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1967年のポップス ㊼ クリフ・リチャード「太陽をつかもう」「マリーは恋人」

 

 

  クリフ・リチャード(Cliff Richard)の日本で1967年4月に発売された”太陽をつかもう(Finders Keepers)”(東芝OR-1688)です。クリフ・リチャードとシャドウズ(The Shadows)主演の映画「太陽をつかもう(Finders Keepers)」の主題歌で、英国では1966年12月に"イン・ザ・カントリー(In the Country)"のB面としてリリースされました。サウンド・トラック・アルバム「Finders Keepers」は英国では6位にランクされ、18週間チャート・インしました。映画は英国では1966年12月に、日本では1967年7月に公開されました。

 文化放送「オール・ジャパン・ポップ20」では5月4日に15位で初登場、6月22日、29日、7月9日、16日に1位、8月20日に13位までランクされました。TBS「今週のベスト10」では4月30日に18位で初登場、6月11日、18日に1位、8月27日に18位までランクされました。「洋楽ヒットチャート大事典」では1967年年間チャートで12位に選ばれています。 

 1968年には"コングラッチュレイションズ(Congratulations)”の大ヒットもあり、1967~68年はクリフ・リチャードがポップス・シンガーとして日本で一番人気のあった頃だと思います。

 

 

 

 

 クリフ・リチャードの「マリーは恋人(The Day I Met Mariie」(東芝OR-1804)です。英国では1967年8月にリリースされ、10位にランクされました..

  TBS「今週のベスト10では1967年11月12日に18位で初登場、11月17日に最高位4位、1968年1月21日に15位にランクされました。文化放送「オール・ジャパン・ポップ20」では11月19日に19位で初登場、12月10日に最高位9位、12月17日15位までランクされました。「洋楽ヒットチャート大事典」では1967年年間チャートで40位に選ばれています。 

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1967年のポップス ㊻「サニー(サニーは恋人)」ボビー・ヘブ、シェール

 

 

 ボビー・ヘブ(Bobby Hebb)の”サニー(Sunny)”です。ボビー・ヘブはナッシュビルに生まれ、幼い頃からカントリー音楽に魅せられ、12歳の時に「グランド・オープリー」に出場、1960年にはレコード・デビューし、3枚のシングルをリリースしましたが失敗。1966年にフィリップス・レコードより”サニー”で再デビューし、成功を収めました。”サニー”は米国では1966年2月にリリース、最高位2位にランクされました。

 日本では文化放送「9500万人のポピュラーリクエスト」で1966年12月に”サニー(サニーは恋人)”のタイトルで、ボビー・ヘブと米国の女性歌手シェール(Cher)のシングルが16位で初登場、1967年2月9日、16日に最高位3位、3月16日に14位までランクされました。文化放送「ユア・ヒット・パレード」では1967年1月2日にシェールの歌”でサニーは恋人”が19位で初登場、1月16日、23日に16位までランクされました。

 「八木誠の洋楽ヒットチャート大事典」ではロング・ヒットになったためか、1968年年間チャートで18位に選ばれています。

 

 

 

 シェール(Cher)の”サニー(サニーは恋人)”です。アルバム「Cher」(1966年)に収録され米国ではシングル・カットされず、ヨーロッパとアジアでシングルが1966年にリリースされ、オランダ、ノルウェーで1位にランクされるヒットになりました。

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1967年のポップス ㊺トレメローズ「サイレンス・イズ・ゴールデン」フォーシーズンズ(1964年)

 

 

 英国のポップ・ロック・グループ、トレメローズTremeloes)の”サイレンス・イズ・ゴールデン(Silence Is Golden)”です。

 トレメローズはブライアン・プール(Brian Pool)をリーダーに1958年に結成され、1963年に”ドゥー・ユー・ラブ・ミー(Do You Love Me)”が全英1位、その後も”Someon Someone”(1964年)が全英2位、”Here Comes Baby”(1967年)が全英4位にランクされました。

 1966年にブライアン・プールがグループを辞め、トレメローズは4人組として再結成されました。1967年にリリースされた”サイレンス・イズ・ゴールデン”が5月に全英1位にランク、英国だけでなく、米国では11位、ヨーロッパやオーストラリア、日本などでもヒットし、ゴールド・ディスクに輝きました。メロディーだけでなく、ソフトで綺麗なコーラスが印象的です。

 TBS「今週のベスト10」では1967年9月24日に18位で初登場、11月19日に最高位5位、12月3日に12位までランクされました。文化放送「ユア・ヒット・パレード」では10月2日に19位で初登場、11月6日に最高位5位、12月18日18位までランクされました。「八木誠の洋楽ヒットチャート大事典」では1967年年間チャートで32位に選ばれています。

 

 

 

 ”サイレンス・イズ・ゴールデン(Silence Is Golden)”はフォー・シーズンズ(Four Seasons)がオリジナルで、1964年に”悲しきラグ・ドール(Rag Doll)”のB面としてリリースされました。ボブ・クリュー(Bob Crew)とボブ・ゴーディオ(Bob Gaudio)の作品です。

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1967年のポップス ㊹ ナンシー・シナトラ「シュガータウンは恋の街」「サマー・ワイン」

 

 

 ナンシー・シナトラの”シュガータウンは恋の街(Suger Town”(ビクターJET-1737)です。リー・ヘイゼルウッド(Lee Hazelwood)の作詞作曲、プロデュースで、ナンシー・シナトラにとって初めてのリー・ヘイゼルウッドの作品です。米国では1966年10月にリリース、1966年12月に最高位5位にランクされゴールド・ディスクに輝きました。米国でのB面は日本で大ヒットした”サマー・ワイン(Summer Wine)"で、日本でのB面は"悲惨な戦争(Cruel War)"でした。

 文化放送「9500万人のポピュラーリクエスト」では1967年2月9日に18位で初登場、3月30日に最高位2位、4月27日11位までランクされました。TBS「今週のベスト10」では2月17日に17位で初登場 4月2日に3位、6月18日に19位までランクされました。「八木誠の洋楽ヒットチャート大事典」では1967年年間チャートで5位に選ばれています。

 

 

 

 ナンシー・シナトラとリー・ヘイゼルウッドの”サマ・ーワイン(Summer Wine)”(ビクターJET-1781))です。リー・ヘイゼルウッドの作品で、米国では”シュガータウンは恋の街(Suger Town”のB面でリリースされ、1967年4月に最高位49位にランクされました。

 日本ではA面で1967年7月に発売され、洋楽ファンでなくても知っている大ヒットになりました。TBS「今週のベスト10」では8月6日に18位で初登場、11月12日、26日、12月10日、17日、,24日に1位、1968年2月25日に18位までランクされるロング・セラーになりました。「八木誠の洋楽ヒットチャート大事典」では1967年年間チャートで2位、1968年年間チャートで38位に選ばれています。

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1967年のポップス ㊸ ピーター・ポール・アンド・マリー「ロック天国」

 

 

 ピーター・ポール・アンド・マリー( Peter, Paul and Mary)の「ロック天国(I Dig Rock and Roll Music)」です。米国ではヒッピーやロックの時代になってきた1967年8月にリリースされ、最高位9位にランクされました。Ⅰ番の歌詞ではママス・アンド・パパス(Mamas  & Papas)、2番の歌詞ではドノヴァン(Donovan)、3番の歌詞ではビートルズ(Beatles)を風刺して、サウンドもそれぞれのアーティスト風なアレンジをしています。

 文化放送「オ-ル・ジャパ・ンポップ20」では10月16日に17位で初登場、12月3日、10日に1位、1968年2月11日18位までランクされました。TBS「今週のベスト10」では10月1日に19位で初登場、12月3日に1位、1968年2月11日18位までランクされました。日本では2つの音楽番組で1位になり、米国以上のヒットになりました。「八木誠の洋楽ヒットチャート大事典」では1967年年間チャートで14位、1968年年間チャートで47位に選ばれています。

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1967年のポップス ㊷スパンキー・アンド・アワ・ギャング「Makong Every Minute Count」「青空は恋の色(レイジー・デイ)」

 

 

 米国のポップ・グループ「スパンキー・アンド・アワ・ギャング(Spanky and Our Gang)」の"想いでの日曜日(Sunday Will Never Be the Same"""に続く、米国での3枚目のシングル"幸せを数えようよ(Making Every Minute Count)"です。1967年にリリースされ、最高位23位にランクされました。ファースト・アルバムの「Spanky and Our Gang」(1967年)に収録されています。スパンキー・アンド・アワ・ギャングは日本では一部の熱心なポップス・ファンにだけ支持されたので、シングル盤は発売されませんでした。

 スパンキー・アンド・アワ・ギャングは女性リード・ヴォーカル、エレイン・マクファーレン(Elaine "Spanky" McFaren )と男性5人(4人の時もあります)で1966年に結成され。スパンキーの明るいヴォーカルと男性5人の精緻なコーラス・ハーモニーが特徴の、ソフト・ロック(米国ではサンシャイン・ポップス)のグループです。

 

 

 

 スパンキー・アンド・アワ・ギャングの米国での4枚目のシングル"青空は恋の色(Lazy Day)"です。米国では14位、カナダでは1位にランクされるヒットになりました。ファースト・アルバムの「Spanky and Our Gang」(1967年)に収録されています。日本ではシングル盤は発売されませんでした。

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1967年のポップス㊶「デイ・ドリーム・ビリーバー」「カドリー・トイ」

 

 

 永遠のポップス名曲、モンキーズ(Monkees)の"デイドリーム・ビリーバー(Daydream Believer)"です。キングストン・トリオ(Kingston Trio)の元メンバーでシンガー・ソング・ライターのジョン・スチュアート(John Stewart)の作品で、アレンジはジャズ・トランペット奏者ショーティー・ロジャース(Shoty Rogers)です。米国では1967年10月にリリースされ、全米1位にランクされました。1968年にリリースされたアルバム「The Birds,the Bees & the Monkees」に収録されています。1980年には日本でコダックのテレビCMに"デイドリーム・ビリーバー"が使われ、TBSで「モンキーズ・ショー」が再放送され、10代の女性を中心にリヴァイバル・ブームが起きました。

 UPしたのは「The oficial Music  Video」からです。ヴォーカルのデイビー・ジョーンズ(Davy Jones)を中心にピーター・トーク(Peter Tork)、マイク・ネスミス(Michael Nesith)、ミッキー・ドレンツ(Micky Dolentz)がギター、ピアノなどを楽しそうに演奏している映像を観ると、曲の良さも加わり幸福な気持ちになります。1967年後半からロックの時代になり、モンキーズのようなアイドル・ポップ・グループは過小評価されましたが、50年以上経っても"デイドリーム・ビリーバー"はポップスの名曲として多くの人に愛されています。

 TBS「今週のベスト10」では1967年12月10日に19位で初登場、1968年1月21日、28日、2月4日、11日に最高位3位にランク、3月10日13位までランクされました。文化放送「オール・ジャパン・ポップ20」では1967年12月17日に19位で初登場、1968年1月21日、28位、2月4日に最高位2位、3月3日16位までランクされました。「八木誠の洋楽ヒットチャート大事典」では1967年74位、1968年32位に選ばれています。

 

 

 

 モンキーズの"カドリー・トイ(Cuddly Toy)"です。デイビー・ジョーンズのヴォーカルで、1967年10月にリリースされたアルバ「Pisces,Aquarius,Capricorn & Jones Ltd」に収録されています。ハリー・ニルソン(Harry NIlsson)の作品で、デビュー・アルバム「Pandemonium Shadow Show」(1967年)でニルソン自身歌っています。初期ニルソンのノスタルジック・ポップ路線のナンバーです。

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1967年のポップス ㊵ モンキーズ「アイム・ア・ビリーバー」「When Love Comes Knockin' (At Your Door)」

 

 

 モンキーズ(Monkees)の2枚目のシングル、"アイム・ア・ビリーバー(I'm A Believer)"です。ニール・ダイアモンド(Neil Diamond)の作品で、プロデユースはジェフ・バリー(Jeff Barry)、リード・ヴォーカルはミッキー・ドレンツです。

 1966年10月にリリースされ、米国・英国・カナダ・ドイつ・オーストラリアなど世界の多くの国で1位にランクされる大ヒットになりました。1967年1月にリリースされたセカンド・アルバム「More of Monkees」に収録されています。

 .日本ではTBS「今週のベスト10」では1967年1月29日に17位で初登場、3月19日に5位にランクされました。文化放送「9500万人のポピュラーリクエスト」では2月2日に21位で初登場、3月2日に最高位3位、4月6日14位までランクされました。「八木誠の洋楽ヒットチャート大事典」では、1967年年間チャートで36位に選ばれています。   

 

 

 

 モンキーズのアルバム「More of Monkees」から、"When Loves Comes Knokin'(At Your Door)です。ニール・セダカ(Neil Sedaka)とキョロル・ベイヤー・セイガー(Carol Bayer SAger)の作品です。ニール・セダカらしいロマンティックな温かいメロディーで、デイビー・ジョーンズの優しいヴォーカルがピッタリです。

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1967年のポップス㊶「ミニ・ミニ・ロック」グーシーズ、木の実ナナ

 

 

 グーシーズ(Goosies)の"ミニ・ミニ・ロック(Minimini Rock)"、テープ操作を取り入れたコミカルでユーモラスなナンバーです。グーシーズはドイツのグループで一応メンバー名はあるものの、スタジオ・ミュージシャンで編成されていたと言われています。ミニ・スカートの流行に便乗して制作されたグーシーズ唯一のヒット曲です。

 TBS「今週のベスト10」で6月25日に18位で初登場、7月23日と30日に1位。10月15日16位までランクされました。文化放送「オール・ジャパン・ポップ20」では7月8日に18位で初登場、8月13日と8月20日に1位、9月14日11位までランクされました。「八木誠の洋楽ヒットチャート大事典」では1967年年間チャートで9位に選ばれています。

 

 

 

 木の実ナナでグーシーズの"ミニ・ミニ・ロック"です。グーシーズと同じで、テープ操作を使って面白い声にしています。"ママのスカートはさみでちょんぎっちゃた"のフレーズが印象的で、”最後に”恥ずかしい”と言うのも、まだミニスカートが流行りだした頃なので可愛らしいです。

 

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1967年のポップス ㊵ 口笛ジャック「口笛天国」

 

 

 口笛ジャック(Whistling Jack Smith)の"口笛天国(I Was Kaiser Bill's Batman"です。全曲口笛のアンサンブルで構成されているノヴェルティー・ソング(コミック・ソング、ユーモラスな)曲です。

 英国の作曲家、ロジャー・クック(Roger Cook)、ロジャー・グリーナウェイ(Roger Greenaway)が作曲し。スタジオ・ミュージシャンとマイク・サマーズ・シンガーズ(Mike Sammers Singers)によってレコーディングされました。マイク・サマーズ・シンガーズのトランぺッター・歌手のジョン・オニール(John O'neil)が口笛を吹いています。テレビの音楽番組には、俳優のコビーウェルズが口笛ジャック(Whistling Jack Smith)として出演しました。

 英国では1967年3月に最高位5位を記録、12週間にわたってヒット・チャートにランクされました。日本ではTBS「今週のベスト10」で6月4日に15位で初登場、7月16位に1位。8月16日16位までランクされました。文化放送「オール・ジャパン・ポップ20」では6月8日に初登場19位、7月23日と8月6日に1位、8月22日9位までランクされました。「八木誠の洋楽ヒットチャート大事典」では1967年年間チャートで22位に選ばれています。

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