のテーマ曲は日本でヒットし、TBS「今週のベスト10」では1966年7月3日に13位で初登場、7月31日、8月21日には最高位3位、9月18日に13位にランクされました。「洋楽ヒット・チャート大事典」(八木誠著)では1966年年間チャート22位に選ばれています。

 

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

ニール・ヘフティー ④ 「ガール・トーク」 Neal Hefti "Girl Talk"  ビリー・メイ、ジョニー・ソマーズ

 
 
  ニール・ヘフティーは1960年代に数多くの映画やテレビの音楽を作曲しました。そイメージ 1の中でも代表作と言えるのが、映画「ハーロウ(Harlow)」(1965年)で使われた"Girl Talk"です。
 「ハーロウ」は伝説の女優、ジーン・ハーロウの生涯を描いた作品で、キャロル・ベイカーがヒロインを演じました。悲劇的な映画なのですが、”Girl Talk"はアレンジが洒落ていて、スウィング感にあふれた華やかで美しい曲です。You Tubeのニール・ヘフティーの録音はUPできないので、ビリー・メイ(Billy May)の録音をUPします。
 
 
 
 
 
  ”Girl Talk"は、ボビー・トゥループ(Bobby Troup)が歌詞をつけ、多くの歌手にカヴァーされました。 トニーベネットなど多くの歌手が歌っていますが、ソフィスティケートされたニールヘフティーのサウンドには、ジョニーソマーズ(Joanie Sommers)のキュートなヴォーカルがぴったりです。
 UPしたのは1966年にColumbiaに移籍してからのアルバム「Joanie Sommers/Come Alive」からです。   (Kann Dorao)
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

ニール・ヘフティー ③ 「バック・ビート・ブギー」 Neal Hefti "Back Beat Boogie" ジョニーソマーズ "Why Try to Change Me"

 
 ニール・ヘフティーは演奏家へのアレンジだけではなく、1950年代に自身の楽団で多くのアルバムをCoral・VIK・Epicなどに録音しています。ただ You Tubeには音源が少なく、音が悪いものもあり、UPできないのが残念です。
 UPしたのはアルバム「Neal Hefti Singing Insturmental」(Epic1955年)より、ハリー・ジェイムスの1939年のヒット曲”Back Beat Boogie"です。ハリー・ジェイムスはスウィング時代の人気トラペッターで、1970年代まで活躍しました。
 ニール・ヘフティーはレイ・チャールズ・シンガーズのコーラスを加え、からっと明るくスウィングする、ソフトでお洒落なブギー・ナンバーに仕上げてています。
 
 
 
 
 
 
 ニール・ヘフティーは1960年にロサンゼルスに移り、ハリウッドで編曲や映画音楽の仕事を精力的にこなしていきます。歌手ではフランク・シナトラ、ドリス・デイ、ディーンマーティンなどのアルバムの編曲をしています。
 UPしたのはニールヘフティー編曲の、ジョニーソマーズのアルバム「The Voice of Sixties'」(Warner 1961年)から"Why Try to Change Me"です。1959年にサイ・コールマンが作曲した作品で、フランクシナトラの歌で知られています。   (Kann Dorao)
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 前ページ