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1958年の洋楽 ➉ トニー・パーキンス「月影の渚(ムーンライト・スウィム)」「ハウ・アバウト・ユー」

 

 映画俳優トニー・パーキンス(アンソニー・パーキンス)の1957年のヒット曲”月影の渚(Moonlight Swim)”です。米国ではRCAレコードからリリースされ、最高位43位にランクされました。オーケストラはフランク・デ・ヴォル(Frank De Vol)です。のちには映画「ブルー・ハワイ(Blue Hawai)」でエルヴィス・プレスリーによって歌われました。

 日本では米国以上にヒットし、「洋楽ヒットチャート大事典」(八木誠著)では1958年年間チャートで5位に選ばれています。

 アンソニー・パーキンス(Anthony Perkins)はウィリアム・ワイラー監督の映画「友情ある説得(Friendly Pesuation)」(1956年)でアカデミー助演男優賞にノミネートされ、一躍人気俳優になりました。1950年代後半には青春スターとして多くの映画に出演しました。またトニー・パーキンス名で、3枚のアルバムとアルバム未収録のシングルをリリースしています。。

 

 

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 トニー・パーキンスで”How About You”です。アルバム「Orchestra Under the Direction Martin Paich」(1957年)からで、名アレンジャー、マーティー・ペイチのアレンジとオーケストラをバックに、トニー・パーキンスはさらっと軽くスウィングして歌っています。

 ”How About You”はジャズのスタンダード・ナンバーで ”私は~が好き、あなたはどう”という歌詞で、歌手によって好きなものを変えて歌います。以前アニー・ロスの歌を紹介しましたが、アニ・ーロスは歌手のフランク・シナトラとビリー・エクスタインが好き("GIve Me a Thrill")と歌っていましたが、トニー・パーキンスはソフィア・ローレンが好きと歌っています。

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ボクヒ(ポッキ)姉さん

ボクヒ(ポッキ)姉さんをamebaブログから22話うつしました。ドラマに大変感動しながら観ていました。2012年~2014年に書いた古い記事ですがよかったらご覧ください。

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韓国時代劇ドラマ

韓国時代劇ドラマをamebaブログから20話うつしました。2012年~2018年に書いた古い記事ですが、韓国時代劇ドラマ、朝鮮王朝の歴史に興味がある方はよかったらご覧ください。

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アントニオ・カルロス・ジョビン1950年代の作品を終えて ワルター・ワンダレイ「So Saudade」

 アントニオ・カルロス・ジョビン(Antonio Calros Jobim)1950年代の作品を紹介してきましたが、見直すと好みが出てしまい、シルビア・テリス(Syylvia Telles)やナラ・レオン(Nara Leao)など一部のアーティストに偏ってしまったかなと反省するところもあります。またボサノヴァのスタンダード・ナンバーになった曲、"メディテイション(Meditacao)"”デサフィナード(Desafinado)””ワン・ノート・サンバ(Samba De Uma Not So)”などはレコーディングの数が多く、UPできなかった演奏家や歌手も多くあります。

 1960年代の作品は、特にジョビンのアルバム「The Composer of~」(1963年)に収録されたナンバーはほとんどボサノヴァのスタンダードナンバーになり、ブラジルだけでなく米国でも多くの歌手や演奏家がレコーディングしています。

 これからはアントニオ・カルロス・ジョビンはしばらくお休みにして、私がボサノヴァの最重要アーティストと考える「ジョアン・ジルベト(Joao Gilbert)」、「ルイス・ボンファ(Luiz Bonfa)」、「ルイス・エサ(Luiz Eca)、タンバ・トリオ(Tamba Trio)」、「アストラッド・ジルベルト(Astrad Gilbert)」、「マルコス・ヴァーリ(Marcos Valle)」、「エウミール・デオダート(Eumir Deodato)」の作品を紹介していきたいと思っています。

 

 

 アントニオ・カルロス・ジョビンの作品”So Saudade”。ブラジル最高のオルガン奏者、ワルター・ワンダレイ(Walter Wanderley)のアルバム[Quarteto Bossamba」(1965年)からです。このアルバムではオルガンだけでなく、達者なピアノ演奏も披露しています。

 

 

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1959~60年の洋楽 ④ ブラウンズ「谷間に三つの鐘が鳴る」「スカーレット・リボン」

 

 米国のカントリー・フォーク・グループ、ブラウンズ(The Browns)の"谷間に三つの鐘が鳴る(Three Bells)"です。

 ブラウンズは兄のジム・エド・ブラウン(Jim Ed Brown)と姉のマキシ(Maxine)ンの二人で1954年にデビュー、初シングル"Looking Back To See"はカントリー・チャートで7位ランクにランクされました。

 1955年には妹のボニー(Bonnie)が加わり、コーラス・トリオ「ブラウンズ(The Browns)」として活躍、1959年7月にリリースした"谷間に三つの鐘が鳴る"がビルボード・ポップ・チャートで1位、ミリオン・セラーになりました。この年のグラミー賞では「レコード・オブ・ザ・イヤー」と「最優秀グループ・ヴォーカル賞」にノミネートされました。

 日本でもヒットし「洋楽ヒットチャート大事典」(八木誠著)では、1959年年間チャートで8位、1960年年間チャートで22位に選ばれています。

 

 

 

 ブラウンズの"谷間に三つの鐘が鳴る”に続いて、1959年後半にリリースされた"スカーレット・リボン(Scarlet Ribbons)"で、全米13位にランクされました。オリジナルは女性歌手ジョー・スタッフォード(Jo Stafford)で1949年にレコーディングされました。

 「洋楽ヒットチャート大事典」(八木誠著)では、1960年年間チャートで36位に選ばれています。

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1968年のポップス ㊴ スコット・ウォーカー「ジョアンナ」「暗くなるまで待って」

 

 ウォーカー・ブラザース(Walker Brothers)解散後、”いとしのマチルダ(Matilda)"、”ジャッキー(Jackie)”に次いで、英国でリリースされたスコット・ウォーカーのシングル”ジョアンナ(Joanna)”です。1968年4月にリリースされ、全英7位にランクされました。

 ヒット・メイカー、トニー・ハッチ(Tony Hatch)とジャッキー・トレント(Jackie Trent)の作品で、アルバムには収録されず、シングルのみのリリースです。英国では”ジョアンナ”のB面は"Always Coming Back To You"で、日本では英国で”ジャッキー”のB面だった”ザ・プレイグ (The Plague)です。

 日本でも”いとしのマチルダ(Matilda)"、”ジャッキー(Jackie)”に続く3枚目のシングルとして、6月にリリースされました。前2曲"と違い、ストリングスをバックに歌う、美しいメロディーのバラードで、ポップス・ファンにも人気があり、スコット・ウォーカーがソロになってからの作品では最もヒットしました。  

 文化放送「オールジャパンポップ20」では6月16日に17位で初登場、8月18日、25日、9月1日に1位、10月13日に11位にランクされました。TBS「今週のベスト10」では6月23日に17位で初登場、7月21日、8月11日、18日、25日、9月1日、8日に最高位2位、、10月6日に16位にランクされました。「洋楽ヒットチャート大事典」(八木誠著)では1968年年間チャートで9位に選ばれtています。

 

 

 

 スコット・ウォーカーの日本での”ジャッキー”のB面”暗くなるまで待って(Wait Umtil Dark)”です。オードリー・ヘップバーン主演の映画「暗くなるまで待って」のテーマ曲で、ヘンリーマンシーニの作品です。英国ではシングル・カットされず、1968年7月にリリースされたアルバム「Scott 2」に収録されています

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野草・薬草入門➂ ドクダミ

 

  

 四季の移ろいは巡りめき、あれよ、あれよと言う間に立秋も過ぎて処暑を迎えました。暑さが収まってくる時期です。吹く風も涼しくなってきましたが、気を抜けないのは人間の排出するエネルギーです。辛暑がまだまだ続きそうです。

 野草入門には春が一番です。それでも二十四節気(夏至、冬至、立春、立秋など)ごとに生え変わる野草たちを見ると、昔から歌や俳句などにも登場する存在感には圧倒されてしまいます。それぞれしっかりと芽生えてこれでもかと繁殖する生命力。

 六月の花は紫陽花(あじさい)、野草はドクダミが旺盛でした。七~八月の花は朝顔、向日葵(ひまわり)、野草はヤブガラシ、コヒルガオ、ツユクサ、スベリヒユなどなど。今最も勢いのある猫じゃらしことエノコログサ、メヒシバが穂を揺らし生えに生えています。食べられる野草は大賑わいですが、イネ科は厄介な雑草扱いです。それでも食用に出来なくても薬草としての効果はあるのです。

 

 野草入門編なのでわかりやすいドクダミを紹介します。夏も終わりに近づいているのに遅かりしですね。

 

 ドクダミを知っている人には宝物ですが、知らない人には嫌われる野草です。ドクダミ独特の匂いがなければその辺の雑草と同じなのに。しかもドクダミという名で毒を持つと思われがち、人々の好き嫌いが分かれる一番の野草でしょう。

 葉は心臓形、ハート形です。形だけとらえても愛おしい存在ですが。

 

 

 

  なぜドクダミは嫌な匂いを持っているのでしょうか。悪臭の成分はアルデヒドであり、ドクダミ本体は虫や病気に冒されることなく繁殖できています。存在自体が虫よけということです。

 ドクダミの名前は毒矯みで「毒を抑えるが」名前の由来で、乾燥品は生薬の十薬です。十の効能を持つ薬草、それがドクダミなのです。驚きますよね。悪臭を放つ繁殖力のある草が薬草とは。

(十の効能) アルデヒドは紫外線、加熱に弱く揮発する性質が強いので、ドクダミは新鮮な生に殺菌力があり、加熱して煎じると効果は半減する

①虫よけ

②消臭 トイレの消臭

➂殺菌

④解毒

⑤強い利尿作用

⑥弱い瀉下(えんげ)作用

⑦毛細血管を丈夫にする作用

⑧強心作用

⑨血管収縮作用⑩

⑩動脈硬化の予防作用

⑪35度以上の酒につけて抽出したチンキの虫さされ治療薬、グリセリンと精製水で割った化粧水、蜜蝋で固めたクリームは肌の保湿効果に優れている。

⑫薬用の他にどくだみ茶や食用、園芸用などに利用

(使用方法)

生葉を揉んで。乾燥させてお茶。酒漬け。

 

 副作用 

 ①高カリウム血症
 ②肝機能検査値(GOT、GPT)の上昇例
 ③フェオフォルバイドa(クロロフィル分解物)の光反応による肌荒れ(光線過敏症))
 ④妊婦の服用や過剰摂取、長期の連続使用は避けるべきとされます。

 

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ランバート・ヘンドリックス&ロス、ワーデル・グレイ「リトル・ポニー」

 

 ランバート・ヘンドリックス&ロス(Lambert Hendrcks&Ross)のアルバム「Sing a Song of Basie」から”リトル・ポニー(Little Ponny)”です。

 (ランバート・ヘンドリックス&ロスについては、前回”Twisted”の文章をそのまま掲載させていただきます)「ランバート・ヘンドリックス・アンド・ロス」は、女性ジャズ・ヴォーカリストのアニー・ロス(Annie Ross)と男性ジャズ・ヴォーカリストのデニス・ランバート(Dave Lambert)、ジョ・ンヘンドリックス(Jon Hendricks)スの3人で1957年に結成されたジャズ・コ-ラス・グループです。このグループはジャズの演奏をコーラスにアレンジし、ミュージシャンのアドリブ・ソロに歌詞を付けて歌うという独特のスタイルを創造しました。1957年のファースト・アルバム「Sing a Song of Basie」(ABC-Paramaunt)ではカウント・ベイシー(Count Basie)のスタンダード・ナンバーを歌い、成功を収めました。

 UPした”リトル・ポニー(Little Ponny)”は、ワーデル・グレイ(Wardell Gray)がソロをとるカウント・ベイシー楽団の1950年の録音をもとにしています。楽団の演奏は3人のコーラスで、ワーデル・グレイのテナーサックス・ソロは歌詞を付け、ジョン・ヘンドリックスが歌っています。

 

 

 

 ワーデル・グレイが参加したカウント・ベイシー楽団の1950年の録音から”リトル・ポニー”です。

 ワーデル・グレイ(1921~1955年)は1946年にカリフォルニアに定住、クラブでの演奏ではデクスター・ゴードンとのテナー・バトルが評判を呼び、後年にはレコード化されました。1947年から48年にはベニー・グッドマンのセクステットに参加、1948年後半から、1951年まで(一時的にベニー・グッドマン楽団に戻った時期を除き)カウント・ベイシーのグループ、楽団で演奏しました。またアル・ヘイグ(Al Haig)らとレコーディングをし、”Twisted”などの名演を残しました。

 ワーデル・グレイはジャズの歴史上、テナ・ーサックス奏者としてベスト3に入る名アドリブ・プレイヤーで、1950年代に夭逝したのが惜しまれます。ジョン・コルトレーンと比べるとアドリブ・プレイヤーとしては格上なので、健在であったなら1960年代のジャズも変わったのではと想像してしまいます。

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アントニオ・カルロス・ジョビン (63)「ワン・ノート・サンバ」ナラ・レオン、カテリーナ・ヴァレンテ

 

 

 ブラジルの女性歌手ナラ・レオンのアルバム「dez anos depois」(1971年)から”Samba de Uma Not So(One Note SAmba)”です。ナラ・レオンのギターのみの伴奏ですが、歌も声も素晴らしく、ナラ・レオンのアルバムの中で「dez anos depois」が最高だと思います。

 

 

 

 米国のフルート奏者ハービー・マンのアルバム「Do the Bossa Nova」(1962年)から、アントニオ・カルロス・ジョビンの歌で”Samba de Uma Not So(One Note Samba)”です。ジョビンはこのアルバムで初めて喉を披露しました。

 「Do the Bossa Nova」は1961年にブラジルを初訪問したハービー・マンが、翌年再訪してブラジルのミュージシャンとレコーディングしたアルバムです。ドゥルバル・フェレイラ、バーデン・パウエル、セルジオメンデスなどが参加しています。

 アントニオ・カルロス・ジョビンは他にアルバム「The Composer of」(1963年)「Terra Brasils」(1980年)「Inedito」(1987年私家録音,1995年発売)「Em Minas Ao Vivo - Piano e Voz」(2001年)で”Samba de Uma Not So(One Note Samba)”を録音しています。

 

 

 

 ”ワン・ノート・サンバ”の番外編と言うべき、女性歌手カテリーナ・ヴァレンテ(Caterina Valente)とディーン・マーティン(Dean Martin)の掛け合いで”ワン・ノート・サンバ(One Note Samba)”です。

 カテリーナ・ヴァレンテは1953年に歌手デビュー、英語・ドイツ語・フランス語・イタリア語・スペイン語などをマスターし、国際的に活躍した歌手です。1963年にはポルトガル語でルイス・ボンファの作品集をレコーディングしています。米国でも人気があり、1960年代にはテレビの「ペリー・コモ・ショー」「エド・サリヴァン・ショー」にも出演しました。

 UPしたのは「ディーン・マーティン・ショー」からです。達者なギターで”ワン・ノート・サンバ”を歌いながら、ディーン・マーティンにボサノヴァとはどういうものかと教え、ディーン・マーティンは”バー”と言うだけでボサノヴァになってしまうというのが可笑しいです。最後にカテリーナ・ヴァレンテがスキャットでシナトラの”夜のストレンジャー”を歌うのもご愛敬です。

 

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1968年のポップス ㊳ ママス・アンド・パパス、キャス・エリオット「私の小さい夢(Dream a Little Dream Me)」

 

 

 ママス・アンド・パパス(Mamas & Papas)の”私の小さい夢(Dream a Little Dream of You”(日本ビクター1835)です。1931年に作曲されたスタンダード・ナンバーでルイ・アームストロング、エラ・フィッツジェラルド、ナット・キング・コールなど多くの歌手、演奏家にカヴァーされています。

 ママス・アンド・パパスはジョン・フィリップス(John Philips)、ミシェル・フィリップス(Michelle Phillips)、デニー・ドハーティー(Denny Doherty)、キャス・エリオット(Cass Elliot)の男性2人、女性2人のフォーク・ロックのコーラス・グループです。1965年に結成され、”夢のカリフォルニア(California Dreaming)””マンデー・マンデー(Monday Monday)”"アイ・ソー・ハー・アゲイン(I saw Her Again)"などのヒットを放ちましたが、1968年に解散し、各メンバーはそれぞれ個人的な活動を始めました。

 ”私の小さい夢(Dream a Little Dream of Me)”は1968年6月に米国でリリースされ最高位10位、オーストラリアでは1位になりました。日本ではママス・アンド・パパスは”夢のカリフォルニア”のイメージが強く、キャス・エリオットがソロで歌うためかヒットしませんでしたが、個人的にはとても好きな曲です。キャス・エリオットは綺麗な声をしていますねぇ。

 

 

 

 ママス・アンド・パパス解散後、キャス・エリオットはソロ・アルバム「Dream A Little」を1968年10月にリリースしました。UPしたのはソロ・アルバムから”Dream a Little Dream of Me”です。 

 プロデュースはジョン・サイモン(John Simon)で、タイトル曲以外はジョン・セバスチャン、ジョン・ハートフォード、レナード・コーエンなどのロック・フォ-ク系の人達の作品を取り上げています。コンセプト・アルバムになっていて、”Dream A Little Dream Of Me”でも始めと終わりに効果音が入っています。

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