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韓国ドラマ 「幸せは我々の胸に」 ①

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[다시보기] 행복은 우리 가슴에 2회

[다시보기] 행복은 우리 가슴에 2회

SBS 온에어/VOD/클립영상 즐기기!

SBS

 

1話はちょっと重いので2話をUPしました。

SBSのサイトに「幸せは我々の胸に」が1話から最終回までありました。ドラマまではCMが4~5回流れますが諦めずに待って見てください。天の声というナレーションでドラマが進んでいきます。

 

    「幸せは我々の胸に」
 
    1997年 SBS 全78話
    演出 キム・スリョン
    脚本 ソ・ヨンミョン
 
 四つの家族の話で、家族のために働く4人の父親が主人公です。リュ・シゥオンとチェ・ジウの初共演のドラマとして扱われていますが、4つの家族の登場人物の中の一人です。二人のラブロマンスを期待して観るとがっかりするでしょう。でも4家族の話が面白いので最後まで飽きずに楽しく観られます。
 4人の中年男性を中心に、その家族に起こるさまざまな出来事が寓話的に描かれる、ほのぼのとした楽しいドラマです。リストラ、会社倒産、失踪、借金取り、親子の葛藤、ボケなど大変な出来事が次々におきますが、悲惨に描かれていなくて、その渦中にいてもどこか他人事のようにのんびりとしているのです。
 ”変なドラマ”と書いている人がいますが、たしかに一風変わったドラマでした。この変なドラマを面白くさせたのは、素晴らしい脚本とユーモラスな演出、そして配役です。
 
 『苦楽を共に生きてきた幼馴染の4人の父親たち』
 
 両親を亡くして祖母と二人で貧しい環境で育ち、自分の努力で出世したエリートのハン・ジニ。
 お坊ちゃんでのんびりとした性格で育ち、リストラされても悲壮感がなく、息子と遊んでいるのが楽しいナム・ソンフン。
 会社勤めをせず、肉屋の自営業をし、妻と妻の母親、大学生で優秀できれいな娘と仲良く暮らすヒョン・ソク。 
 赤ん坊の弟を餓死させるほどの貧しい境遇で、母の期待を一心に受け大学へ行き、会社勤めをしたがリストラされて失踪、妹夫婦からお金を借りて副社長として建設会社に勤務するも会社が倒産し、皆に合わせる顔がなく自由になりたいといって、まともや失踪するイ・ヨンハ。
 
 失踪するイ・ヨンハの家族が、おとなしい妻のイ・ギョンジン。留学に憧れる一人娘。息子への期待が異常に大きい母親パン・ヒョジョン。ぶらぶら失業中で、夢ばかり語っている弟ホン・ハクピョ。妹で放送作家の自立した女性ヤン・ミギョン。その夫は詩人で専業主夫のソン・スンファン。
 肉屋のヒョン・ソクの家族、太った妻ヤン・ヒギョン。妻の母親で明るいキム・ヨンオク。彩色兼備な一人娘チェ・ジウ。
 エリートのハン・ジニの家族、お金持ち出身の妻キム・ジャオク。出来が良くない一人息子のリュ・シウォン。
 失業中のナム・ソンフンの家族は専業主婦のイ・ドッキ、高校生の娘イ・ヘリョン、パパが大好きな小学生の息子チェ・ウヒョク。
 
 この四家族がまきおこす韓国ホームドラマの傑作です。
 
 採点8.5点
 
 
 
   ハン・ジニ  ナム・ソンフン ヒョン・ソク  イ・ヨンハ
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キム ボムリョン 「僕の願い」 MV

 キムボムリョンの”僕の願い”がバックで流れているこの画像は、ハンジェソクの映画なのでしょうか。チャールズブロンソン主演映画「ストリートファイター」(1975年)のリングで戦う殴り屋をテーマにしたような映画ですね。
 ドラマではあまり目にしないハンジェソクの強面ぶりが、ちょっと意外な感じがします。
 芸能ニュースでハンジェソクとパクソルミの結婚の様子を見ました。二人いつまでも別れないでほしいと思います。ニュースを見ていて「パクヨンハは友達のパクソルミの結婚を心から祝福したでしょうに」と淋しい気持ちにもなりました。
 
 
 
 2019年「開かれた音楽会」から
 
 
 「僕の願い」
 
 悔いのない生き様だと もっとがんばれると 
 世間に向かって叫ぶが 返ってくるのはコダマだけ
 受身の人生よりも 成したいことがあるから
 沈黙の中で 小さな夢を育てながら 自分を信じた
* 月日が経って 小さなことさえ 自分の力でできない時
 その時 人生とはこんなものだと言えるだろうか
 ヤヤヤ 今日が終わる ヤヤヤ 明日が来る
 ヤヤヤ 叶うなら自分だけの香りを残したい *
 
 凍りついた過ぎた時間 逃げ出したかったから
 誰よりも先に起きて 太陽の前で誓った
*~*
 いつかは行くべき墓に向かって 
 世間は冷たいと言いたくなかった
 ヤヤヤ 落ち葉の秋が終わる ヤヤヤ 花咲く春がまた来る
 ヤヤヤ 人生の願いは 自分だけの香りを残したい
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韓国ドラマ「グロリア」 ② イ チョニ&ソ イヒョン

 
 いきなり悪役のイジョンウォンの顔のUPから始まるこの画像。
 どうでしょう?この画像から”切ない恋”の雰囲気が伝わるでしょうか。あまり伝わらないかもしれませんね。ドラマでは二人の”禁じられた身分違いの恋”がとっても切なく展開されていくのです。
 ソイヒョンは美しいけれど儚くてどこか影のある女性です。財閥の愛人の娘として生まれ、親のために政略結婚する運命に絶望し、自殺を何度も図ろうとします。
 イチョニは夢や希望もなく、ナイトクラブの用心棒として喧嘩に明け暮れる毎日を送っています。
 夜景のきれいな高台から飛び降りそうなソイヒョンに、あぶない雰囲気を感じ、声をかけるイチョニですが、美しい彼女は何も言わずに去っていきます。
 その夜ソイヒョンが自殺未遂で病院へ運ばれてきます。彼女の腕から真珠のブレスレットがばらばらに落ちます。助かったソイヒョンは病院の屋上からまた、飛び降りようとするところを、イチョニに助けられます。ばらばらになった真珠のブレスレットを彼女に渡します。それが二人の出会いです。
 ソイヒョンはイチョニを求め、イチョニはお嬢様の彼女に戸惑いながらも、美しくて悲しい彼女をサポートしてしていきます。
 画像の1分11秒で車を飛び越えてソイヒョンに駆け寄るシーン、戸惑いの愛が確実になって温かい愛を育み優しく抱擁するシーン、ペドゥナとソジソクが見守る結婚式のシーン、4人で楽しく遊ぶシーンは良かったのですが、イチョニがイジョンウォンに雇われたやくざに殴られる暴力シーンが結構あったのは良くなかったです。
 後半になると邪魔ばかりされた辛い恋に明るい未来が見えてきます。イチョニがチンピラじゃなく頼れる男になって活躍するので、二人の恋の行方も気持ちの良い結末になります。
 
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韓国ドラマ「グロリア」

 
  田代さんの解説では主人公のペドゥナとソジソクの恋愛模様のほうが中心のようですが、もう一つのサブストリー、イチョニとソイヒョンのラブストリーの方が素敵です。大げさかもしれませんが「冬のソナタ」のペヨンジュンとチェジウ、「秋の童話」ソンスンホンとソンヘギョ、「彼女の家」のイソジンとキムヒョンジュの恋愛と同じくらい”切な恋”を展開します。久しぶりに感じる胸キュンラブストリーで私はこの二人の出会いや恋の行方が大好きです。一人でもたくましく生きていけるペドゥナと屈折しているソジソクの恋愛は全然ときめきませんでした。
 前半はナイトクラブが中心です。心に傷を持つ財閥の息子ソジソクと娘ソイヒョンが、貧しいけれど頑張りやのペドゥナとクラブの用心棒イチョニに絡んで恋愛に発展し、後半は歌手になったペドゥナと障害が治った姉の復讐劇が小気味よく展開されて行きます。
 ナイトクラブで働く人たちとペドゥナ姉妹がキムヨンオクの長屋に住んでいて、何気ない日常会話のわきあいあい感が面白いです。
 歌手だった姉が事故で障害者になり両親も失い、10歳の子どもの頃から生きていくために相当苦労してきたペドゥナ。
 歌うことを憎んでいたペドゥナがクラブ歌手のピンチヒッターで舞台で歌うことになるシーンで”あれ?あれ?”という周りの人たちの表情がとても軽快で楽しかったです。だんだんステージも”グロリア”の主題歌とともに盛り上がって行きます。ヤンヒウンの”セノヤ”をペドゥナが歌うシーンは幼いころの思い出が走馬灯のように流れ感動的でした。イメージ 7
 このドラマではキムヨンオクが元気で生き生きとしています。ベテランの重鎮女優で気難しい役柄が多いのですが、私は明るいキムヨンオクが大好きです。。
 悪役のイジョンウォン。”葛藤”の代名詞を称する俳優ですが貫禄つきすぎて、以前のように切れがなくなってしまったような気がしますが、年を重ねているので仕方ないのかもしれません。父親にも愛されない憎まれ役のイジョンウォンはピッタリでした。
 障害者の姉役オヒョンギョンにはびっくりしました。KBSドラマ「遥か遠い国」のもう一人のヒロインで雰囲気が全く違います。歳月の流れを感じました。障害者をかわいく演じていました。それでも障害が治ったらきりっとした演技をしていて「遥か遠い国」に通じるものがありました。オヒョンギョンにはこれからも頑張ってほしいです。
 
 採点6点
 
 
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1967年のポップス③ シーカーズ 「ジョージーガール」 SEEKERS "GEORGY GIRL"

 
 
 口笛から始まるイントロで惹きつけられてしまう、軽快で爽やかなポップスの名曲、シーカーズの”ジョージー・ガール”は1967年の初めに、全米で2位,全英で3位のヒットを記録し、日本でもポップスチャートで1位になりました。
 1966年のイギリス映画「ジョージー・ガール」のテーマ曲です。映画の主人公ジョージー(リン・レッドグレーヴ、名女優ヴァネッサ・レッドグレーヴの妹)は美人とはいえない22歳の女性。実家を出て、美人だが冷たいメレディス(シャーロット・ランプリング)とアパーで同居しています。ジョージーの両親が召使として働いている家の、実業家ジェイムス(ジェイムス・メイスン)は、ジョージーの人柄の良さ、暖かさに気がついています。白黒の地味な映画で、映画はヒットしませんでしたが、テーマ曲は世界中で聴かれるエヴァーグリーンとなりました。
 シーカーズは1962年にオーストラリアで結成。1964年に渡英し、ダスティー・スプリングフィールドの弟、トム・スプリングフィールドのプロデュースで、数多くのヒット曲をリリースしました。"I'll Never Find Another You"(恋はたった一つ”」(1964年)”The Carnival Is Over(涙のカーニヴァル)”(1965年)”MorningTown Ride(朝の街に陽が昇る)”(1966年)など。
 1968年に解散し、最後の演奏は「Farewell Concert」としてレコード化されました。You Tubeで「Farewell Concert」を観る事ができます。   (Kann Dorao)
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1967年のポップス② フランク&ナンシー シナトラ 「恋の一言」 FRANK & NANCY SINATRA "SOMETING STUPID"

 
 
 1967年のポップスで、アンディー・ウィリアムスの”恋はリズムに乗せて”に並ぶ名曲、ナンシー・シナトラとフランク・シナトラの父娘デュオの”恋の一言”です。。アメリカではヒット・チャートの1位になりました。
 文化放送「オールジャパンポップ20」では、5月4日に20位で初登場、6月22日に最高位4位、7月13日まで20位以内にランクされました。TBS今週のベスト10では11月13日に21位で初登場、1967年1月29日に最高位8位、4月2日に15位までランクされました
. 「洋楽ヒットチャート大事典(八木誠著)」では、「1967年年間ベスト100」で7位に選ばれています。    (Kann Dorao)
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ヤン・ ヒウン 「叶わぬ愛」

 
 
 ヤン・ヒウンの70年代の姿が映っているこの画像。母校の京畿女子高校なのでしょうか。デビューの頃のヤン・ヒウンはとっても可愛い。こんなにはつらつとして、青春の香りのする女の子に、大きな試練が降りかかるとは。
 
この画像は消されて歌だけになっています。
 
ヤン・ヒウンは韓国の厳しい歴史の中、自らの人生を生き抜いてきたのですね。年を重ね今やどっしりと構えた頼りがいのある素晴らしい歌手です。
 ヤン・ヒウンの物語は1970~1990年代の韓国の歴史でもあります。韓国ドラマに描かれる70~80年代は自由に歌うことや、学ぶことを否定した時代でもありました。ヤン・ヒウンの歌だけでも、発売禁止になった曲は30曲もあるそうです。この”叶わぬ愛”も発売禁止になった曲です。
 ヤン・ヒウンの物語を掲載しているブログhttp://blog.goo.ne.jp/dalpaengi/e/724e1b0fc5c600d5e71ee0f11223101e には当時の様子が載っています。その中にある「ヤン・ヒウンの若い頃の事典」(日本語訳)をクリックすると、ヤン・ヒウンのインタビュー記事がかなり詳しく書かれています。直訳なので分かりにくいと思いますが。
 日本人はもちろん、韓国の若い人でさえ”こんな理由で発売禁止になるの?”と、今では笑い話になるような出来事です。でも当時は些細なことでさえ、逮捕されて取り調べ、拷問を受けるなど息も詰まる世の中だったのです。KBSTVのドキュメンタリーをみると、30~40数年たっているのに、今でも拷問の後遺症に苦しむ方がいると放送されていました。
 
   「叶わぬ愛」
 
 君の沈黙に乾いた私の唇
 冷たい君の視線に凍りついた私の足跡
 背を向ける私に
 愛してるという言葉の代わりに
 サヨナラサヨナラ
 喉に詰まったその一言
 叶わぬ愛だったのだから
 夜を明かして白い道を私一人で歩いた
 柔らかな君の姿は今どこへ
 小雨よ私の顔を強く叩いてくれ
 砕ける波が飲み込んでしまったその一言
 本当に本当に君を愛していたと
 叶わぬ愛だったのだから
 
 
 
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1967年のポップス① アンディー ウィリアムス 「恋はリズムに乗せて」 ANDY WILLIAMS "MUSIC TO WATCH GIRLS GO BY"

 
 
 
 アメリカのポップスは、1960年代に大きく変化していきました。ビルボードの「年間ベスト100」を見るとその変わり方が良く分かり、年毎にボビー・ヴィントンなどのオールディーズ系のポップスや、パティー・ペイジなどのポピュラーヴォーカル、イージーリスニングが減っていき、1964年のビートルズらのブリティシュインヴェンションによって、ビート系のバンドが台頭していきました。
 黒人音楽もそれまでのドゥワップから、モータウンやメンフィスサウンドなどのR&B・SOULに変わっていきました。
 またヘンリー・マンシーニ、ラロ・シフリン、ジョニー・マンデルらが、映画音楽にジャズやボサノヴァノのイディオムを取り入れて、リズムとアレンジの多様化が進み、ポップスも1966年にはアソシエイションの”チェリシュ”が大ヒットし、高度なアレンジとコーラスハーモニーを持ったソフトロックと呼ばれる音楽が誕生しました。
 そして1960年代後半にはジミー・ヘンドリックス、グレイトフル・デッドなどのロックが人気を得ていき、ポップスからロックの時代へと大きく転換していきます。
 プロの作曲家、作詞家、編曲家が集まって創るポップスから、自作自演を基本とするロックへの大きな変化で、それは1960年代半ばからの、高度なアレンジとコーラスハーモニーを持ったポップスの終焉でもありました。
 アメリカの音楽がロックが主流になる前の、”1967年”はポップスが最も豊かなメロディーとアレンジとハーモニーを持っていた時代だったと思っています。
 
 アンディー・ウィリアムスの”恋はリズムに乗せて”は、1967年の春のヒット曲です。1966年にボブ・クリューのインストゥメンタル・ヴァージォンが、ペプシコーラのCMに使われアメリカでヒットし、翌年アンディー・ウィリアムスの歌でカヴァーされました。
 文化放送「オールジャパンポップ20」では、4月27日に20位で初登場、6月1日から15日まで1位、7月27日まで20位以内にランクされました。TBS「今週のベスト10」では5月7日に15位で初登場、1967年6月4日と,6月25日に最高位1位、8月6日に17位にランクされました
「洋楽ヒットチャート大事典(八木誠著)」では、「1967年年間ベスト100」で16位に選ばれています。 
     (Kann Dorao)                                   
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ヤン・ ヒウン 「セノヤ」

   
 ”セノヤ”を初めて聴いたのは韓国ドラマ「グロリア」です。歌を嫌っていたペドゥナがクラブ歌手のピンチヒッターで舞台に立ちました。歌手の才能に目覚め、自らも歌手を夢見つつ、誰もいない舞台で”セノヤ”をアカペラで歌うシーンがありました。ペドゥナの子供の頃の悲しい回想シーンも流れ、とても印象深くていい歌だと心に残っていました。
 
 ”セノヤ”はヤン・ヒウンの歌だったのですね。ヤン・ヒウン第1集「弧雲歌集」に収録されている曲です。1970年に詩人コウンの詩、キムガンヒ作曲です。
 この頃のヤン・ヒウンの声は凛として清潔感があって、暖かく力強ささえ感じます。
 
        「セノヤ」
 セノヤ セノヤ 山と海に 私たちは暮らして 山と海に私たちは戻る
 セノヤ セノヤ うれしいことなら あの山に捧げて 
           悲しいことなら あの人にあげて
 セノヤ セノヤ うれしいことなら 海に捧げて
           悲しいことなら 私がもらうわ
 セノヤ セノヤ 山と海に 私たちは暮らして 山と海に私たちは戻る
 
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キム・ テゴン 「望夫石、松鶴寺」

 

 

 

 フュージョン国楽を聴かせてくれるキムテゴン。韓国の楽器をいろいろ使ってステージを楽しませてくれます。太鼓、鼓太鼓のチャンゴ、鐘のケンガリを打ち鳴らすと踊り出したくなります。
 キムテゴンを調べましたがあまり情報がなくて、トロットの歌手たちと一緒にKBS歌謡舞台出演の3枚組みのDVDがありました。元々はトロットの歌手なのでしょうか。YouTubeに”松鶴寺”のギター伴奏の歌もUPされています。それを聴くとトロットというより悠々とした歌謡曲、フォークの味わいがあります。
 ”望夫石””松鶴寺”は1977年の歌で、作詞作曲ともにキムテゴンです。1970年代のシンガーソングライターなのですね。
 衣装や演奏も国楽風にアレンジしていてとても楽しいです。舞台が華やかになりますし、キムテゴン自身も中国の二胡のようなヘグムや横笛などを演奏するので、国内だけではなく外国でも受けるのではないでしょうか。
 「コンサート7080」でキムテゴンの賑やかなステージを観て、おもわず”素晴らしい!”と拍手したのを覚えています。
 2曲目の”松鶴寺”の遥かなる山々の麓にたたずむ寺の自然を歌っている悠々としたメロディが大好きです。
 1曲目が終わった後キムテゴンは「音楽は長寿と健康をくれます。皆さんも今気持いいでしょう?私たちは心の中にそれぞれ自分だけの鳥を持っています。”青い鳥”という鳥を持っています。自由と幸せを求めて飛ぶ、それぞれの”青い鳥”です。その鳥の声とともに皆さまのさらなる幸せを願って」
 キムテゴンのソウルの標準語ではなく地方訛りの話し方に愛着を感じます。
   
   「望夫石」
 
 昨晩鳴いていたツバメ 夜明け探してみると 軒の下には空っぽの巣
 数万里遠い道のり また来いと探しに行くが 空の上で見え隠れ
 エヘヤ羽ばたけよ ヘヤ夢よ 恋しき人がいる あの場所へ
 青い空も雲も ふわふわ流れ行く 高いあの山の 向こうへと
 私の夢も流れ行け ふんわりと流れ行け 寝ても覚めても恋しい あの人へと
 月の下雲も ふわふわ流れ行く あの山の向こうへと
 
   「松鶴寺」
 
 山の麓を折れると 松鶴寺が佇む 何をそんなに 深山を彷徨う
 虫の声響く谷間 星明りが優しく降り注ぐ
 恋しい想い あの人へと 早くお行きなさい 
 
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