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「ホワイトクリスマス」 ビング・クロスビー/ダニー・ケイ/ローズマリー・クルーニー/ヴェラ・エレン 

 
 
 
 
  メリークリスマス 
 
 1954年映画「ホワイトクリスマス」ビング・クロスビー/ダニー・ケイ/ローズマリー・クルーニー/ヴェラ・エレン 
 
 コーラスの入ったビンク・クロスビーの”ホワイト・クリスマス”がやっぱり定番のような気がします。
 
 
 自由に楽しんだクリスマスパーティが懐かしい。日本人にとってクリスマスとは敬虔で厳かな儀式と違い、正月前の幸せな忘年会のような一大イベントでした。去年まであった駅前広場のイルミネーションやデパートの飾りつけもなくなり、年々淋しくなっていきます。
 悪魔ハロウィンより、福々しい紅白のサンタクロースのほうが美しくて健全です。以前のようにクリスマスをお祝いしたいですね。
 
 
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ソ・ヨンウン 「あなた(イム)のための行進曲」

 
 
  ”あなた(イム)のための行進曲”は集会でよく歌われる歌で、気持ちを奮い立たせる民衆歌としては一番有名な曲です。
 ピアノの前奏とソフトなソ・ヨンウンの歌声で”あなた(イム)のための行進曲”は喚起の歌ではなく鎮魂歌として穏やかに聴くことができます。
 韓国の女性歌手ソ・ヨンウンは1973年生まれの43歳。カトリック大学校生物学科卒。 大学1年生の時からジャズグループを結成して活動。2008年までに8集のアルバムをリリースしています。
 Youtubeで”あなた(イム)のための行進曲”を検索すると野太い合唱しかなくて、ソ・ヨンウンの”あなた(イム)のための行進曲”を見つけたときはうれしかったです。
 
 ”あなた(イム)のための行進曲”は、名実共に「5.18民主化運動」(1980年の光州事件)を代表する歌です。歌が作られた 80年代は当然禁止曲に指定されて、不法テープ' を通して広がりました。1991年に発売された 「ノチャサ」 の 3集アルバムで初めて正式録音されました。 2000年代以後には民主派陣営側が主導するロウソク集会を含めた大衆集会でもたくさん歌われています。 また光州では光州地域を代表する歌に認識されています。     韓国ウイキより
 
 
 光州事件の詳細がブログ「日本人の知らない韓国」さんに載っています。↓をクリックすると記事がでます。

 

 「あなた(イム)のための行進曲」は、5・18民主化運動が1997年に政府記念日に制定された以後、記念式で斉唱されてきました。5・18民主化運動が韓国の歴史において、決して忘れてはいけない出来事なので国の記念日に制定されました。
 イ・ミョンバク政権のスタート以後の2009年行事からは本行事から除外され、2011年からは合唱団の合唱として歌われました。“斉唱”とは行事に参加したすべての人が歌わなければならず、“合唱”は合唱団が歌を歌えば残りの参席者は随いて歌わなくとも良いものです。
 「あなた(イム)のための行進曲」は北朝鮮に盲従することという論議があるとして“斉唱”に反対し、5・18記念曲に指定することにも反対しました。
 Youtubeの画像には歌う人と歌わない人がいてぎくしゃくした記念日の模様が映し出されていました。
 
 でも今年はちがいます。
 
 
 
 
 
  ムン・ジェイン新大統領による「光州(クァンジュ)民主化運動37周年記念式」の模様はこちら↓
 中央日報コラムより 『故ノ・ムヒョンと大統領ムン・ジェイン』①
 
 
 
 
 
 
 
 パク・クネ大統領退陣ロウソク集会より
 
 
     ”イムのための行進曲”
 
 愛も     名誉も     名前も   残さず
 一生涯         がんばろうという 熱い   誓い  同志は (死んで)いなくなり 旗だけが   翻る  新しい日が 来る時まで 動揺するな
 (繰り返し)  歳月は     流れても 山河は       知っている  目覚めて 叫ぶ       熱い       叫び  (私は)先に 行くから 生きている者は 後からついてこい  (私は)先に 行くから 生きている者は 後からついてこい
    歌詞レイバーネットさんより
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チョ・グァヌ「織女に」

 
 
  
 
 キム・ウォンジュンの”織女に”をチョ・グァヌで。
 
 
 
 
 
 キム・ウォンジュンの”織女に”オリジナル
 
 
 
   
 
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キム・ウォンジュン 「岩の島」 「織女に」 「モモ」

 

学校でも歌われているというキム・ウォンジュン”岩の島”。唱歌のようにゆったりとした気持ちのいい歌ですね。
 
 岩の島
 
 波の砕ける岩の人けのなかったこの場所に
 人々が1人2人と集まった
 ある夜暴風にさらわれ消さり
 残ったものは岩の島と白い
 *岩の島よ 君が私を嫌っても わたしは本当君を愛している
 また生まれ変われなくても 君を愛する
 今はもうカモメも去り誰もいないけれど
 私はこの岩の島で暮らしたい
 *~*
 
 キム・ウォンジュンは1985年に”岩島”でデビューしました。
 抒情歌のような”岩島”は孤島を例えた比喩で、「光州事件」を歌った曲なのです。軍隊に囲まれ外部との連絡を一切絶たれた光州。まるで岩島のような孤島でした。1980年5月に起きた光州事件では学生、市民が大勢犠牲になりました。
 
 1981年「MBC大学歌謡祭」でチョン・オジャが”パゥイドゥル”で大賞に輝きました。1か月後マスコミの注目を浴びたチャン・オジャは”光州で犠牲になった友人に捧げる歌です”と公表。すぐに発売禁止で一切歌われなくなりました。それを教訓にキム・ウォンジュンは”岩島”の意味を明かさずに発表。抒情歌として国民に愛される歌となりました。チョン・オジャ 「パイッドゥル」
 
 
 
 
 
 
 詩人ムン・ビョンランの詩をベースに曲をつけた”織女に”は織姫と彦星を比喩に例えて韓国と北朝鮮の分断の痛みを歌っています。切実な歌詞が共感を呼び、軍事独裁に反対する自由と民主化を渇望した集会で歌われました。 それでキム・ウォンジュンは 「民衆歌手」と呼ばれるようになりました。
 キム・ウォンジュンは”民衆歌手というジャンルがあるかわかりませんが、初めは気まずく聞こえました。でも真実に暮らし、正義のある心で暮して、正しい信念を守りながら暮す人々が私に与えた大きなな勲章だと思います”と語っています。
 1985年”岩島”、 1987年”織女に” などで国民的に愛されましたが、アルバムの数曲は禁止曲になりました。 彼は 「民衆歌手」として自分を位置づけ、アルバム制作もソウルではなく光州で行い、地元歌手として活動を続けました。1999年になって詩人アン・ドヒョン他の詩を曲にした「 3集アルバム」を発表しました。
 キム・ウォンジュンは北朝鮮の子供たちにパンを送る活動をしています。
 
  ”織女”

 

 この別れあまりにも長い
 悲しみがあまりにも長い
 線のまま待つには歳月が余りにも長い
 
 銀河の涙にしてはいけない
 胸の痛みと痛みで怒りのむしろに置いている
 
* か小川は、恋人銀河を渡る
 烏究橋なくても怒りのむしろがなくても
 胸の痛みをもう一度私たちの
 
 恋しい人の恋しい人の別れはなくなって
 悲しみはなくなって
 私たち会うべき
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 3分14秒から歌が始まります。
 
 1978年のキム・マンジュンの歌”モモ”をキム・ウォ、ンジュンとハ・ソングァンが歌っています。2016年2月の「コンサート7080」の画像から、久しぶりにテレビに出演したキム・ウォンジュンです。2008年に一度だけ「コンサート7080」に出演していましたが、その時でさえ、テレビにはあまり出ませんと言っていました。
 
    モモ
 
 
 モモは物知らず モモは虹 モモは生を追い掛ける時計針である
 モモは流れ者 モモはさびしい影 とても嬉しくて拍手を打つように羽たいて
 飛ぶニスの鳥の夢見るモモは幻想家
 ところでどうしてモモの前にいる生は幸せなのか 
 
 人間は愛なしに暮すことができないというのを
 モモはよく分かっているからである
 モモは物知らず モモは虹 モモは生を追い掛ける時計針である
 
 
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1968年のポップス ③ スティーヴィー・ワンダー、トニー・ベネッ ト「フォー・ワンス・イン・マイライフ」

 
 
 スティーヴィー・ワンダーは1963年13歳の時に、シングル”フィンガーティップス(Fingertips Part1&2)”とアルバム「Jazz Soul of Little Steive」がビルボードで1位にランクされ、盲目の天才少年歌手と呼ばれました。
 UPしたのは1968年10月にリリースされた”フォー・ワンス・イン・マイ・ライフ”で、米国ではビルボードで2位にランクされました。
 最近クロスオーヴァ・ーソウルという言葉が使われますが、この曲はそれまでのリズム・アンド・ブルースとは違う、新しいソウルサウンドを取り入れた、まさにクロスオーヴァ・ソウルの先駆けだと思います。
 
 
 
 
 
 
 
 
 トニー・ベネットの”フォー・ワンス・イン・マイ・ライフ”は、米国で1967年にリリースされ、ビルボードで91位にランクされました。
 ゆったりとした美しいオーケストラの演奏と、朗々とロマンティックに歌うトニーベネットのヴォーカル、スティーヴィー・ワンダーのヴァージョンとは違う曲のようです。
     (Kann Dorao)
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1964年のポップス ① ザ・ニュー・クリスティー・ ミンストレルズ、サンド・パイパーズ 「トゥデイ(Today)」

 

 

 ザ・ニュー・クリスティー・ ミンストレルズ(The New Christy Minstrels)は、1961年にランディー・スパークス(Randy Sparks)を中心に結成された男女混声のフォーク・グループです。1963年には”グリーン・グリーン”(Green Green)が米国で13位にランクされ、日本でもフォークブームのなか多くの人に歌われました。

 "トゥデイ(Today)"(ランディー・スパークス作)は、映画「Advance To The Rear(うしろへ突撃!)」(1964年日本公開)に使われ、米国では17位にランクされました。
 40年くらい前にラジオで初めて聴いた時以来好きな曲で、フォークソングの名曲だと思います。
 
 
 
 
 
 
  サンド・パイパーズ(Sand Pipers)の"トゥデイです。サンドパイパーズは3人組の男性 ボーカルグループで、1966年から1971年まで、A&Mレコードからアルバムをリリースしました。
 ”トゥデイ(Today)"は3枚目のアルバム、”Misty Roses"に収録されています。
 
 
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1966年のポップス ⑮ ジリオラ・チンクェッティー 「愛は限りなく」

 
 
 ジリオラ・チンクェッティー の”愛は限りなく(Dio come ti amo)”(ドメニコ・モドゥーニョ作)は、日本では1966年3月に発売されました。サンレモカ音楽祭で優勝しただけのことはある、カンツォーネらしい名曲だと思います。
 UPした画像は映画からで、ジリオラ・チンクェッティーが初々しくて可愛いらしく、日本で人気があったのも納得します。
 
 
 
 
 
 "愛は限りなく(Dio come ti amo)”の日本語盤は1966年7月に発売されました。
       (Kann Dorao)
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1967年のポップス ㉖ タートルズ 「ハッピー・トゥゲザー」 映画「プレイラヴ48章のテーマ」

 
 
 タートルズはアメリカのポップグループで、「ホワイトホエール(White Whale)」レーベルから1965年に”悲しきベイブ(It Ain't Me Babe)"woをリリース、ビルボードで5位
にランクされました。
  ”ハッピー・トゥゲザー”は米国では1967年1月にリリースされ、ビルボード、キャッシュボックス両チャートで1位になる大ヒットになりました。
 日本では文化放送「9500万人のポピュラーリクエスト」で、4月21日に21位で初登場、6月8日に最高位4位、7月6日まで20位以内にランクされました。
 「洋楽ヒットチャート大事典(八木誠著)」では、「1967年間ベスト100」で43位に選ばれています。
 
 
 
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 1967年の映画「プレイラヴ48章(Guide for the Married Man」のテーマです。ミュージカルスターのジーン・ケリーが監督、ウォルターマッソウ、インガー・スティーヴンス、テリー・トーマス、フィル・シヴァース、ルシル・ボールなどが出演する艶笑コメディーです。日本でも1967年の暮に正月映画として上映されましたが、全くヒットしませんでした。

 音楽はスターウォーズのジョンウィリアムスが担当。いかにも1960年代のジョン・ウィリアムスらしい心に残らないメロディーです。    (Kann Dorao)

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1965年のポップス ③ ジリオラ・チンクェッティ 「ナポリは恋人」 「あこがれはいつも心に」

 

 ジリオラ・チンクェッティーは1964年にサンレモ音楽祭で優勝した”夢見る想い”が大ヒットして、一躍人気歌手になりました。主演の歌謡映画もイタリアで作られ、当時日本でも公開されました。

 ”ナポリは恋人( Napoli, fortuna mia )”は日本では1965年1月に発売され、伊東ゆかり・弘田三枝子・いしだあゆみが日本語でカバーしました。
 「洋楽ヒットチャート大事典(八木誠著)」では、「1965年間ベスト100」で21位に選ばれています。
 
 
 
 
 
 ジリオラ・チンクェッティーの”あこがれはいつも心に( Ho bisogno di vederti ”は、”ナポリは恋人”に続くシングル盤で、日本では1965年3月に発売されました。
 
     (Kann Dorao)
 
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1968年のポップス ② タートルズ「エりノア」 「いかしたあいつ」

 
 
 タートルズの”エリノア(Elenore)"は米国では1968年9月にりリース、ビルボードで6位にランクされるヒットになりました。
 「洋楽ヒットチャート大事典(八木誠著)」では、「1968年間ベスト100」で77位に選ばれています.個人的には”ハッピー・トゥゲザー”より好きで、60年代ポップスの名曲だと思います。
 
 
 
 
 
 
 
 タートルズの”いかしたあいつ(She'd rather be with me)”(キングTOP-1164)は、米国では1967年9月にリリースされ、ビルボードで3位、カナダ・南アフリカで1位、デンマーク・アイルランドで3位、英国で4位になるなど世界中でヒットしました、 
 日本ではほとんどヒットしませんでしたが、タートルズでは”ハッピートゥゲザー””エリノア"に並ぶヒットナンバーです。1977年にベイシティーローラーズのパット・マッグリンがカバーしました。    (Kann Dorao)
 
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